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言葉の置き換え

 昨日、「ライトノベル」なる言葉を知った。ジュブナイルだと真面目すぎる、ヤングアダルトだといかがわしい響きがあるとかのところから作られた言葉だという。言葉の置き換えで何が変わるのか。臭いものにフタばかりしていると、毎日の会話でさえ空虚になっていくのではないか。

 現代は多様だ。生き方もまた多様だ。そいうことが繰り返される中で、ぼく達は自分と人生をも置き換えることに慣れてしまったようなところがないか。たとえば誰かを裏切るようなことになった時、「こういう時代」なんだ、と。(例としては最悪か)。安部首相は「美しい国」という言葉を繰り返す。しかし彼がやっていること。たとえば、アメリカに同調して戦争を続けることが美しいのか。確かに、攻撃されれば国民と国土を守らなければならないということはわかる。ただ、それがアメリカに同調すること、もっと言えばアメリカベッタリで解決できるのだろうか。彼がやっていることが美しいとは思わない。しかし、彼は「美しい」という言葉を連発する。それは彼の中に美しさの実体がないからだろう。人と人は政治ではつながらない。政治は便宜なのだ。

 時代のせいにも、誰かのせいにもせず、私は私、でいいのではないか。素顔と裸の知覚で生きていけばいいのではないか。

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