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坂手洋二『最後の一人までが全体である』を読む

 脚本を読むには体力と集中力が要る。職場で机が片隅の隠れ家的なところに移ったのはいい。ところが斜め向こうの新任君のパソコンの調子が悪いらしくサポートセンターと話しているのだが、「それでどうすんの?」という言葉遣いで延々と話す。声よりもその言葉遣いにイライラして、そのイライラを押さえながら、読んだ。

 演劇は時代に沿っていくのではなく、時代に常に何か突きつけながら進化していく部分がある。坂手洋二の作品はそのむき出しの大胆と強さと激しさがある。鴻上の『僕たちの好きだった革命』と重なる時代の姿があるが、鴻上に比べると坂手は妥協していない。それが空気をたるませることなく作品は進行する。

 ただ、時々、立ち止まって考えたり、めくり返したり、と、読み手にも安易さを許さない。明日は、もう一つ読んでみるか。

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