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特殊化と一般化

 あれは何という映画だったか。タイトルも出演者も忘れたが、ラストシーンだけは憶えている。かつての恋人が、街角ですれ違う。オヤ?みたいな感じで振り返るが、すぐに歩いて行く。そしてカメラがグーッと引いて、街角の人間が豆粒のようになる。

 あの二人のようなドラマは殊に珍しい訳ではない。あなたのそばの人にも、そんな感じの終わり方。二人の切ないあれこれは特殊なもの、しかし、カメラが引いて、どこにでもあるようなものになってしまうような気がするのだ。

 ぼくは今一人芝居に専心している。ぼく達の旗揚げ脚本を忘れた訳ではないが、一人の人間を書ききることをまず優先したい。

 何処の誰でもいい、一人を選び出す。よし、この人で芝居を作ってみよう。その人を何処に置くか。季節と時間、どんなことが好きで、どんな服を着て、どんな喋り方をするのか。それを考えるのは何処かの誰かを特殊な人間にしていく。その人が特殊でなくてはならないのは、舞台の時間が2時間を超えたくないからだ。特殊化しなくてはならない。しかし、そのままでは、妖怪博物館になってしまう。その人を日常に返さなくてはならない。特殊を日常にすることが表現だと思う。

 一人芝居に取り組むと細部まで神経を使う。乗っているクルマが何かさえ考えてしまう。「クルマが止まる」じゃダメで、「赤いシビックがゆるやかに滑り込んで、止まる」と書く、まァ、そんな感じだ。暑い、か、熱い、か。漢字の感じまで考える。苦しいけれど、至福の時間と言える。今晩も頑張らナイト。

 

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