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こだわりの量が肝心か

 以前高校演劇の顧問をしていた時、いつも脚本を書くのに苦労した。大会は10月の終わり。9月は睡眠数時間だった。ひどい時は、プリントを配布してそれに取り組んでいる間、ワープロを持ち込んで書いていた。

 ある時、沢木耕太郎の『人の砂漠』を読んだ時、無性に書きたくなり、その夜と次の日の空き時間で書き上げてしまった。最短記録だ。大会の前日審査員の呼んだ人が「脚本を読んで、それが一番の楽しみです」と言われ、戸惑った。老婆の一人芝居なのに・・・。

 大会や公演が迫ってくると、焦って、肝心なことを忘れてしまう。肝心なことは、たとえばぼくが書く場合、これは面白いと思いながら書くということではないか。締め切りを理由にそれを忘れてしまう。上演の意義さえそこで失ってしまう。違うんだな。それはみんな分かっている。しかし、大会は待ってくれないし、公演を延期にすれば、会場が取れなくなってしまう。井上ひさしが書けないで、何度中止・延期にしたか。ぼくは彼のデビュー依頼殆ど読んでいる熱烈なファンなので、中止・延期のあれこれを考え、イイカゲンなものを上演するよりはいいと考えている。

 作家は苦しんで書く。しかし、役者は安易に「面白くない」を口にする。面白くしてやると考えるのが役者の仕事ではないかと思う。たとえばシェイクスピア作品の評価の天国と地獄はどうだ。

 たとえば、鏡に向う度に、様々な表情をしてみる。葬式の時の遺影に使う顔ーつまりは一番いい表情をさぐる、そういうささやかなこだわりでもいいからすべきではないかと思う。高校演劇、アマチュア演劇の多くはこだわりが圧倒的に足りない。

 愉しむこと、面白いと思うこと。身体が硬いとかカツゼツがどーの、イントネーションがどうのって、ええやないか。

 以上、イントネーションに深刻な問題を抱える一役者からの開き直りだ!

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