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小池真理子『恋』を読む

 川端康成の『古都』は好きな小説だ。物語自体はオソマツだけれど、京言葉が実にきれいだ。物語が強すぎると京言葉の魅力が死んでしまう。川端は偉大だ。

 しばらくして、「川端は女を描くことが出来なかった作家だ」というのを読んで、何を今更と思った。今まで女を書けた作家がどれだけいるのか。

 『恋』は女性作家。設定はダイナミックで、細部まで目が行き届いている。久しぶりの恋愛小説(呼び方が不適切かもしれない)に手を伸ばしたのは、女のある感触というか生理というか感じ方というかその辺が欲しかったのだ。一人芝居のための取材のようなものだ。一つだけ見つけた。使えるものを。

 書く作業は砂浜で美しい貝殻を探すようなところがあるかもしれない。歩くだけでは見つからない。四つんばいになって指で砂を丁寧にまさぐりながるようなもので、あって儲けもん、なくて当たり前。どうでもいいことに時間をかける。ジグソーパズルのあるピースがはまった時、他にまだ空白はあっても、そこでピンと来るものがある。その瞬間を求めて砂浜を四つんばいになって進む。

 女と香水と食べ物を書けるようになったら作家は本物だと言ったのは誰だったか。女を書けるとは思わないが、朽ちかけた男が、女と向き合う作業だと思う。

 

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