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少しずつ、少しずつ

 週に一回の練習が終わって帰ってきたところ。週に一回この日だけは、寝るのが遅い。いつものなら眠っている。

 演劇初心者君も、少しずつ理解してきている。練習の場で脚本を手直ししながら少しずつ進んでいく。

 少しずつでいいのだ。急激な変化は別の部分を歪ませてしまうことも少なくない。

 8月26日(日) 佐伯市「和楽」での公演です!

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71歳でエベレスト

 世界最高齢の記録を日本人が出した。その気になれば、いわゆる「老人」でも若者にできないことができる。その当たり前のことを改めて認識させられる。ということは、ぼく達も70歳、80歳の私を視野に入れて、今とこれからを考えることが大切なんだろう。

 焦ることはやめよう。毎日を丁寧にコツコツと積み上げることが大切なのだな。ちょっとだけ頑張りましょう!

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坂井泉水の死(2)

 彼女が所属した事務所の玄関には今までのCDが並べられ、写真の周りには多くの花が手向けられている。そしてファンのインタビューの画像。テレビ局の記者は大抵無神経で無能な言葉しか投げないが、言葉だけを求めてどういう人なのかは余り考えていないことが多いが、今回もそうだ。短い時間でのやっつけ仕事。

 泣きじゃくる奴を撮ればいいというもんじゃないだろう。

 坂井泉水は、これからは伝説で生きることになる。残酷な幸せかもしれないが、彼女と「現在」をわずかでも共有できた者には伝説ではなく永遠の現在形なのだ。

 冥福を祈ります。

 

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坂井泉水の死

 同僚の御母堂の葬儀の受付の手伝いをして帰って、インターネットでニュースを見ていたら、隣の同僚が「今日のニュースは大変ですよ」と松岡大臣の自殺を教えてくれた。それを読んでいると、「こっちもショックですよ」と坂井泉水の死を教えてくれた。どちらも驚きだった。

 松岡大臣は、よくもまァと思える答弁を繰り返していたが、どうやら「水」云々ではなく操作の手が入った組織犯罪の方が原因かもしれないが、自分の死で終止符を打ってしまった。全部明らかにして、ごめん、辞任しますという生き方の選択もあったのではないか。魔が差すという言葉があるが、それだったのだろうか。

 ZARDの歌は好きだった。素直で分かりやすい言葉。BESTについていた彼女の薄い写真集は、ぼくの理想の女性の表情を完璧に示していた。40歳。これからなのだ。若さと云う勢いだけではなく、言葉が磨かれ、言葉が深みを増し、さらにぼく達の心をむんずと掴むのは、これからだったのだ。残念だ。残念だ。残念だ。

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ことしの夏は水不足?

 雨が少ない夏という長期予報。番匠川が枯れる時は、かなり悲惨な地域が出るんじゃないかと思う。番匠川の水源のある本匠は県下で森林面積率が一番高い。99パーセントくらいじゃなかったかな。そのお蔭だ。

 15年前、高校演劇の全国大会で愛媛に行った時、水不足だった。ホテルの食器は紙で、使い捨て。食器を洗う水を節約、というより、水がなかったからだろうな。

 節水が求められる時に、水道のホースで車を洗っているのを見かけることがある。もう少し周囲を見たら、と、思うが、そういう人間が増えているんだな。安部首相がデッカイ目標を掲げたが、農水相さえどうにも出来ない人間、社会保険庁の杜撰、ごまかし、犯罪も解決できない人間に、地球規模の問題を解決できる訳がない。自分の身近で困っている人間をまず助けて欲しいな。

 身近なところに問題は多い。自分はどうなのか。それを知る一つの方法が、うちの公演を観ることだと思います。

 8月26日(日) 佐伯市「和楽」 6時半開演!

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稽古は楽しい

 最近、眠い。昨夜は8時に眠り、今朝は4時半に起きた。9時間近く眠ったが、日中眠気が襲う。ちょっと眠るだけで気分は変わる。しかし、それは以前のことで、最近はダメだ。どこか身体に異変があるのかもしれない、と、思う。ところが。

 芝居の稽古の日は、帰っても目が冴えている。ピンと張り詰めたものがあり、極めてリラックスしている部分がある。最近は酒の買い置きをしない。買う時はカップで多くて3本。今日は2本。今2本目だが、飲んでしまうと明日の仕事のために眠らなくてはいけないので、ゆっくり飲む。身体の中のほてりみたいなものが鎮まらない。

 稽古が楽しいのは確かめることができる部分が多いことが一つ。

 芝居に関してもあるし、仲間のあれこれについてもある。

 芝居は、サプリメント的な要素がある。

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宝物は経験

と、俳優ジョニー・デップが来日記者会見で語っていた。ドイツの詩人ゲーテは「若き日に旅をせずば老いての日に何を語ることができるのか」とか言ってるが、デップと同じ意味だと考えていいと思う。

 周囲は、人も風景も変わる。愛する者が去ってしまうこともある。生きている間付き合うのは自分。その自分をできるだけいい形にするのが、幸せ、幸せな生き方だと思う。簡単に言えば、丁寧に一所懸命に生きるってことだろう。

 仕事に、残念ながら生き甲斐を見出せない。子育てが今の生き甲斐だが、いずれ、彼女達も去る。最終的には芝居だろうなと思う。何処にいても、いつでも、考え、楽しむことができる。仲間がいれば、それは倍増する。

 で、今日は稽古日。

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青春の光と影

 母親を殺したり、友達にヤキを入れた若者もいれば、プロを制して優勝した若者もいる。

 こういう時代にたかだか文科省の役人が多様な若者に対応できるとは思わない。彼らは優秀であり、自分が優秀であることを知っている(正しくは、思い込んでいるから)多様さをコントロールことなんざ難しいこととは思わない。ただ、彼らは、正しくは、若者のためにしているのではなく、自分のためにしている。何かすることで自分が上に行くこと、それだけが目的なのだ。だから、現場を何も考えないイビツなことばかりやってしまう。誰が土曜日を休みにしてくれと言った。誰がゆとり教育を望んだ。そうすることでこうなるという明確なビジョンがないまま、向こう受けを狙うような小手先だけのことだしかできない。若者は出世欲の犠牲になっているだけだ。

 光の中にいる若者より、影になっている若者を考えるのが本当の仕事なんだな。

 で、ぼくは、小学生から演劇をやって、大きな声をだして、自由に動くことの面白さを知ればいいと思う。コミュニケーションが大事と云うけれど、大切なんだと繰り返すだけでは何も言ってないと同じなのだ。演劇はその辺をスルリと越えることができる。演劇は人。私だけではどうしようもない。常に誰かがいる。その誰かと向き合い、聞き、話すことが求められる。それが実に楽しい形で展開される。日本の神話の天岩戸も、結局は天照大神とのコミュニケーションを求める作業じゃないか。

 演劇はいい。それができることは幸せなんだろうな。

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こだわりの量が肝心か

 以前高校演劇の顧問をしていた時、いつも脚本を書くのに苦労した。大会は10月の終わり。9月は睡眠数時間だった。ひどい時は、プリントを配布してそれに取り組んでいる間、ワープロを持ち込んで書いていた。

 ある時、沢木耕太郎の『人の砂漠』を読んだ時、無性に書きたくなり、その夜と次の日の空き時間で書き上げてしまった。最短記録だ。大会の前日審査員の呼んだ人が「脚本を読んで、それが一番の楽しみです」と言われ、戸惑った。老婆の一人芝居なのに・・・。

 大会や公演が迫ってくると、焦って、肝心なことを忘れてしまう。肝心なことは、たとえばぼくが書く場合、これは面白いと思いながら書くということではないか。締め切りを理由にそれを忘れてしまう。上演の意義さえそこで失ってしまう。違うんだな。それはみんな分かっている。しかし、大会は待ってくれないし、公演を延期にすれば、会場が取れなくなってしまう。井上ひさしが書けないで、何度中止・延期にしたか。ぼくは彼のデビュー依頼殆ど読んでいる熱烈なファンなので、中止・延期のあれこれを考え、イイカゲンなものを上演するよりはいいと考えている。

 作家は苦しんで書く。しかし、役者は安易に「面白くない」を口にする。面白くしてやると考えるのが役者の仕事ではないかと思う。たとえばシェイクスピア作品の評価の天国と地獄はどうだ。

 たとえば、鏡に向う度に、様々な表情をしてみる。葬式の時の遺影に使う顔ーつまりは一番いい表情をさぐる、そういうささやかなこだわりでもいいからすべきではないかと思う。高校演劇、アマチュア演劇の多くはこだわりが圧倒的に足りない。

 愉しむこと、面白いと思うこと。身体が硬いとかカツゼツがどーの、イントネーションがどうのって、ええやないか。

 以上、イントネーションに深刻な問題を抱える一役者からの開き直りだ!

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言葉の置き換え

 昨日、「ライトノベル」なる言葉を知った。ジュブナイルだと真面目すぎる、ヤングアダルトだといかがわしい響きがあるとかのところから作られた言葉だという。言葉の置き換えで何が変わるのか。臭いものにフタばかりしていると、毎日の会話でさえ空虚になっていくのではないか。

 現代は多様だ。生き方もまた多様だ。そいうことが繰り返される中で、ぼく達は自分と人生をも置き換えることに慣れてしまったようなところがないか。たとえば誰かを裏切るようなことになった時、「こういう時代」なんだ、と。(例としては最悪か)。安部首相は「美しい国」という言葉を繰り返す。しかし彼がやっていること。たとえば、アメリカに同調して戦争を続けることが美しいのか。確かに、攻撃されれば国民と国土を守らなければならないということはわかる。ただ、それがアメリカに同調すること、もっと言えばアメリカベッタリで解決できるのだろうか。彼がやっていることが美しいとは思わない。しかし、彼は「美しい」という言葉を連発する。それは彼の中に美しさの実体がないからだろう。人と人は政治ではつながらない。政治は便宜なのだ。

 時代のせいにも、誰かのせいにもせず、私は私、でいいのではないか。素顔と裸の知覚で生きていけばいいのではないか。

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何故かこだわってしまうこと

 たとえば、家や部屋の設定では入り口は下手でないと何故かこそばゆさみたいなものがあり落ち着かない。

 たとえば、二人芝居はまァ仕方ないけれど、基本的に役者が偶数だと、居心地の悪さを感じる。

 昨日の練習(2時間!なんだ)の半分は、代表が抜けて、そのために生じた幾つかの問題を話し合った。前代表が交渉をしていた会場をキャンセルにしたので、まず会場の問題があった。稽古場の施設にちょっとしたホールがあり、そこを見させてもらった。劇場ではない。ステージのある研修室。客席は可動式。ただステージが高い。講演を想定しているのだろう。講演では原稿が要るから?

 田舎で理想的な劇場を求めること自体が無理なのだ。ぼく達はその研修室でYESとNOを交わし、比較的すんなりと解決策を見出した。ちょっと冒険であることを確認して、それでもOKだという、彼らの若さ或いは向こう見ずにぼくは少し感動した。演劇初心者の小僧も、その後の練習では以前よりずっと良くなっていた。代表が抜けたことが頗るいい形で作用している。

 ご意見番のツルちゃんは仕事の関係で舞台に立てない。SWING-BYの役者は三人。それに頗る魅力的な演技者の客演で四人の役者での芝居になる。高校演劇をやっていた頃いつも使っていた手。話の中でだけの人物を出す、ってのを、使おうと思う。そうすりゃ、奇数だ!

 でも、何故、奇数でないといけないのか。その答えは、公演パンフで!

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テツさん、ありがとうございます

 テツさんに教えていただいたアドレスにいくと、ナント、かめおかさんがぼくの記事についてコメントをしているではありませんか。かめおかさんの文に人柄が出ていて、『演劇やろうよ』に引き込まれた理由がわかったような気がしました。ちょっと元気が出てきました。ありがとうございました。

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何てこった

 昨夜、練習から帰り、書き直しをする。以前書いて、ぼくとしては面白いと思うものをなかなか捨てることができず、そこで二進も三進もいかなくなる。諦めて、フラフラとベッドに転がり込む。ところが、そういう時になってアイデアが浮かぶ。一つ浮かぶと幾つかがポンポンと出てくる。これはイカン、ノートをもってこよう、と、思うが、身体が動かない。今日、職場の空き時間に書き始めるが、覚えているのは一つだけ。たいてはノートかボイスレコーダーを持ち運ぶのだが、持ってない時に限って!

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浮遊する時代

 母親を殺して、切断した首をバッグに入れ、ネットカフェだかでDVDを観て、タクシーで警察に自首した高校生。赤ちゃんをバイクのヘルメットを入れる所に入れ、パチンコと買い物の後帰れば、死んでいたので袋に入れて捨てた若い親。

 また、とんでもない事件が起きた。

 ヤン・コットは『ハムレット』を論じる中で「芝居は時代をスポンジのように吸収する」と言い、つかこうへいは「芝居が時代におっつかない」と言う。時代が多様になり、芝居も多様になる。舞台に世界をのせることができたのは、今は昔のことなのだろうか。世界の断片だけしかのせることはできないのだろうか。

 ぼくは時代に小さな釣り針のようなものでもいいから時代にひっかけたいと思う。時代を呼吸する舞台にしたい。うちのメンバーは若い。いずれ、彼らがぼくにNOを突きつけるようになれば、もっと面白くなる。「もうアンタ、引退したら」と云うくらいになれば、更に面白い。花も嵐もオジサンも踏み越えて欲しい。ところがどっこいオジサンは、テメーラに越えられてたまるか、と、ますます芝居に染まっていくのだな。

 平凡な日常の中で芝居で冒険をするのは、自由だァ~!

 

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公演日時と場所

佐伯市 和楽 8月26日(日) 6時開場 6時半開演 に変更になりました。

ちょっとだけ面白い試みを用意します。

さあ、書き直し!

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少しだけイイカゲン

 「このええかげんさが大切なんです」みたいなことを、別役実が言った。ある高校演劇の大会会場。彼は審査員。その好評。ぼくは、別役の言葉に膝を打った。そう、そうなんだ。ここからは別役のの言葉の真意からは離れるかもしれないが、そんなに深刻にならなくてもいいんじゃないか。もちろん何かをやる時は懸命でなくては。でも結果が思うようにならなくても、悩んではいけない。次だよ。次。落ち込んでいるヒマはない。労力を悩みに持っていくのは、勿体ない。だってそこで何かが生まれるか? 怒りとか恨み、後悔というマイナスの感情じゃないか。ならば、さりと捨てて、次に。

 自分自身を管理できない人間には何も出来ない。

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書き直しの問題

 男優が抜ける。それで、女優をスライドさせるというわけにはいかない。

 脚本が大きく変わる。大きく変わることに挑戦できることは、それなりの幸せなことだ。ただ、大きくなった桜の木を植え替える作業がかなりの大変なように、そんな大変はある。今までのものを残そうとするからいびつになるのかもしれない。ゼロから書くか。すごろくで「振り出しに戻る」というのは今まで何回も経験したことだ。楽しもう。そう、これも楽しもう。

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脚本指南書が増えている

 大分に行く時、うちの子どもの候補地の一つが明野の紀伊国屋書店。ぼくも学生時代には散歩の最初の場所だったし、東京で働いている時もそうだった。福岡に行く時はたいていぶらついた。大分に紀伊国屋ができるというので、かなり興奮したものだ。他の書店と違い、演劇関係の本が多い。大分の場合は「少し多い」だが、他の店ではゼロが大分の状況だから、幅1メートルの5段の棚に、演劇関係の本が並んでいるのは嬉しい。新刊案内の類から漏れるものがあるのだ。

 そこに脚本の書き方の本が増えている。これはどういうことだろうか。

 政府が親学を出そうとして、結局は引っ込めた。その中に演劇を観ましょうというのがあったように思う。演劇を観ることは子どもの成長にいいということなのだ。映画もいいものはある。しかし最近の映画はCG処理が多く、ウソっぽいことが多い。演劇の世界にもコンピューターは進出している。しかし、演技者は生身の役者だ。その限界を観客の想像力を引っ張り出しながら、上演する。想像力は創造力につながる。

 脚本指南書を手にして、目次を読む。もちろん中身を読まないと分からないんだけれど、2種類あるような感じだ。一つは指南書、もう一つは指南書という形のエッセイ。舞台の脚本、映画やテレビのシナリオは、結局は書くことでしか上達しないように思う。マラソンランナーが毎日走り続けることで、ランナーの肉体と精神をつくっていくのと同じだろう。

 今まで、多分なかったと思うが、SWING-BYでは「ネット文芸部員」を創設した。現在文芸部にはぼく一人だが、メールで脚本を送り、意見を求めるというシステム。その中の誰かが脚本を提出してくれたら、それを上演することにもなるかもしれない。いわゆる「アマチュア劇団」は代表が全てを背負うことが多く、そのため長続きしない場合がある。仕事の分担は大切なことだ。それぞれが責任、つまり場所を持つ。通常、演技者や技術スタッフは求めるが、脚本部、つまり文芸部を求めることは少ない。だから、脚本の選択、創作が弱い。早速、北海道から応答があった。これを進めていくと、北海道での公演ということも有り得る訳で、夢は広がる。

 文芸部というのは新劇劇団だけのものかもしれないので、脚本部、と、しよう。ここがしっかりしていれば、もっと芝居は面白くなる。遠い北海道の彼は、次の公演パンフに名前を出す。上演を前提に書くということで、うちの脚本部に入りませんか?

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犬の生活

 私はポロン。このブログの制作者ということになっています。うちのボスが高校演劇の大会の時に生まれ、お子さん二人と来て、足のところが白く、ソックスはいているみたい、ということで、今の家に来ました。

 結構気を使って生活しています。最初イタズラ心で軍手を咥えたら懸命に追っかけてくるので、以来、解かれたときには軍手をさがしては、ひっさらって、からかっています。

 最近、うちのボスは芝居をするとかで身体に敏感になっています。ずっとなかった朝の5時の散歩も始めたし、今日は私に軍手をちらつかせ、私が取ると、懸命に追いかけてきます。私も、要領は分かっているので、可能な限り近づいて、時にはポトリと軍手を口からはなして、取れるものなら取ってみろ、と、からかうのですが、ダメですね。すぐにへばるんです。あんな状態で舞台を踏めるのかと思います。でもハアハア喘いでいる目がマジで、もうちょっと遊んであげようかと思います。面倒なうちのボスですが、長い目で付き合って下さい。以上名前だけの管理人でした。

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代表脱退

 代表から電話があり、脱退するとのこと。詳しい事情は書けないが、ほんの数日前に確かめたばかり。脚本の最終的な段階でキャスト人数の確定しておきたかったのだ。その時はOKだったのだが、今電話があり、やっぱりできない、と。

 実は以前彼との二人芝居を上演準備を進めてきた。結局上演延期。当日会場で頭を下げた。その中には福岡や熊本からの客もいた。そして延期が中止になった。その辺の事情についてはここでは書けないが、今回は何回も確かめた上でのことだった。彼を代表にしたのも、責任の重さを感じてもらい、その流れでいくのが一番いいと判断したからだし、観客にはちょっと不便な彼の生地の会館を拠点にしたのも、彼が動きやすいだろうし、彼の地元での立場もよくなるだろうと思ったからだった。

 脚本と会場を変えなくてはいけない。芝居に影響はそれほどない。上演はやる。誰かが仕事や事故などで抜けた場合を考えての脚本だから、書き直しは出来る。

 こういう集まりはこういう試練は前提なのだ。

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初心は忘れた

 かなり昔ある演劇雑誌に野田秀樹がそう書いていた。世阿弥がいう初心とは「自分は未熟だと思うこと」みたいな意味だったらしいが、野田がどんな意味で使ったかは分からない。ただ、高校までの入学式や全校朝礼で壇上の校長が言ったので覚えた言葉で、野田のそれは鮮やかにひっくり返してくれた。

 一つの芝居が終わる。そして次に挑む時はまたゼロからのような気がする。もちろん積み重ねはあるし、それが練習、制作等では役に立つ。しかし、新しい芝居はいつも手探りから始まる。緞帳が下りて、打ち上げで酔って、泥のように眠り、目が覚めれば、ゼロの状態になっている。次の芝居がやたら遠い。訳の分からないまま動き始める、と、かすかに点滅する何か。その何かに向って手探りで向っていく。ぼくはその時間が一番好きだ。世界地図を前に広げて、新しい冒険の序曲を聴く軽やかな興奮がある。やがて、行き詰って、借金取りの催促におびえる日々になるのだが。

 昔、ソ連で『ハムレット』の完全な上演を目指して時間をかけた。数年後、その企画はつぶれたらしい。芝居は旬だ。やりたい時が旬なのだろう。

 今回、AV女優の芝居(これだけ書くとナントいかがわしいことか)を脇に置いて、別の脚本にする。多分、そっちがぼくには旬なのだろう。書きながら、舞台が見える。多分、こういう芝居をするのは最後になるかもしれない。いや、最後にしていいだけありったけのものをぶっこんでやろうと思う。

 古巣、OfficeせんせいしよんのHP; http://www.geocities.jp/officesensation/ 是非時々。

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体力に問題あり

 昨夜、練習を終えて、10時過ぎに帰り、それから脚本の手直し。2時頃までやって、眠りについた。今日はいつもどおり、子どもを乗せて、ゴミを出し、職場に。空き時間、休憩室のソファで眠った。以前は大分まで練習に行って、11時過ぎに帰り、次の日も平気だったが、さすがに寄る年波には・・・。2時間近い舞台に耐えられるのかな。台詞を削るか・・・。

 

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脚本の提示

 3分の1を読み合わせ。40分程度。

 今度の芝居は舞台の時間と客席の時間が同じなので、ちょっと足りない。早寝、早起きを返上して、今日の部分の書き直し。

 ただ、芝居は楽しい。こんな楽しいものがあるなら、教えて欲しい。

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いよいよ

 上演台本を提示することになった。どうせ直しが出てくるだろうから、紙の無駄をなくすために少しずつ。

 提出する時のドキドキ。高校演劇の時もそうだった。

 ちょっとした事情で、アダルトビデオ女優を出す脚本は先送り。誰かが抜けるともう上演できないから。その保険をかけた脚本になった。上演されなかった旧作の書き直しになったけれど、まッ、これも結構面白いと思うのだ。明日、仲間はどういう反応をするのだろう。

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『22歳の別れ』について再び

 昨日から色々と考えているが、何故伊勢正三の歌をドラマ化するのかが、よくわからない。『なごり雪』も『22歳の別れ』も別れを歌っているが、後者の別れは余りに漠然としている。ドラマを見出せにくい。ヒット曲で釣ろうとする魂胆しか見えない。まだ、鳥羽一郎の『男の港』の方がドラマ性を感じる。

 大林宣彦の作品では『さびしんぼう』が断然いい。作者の皮膚感覚みたいなものがあるし、切なさがキュンと染み渡る。富田靖子がきれいで、永遠の憧れのように映っている。あれだけのものを作れるからこそ、今回はちょっと落胆。

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『22歳の別れ』を観る

 臼杵や津久見が出てくるし、かなりの人がエキストラでかりだされたので、はて、どんな具合に出来ているのかが気になって観た。

 一言で言えばうるさい。全編音楽が流れて、それがうるさい。そしてその音が少々おどろおどろしかったりする。そして暗い。会場の問題もあるのかもしれないが。

 もう少し流れを整理して、ストレートな物語にした方がいいと思う。内容の薄さを作り方で誤魔化しているような印象を受ける。

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『笑の大学』舞台版と映画版を観る

 WOWWOWで6時から観た。

 舞台と映画の違い。映画は無駄が多い。役者は舞台の方がいい。ぼくが舞台派だからという訳ではないと思う。舞台の役者の方が胡散臭く、弱い。映画の一番の失敗はキャスティング。稲垣が悪い。彼が悪いのではなく、無理があった。劇作家の顔ではないのだ。

 笑った。脚本に笑ったし、舞台版の演技にも笑った。

 笑のなかで浮かび上がる時代。演劇論、演技論、脚本の書き方まで入っている作品。一度は観ていい作品。

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明日は『笑いの大学』

 三谷幸喜の『笑いの大学』の舞台版と映画版が、明日WOWWOWで放送される。明日だけは子どもにチャンネル権は与えない。

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人生につまづきかけた人に

 人生が人の波を生きていく作業なら大変で息切れしてしまう。

 芝居、演劇、劇。その稽古場はイヤでも会話に血が通う場所だと思います。ぼくは、だから好きです。もしかすると、芝居をするためにではなく、稽古をするために、と、思うくらいに。

 ぼく達は劇場に向っています。それは観客の前に立つという怖くて、面白くて、世界で一番スリリングな場所です。

 酒が飲めて、台詞を覚えられるならば、是非、参加して下さい。参加してすぐに舞台に立てないかもしれません。だって、もう脚本は進行中だから。

 芝居はいい。その場所を持つだけでも面白い。

 一緒にやりませんか?

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マーレーネ・シュトレールヴィッツ『ワイキキ・ビーチ』を読む

 新聞社の廃屋に編集長と市長夫人がセックスを目的にやってくる。そして、時にシェイクスピアやチェーホフを使いながら、悲惨と空虚が広がっていく、と、でも言えばいいのか。

 男の想像力と女のそれが異なるのは仕方ない。男がどんなに女になりすまして書いても、どこか乾いている部分が残る。しかし、この作品には乾いていない女の部分が濃厚に残る。作者がそれを狙ったとは思えないのだが・・・。そういう部分に向き合えないぼくは、男として奇形なのかなァ。

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ジョン・マレル『サラ 追想で綴る女優サラ・ベルナールの一生』を読む

 たとえばYESを70通り言えたとか、たとえばレストランでメニューを読んで客を泣かせただの、そういった伝説を読んだような記憶がかすかにある女優。晩年のサラが秘書の男に自伝を口述筆記させる形で書かれてある。場面ごとに秘書が母親やプロデューサーや医師やらに扮してサラの回想に付き合う。幾つかの点は線にならないが、その点だけでも壮絶な一生だったことが分かる。日本では麻実れいと金田龍之介で演じられたとのことだが、演技力はもちろん体力もかなりのものが要求される舞台だと思う。当たり前か。

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司馬遼太郎『鬼灯』を読む

 司馬遼太郎が脚本を書いていたとは。これ以前にも書いて二度と書くもんかと決意したらしいが、荒木村重の叛乱を描くには小説より戯曲形式の方がいいと思ったらしい。ト書きの中にも台詞が書いてあったりと、素人劇作家の面が見えるし、彼が調べた史実から逃れられていないようにも思う。もう少し書き方を考えれば、面白い作品になるかもしれない。

 荒木村重という名前には初めて接する。この人物とんでもない。摂津の君主が織田信長に叛乱を起こす。毛利の援軍を待つが、援軍は来ない。最後に、城と部下や家族を捨てて、部下や女たちが死刑になるが、村重は生き延びて、秀吉の茶飲み相手として録も食む。村重は高橋悦史、正室を杉村春子が演じたらしい。杉村でないと、杉村だから、可愛さと強さが演じられたのかもしれない。

 なお、鬼灯は「ほおずき」と読む。一つ勉強になったでしょ?

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