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怒涛のごとく脚本を読みながら

 この2週間で1年で読む半分近くの量を読んだ。これだけの量を短期間で読んだのは初めて。時にコクリと眠くなった時もある。でも読んだ。そんな読み方に意味があるのか。自分で問い続けた。多くの作品に触れるということでは、まァそれなりに意味はあるかもしれない。ただ、要はこだわりだと考える。ウトウトを目覚ましてくれる作品に出会うかもしれない。それだけだ。上演したくなる脚本に出会いたい。

 基本はオリジナル脚本だ。しかし、どんなに懸命に取り組んでも、A級の作品は書けない。その辺は以前から分かっているし、今回もまた確認している。だから、ぼくのフィールドで書こうとしている。これなら少しは希がある。

 ぼくが仮にA級の作品を書けたとしても、他の脚本を演じることは必要だと思う。大分には幾つかの社会人劇団がある。たとえば、「大分トイズクラブ」や「立見席」「ワルキューレ」は座付作者の作品だけを上演するから、感覚が固まってくる。繰り返しになる。繰り返しで創造は死んでいく。

 演劇を志す人間が集まる。そこは常に新しさ、繰り返し出ない何かが必要だろう。

 どこかで誰かがやった作品のコピーはしたくない。この佐伯で生まれたものがないと意味はない。だから世界の脚本を可能な限り読んでおきたい。腰痛と痛風、加えて虫歯やらのアレコレ。死の床にあって夢は舞台を駆け巡るという生き方でありたい。

 巨匠の作品であれNO。極めて個人的な、私的な接し方(読み方とはいえない)でぼくは脚本を漁り続けるのだ!

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コメント

感覚が固まる、というのは本当に怖いし、もったいないし楽しくないなと思ってしまいます。
とはいえ、日々の生活に追われサビつきそうになったりもしますねえ。
そうするととりあえず本を読んだり、映画を見たりするんですが、番匠川の土手に行くのが一番効きます。

とりあえず虫歯は治せる気がしますので、その治療はしてイタダキタイものです。

投稿: たほ | 2007年4月28日 (土) 23時58分

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