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面白くなかった選挙速報

 ワクワクで選挙速報を見続けた。2時過ぎまで見続けたが、最後は腹が立ってきた。

 敗者の弁が極めてよくない。この間の闘いを「不徳のいたすところ」という意味不明の言葉で括る神経が分からない。

 大分は、民主と社民が手を組んでいれば、と、悔やまれる。民主が候補者擁立が遅かったのも悪い。今まで自民党を叩いてきたが、今後は民主も叩こうと思う。ただ、小沢って面白い人だな。あの騒動の中「静養」。表に出てくることないんだ。表に出るのはマスコミのためなんだから。

 面白くなかったのはテレビ局の金太郎アメみたいな質問なんだ。他局との違いをもっと出していいと思うな。スタイルの違いがない。党首が時間でずっていくだけで、話すことは同じ。来年の春は衆院の解散があるかもしれない。報道はテレビ局では肩で風を切る部署なんだろうが、芸能部より才能がないんじゃないかな。途中で終わってしまうしまう弁よりは、独自のコメンテイターで、じっくり話をした方がいい。アイデアを公募したらいいんじゃないか?でも報道局の連中のプライドがそれを許さないんだろうな・・・。

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夢の夏休み、夏休みの夢

 うちの子どもは夏休み。でも、いつもより15分早い6時に起こしてという。上の娘は6年生なので、ラジオ体操に来た子どもにカードのその日の部分にシールを貼ってあげる仕事がある。下の娘はラジオ体操が大好きなのだ。最初彼女は5時に起こしてくれと言ったが、余りに早すぎる。それくらい好きなのだ。だから、昨年の夏休み、雨で数日行けなかった。その時の彼女の落胆と嘆き。ラジオ体操、なのに・・・。でも、子どもの頃ってのはそんなもんなんだ。忘れたけれど。

 我が家では最近、朝の食卓で夢の話を子どもが競うように話す。一人が話し出したら、終わるまで待って、終わればすぐに「私は・・・」と話し出す。

 今朝の話題は彼女達の母親が夜目を覚ましたら鹿が3頭いて、そのうちの1頭のツノが凄くてと、彼女は両手を使って頭から左右に広げた。ぼく達は夢だと言うけれど、彼女は見たと言い張る。大体犬が吠えなかったじゃないかと言うけれど、犬には見えなかった、と。彼女は最近、聴き間違い、良い間違いが顕著だから、見間違いがあっても不思議じゃない、と、ぼく達は強固な確信でつながっていた。

 うだる夏。家を開け放って、畳の上でゴロン。今ではもう夢の世界だ。

 

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上野さん

 見学、いつでもどーぞ。和楽でやっていますので、入り口の案内ボードに場所は表示されています。木から金です。ぼくの後輩になるんですね。

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『セールスマンの死』を読む

 最初に読んだのは20年以上前。久米明のウイリー・ローマンの舞台を観たことがある。

 今回読み直して、よく書けていると感心した。アーサー・ミラー33歳の作品だが、33歳という若さで、よく書けたと驚嘆する。しかし、若い時に何も書けない人間は年取っても書けないのかもな。いやそんなことはないと、自らを鼓舞する・・・。

 地団太踏むくらいの切なさが全編に漂う。仲間と上演しようとは思わない(上演できる力量はない!)が、どう処理するかという好奇心が客席には走らせるかも。

 一読を。ハヤカワ演劇文庫。800円+税。

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エリザベス・レアード 『ぼくたちの砦』を読む

 パレスチナの少年が主人公で、イスラエルの攻撃で外出禁止令が出る生活の中での経験と成長。

 パレスチナ問題に全く無知だったことを痛感した。それでインターネットでチョコット調べ、大国の横暴の結果だと知った。

 これは高校生の読書感想文の課題図書。課題図書という呼び方で、まず手が出なくなる。面白くない、面倒臭いという気持ちが前面に出てしまう。読者の気持ちをもう少し考えたらどうだ!と言いたくなる。せっかくの作品が、その呼び方で背を向けられてしまう。(オレ、だけか?)

 こういう現実を若い人は知っていいかもしれない。アメリカに留学だの、ヨーロッパ旅行だので国際人の端くれになったつもりの若い人がいるようだが、外国に行かずに、本を通して様々な国の現実を知るだけでも、国際的な活動なのだ。むしろ、ブランド漁りの奴らよりは遙かに素晴らしい。最後まで読ませる力もある。読んで損はない。さすが課題図書。やっぱ、課題図書は、まずい。思い上がった連中の押し付けとしか響かない。最後の課題図書との接触だ!

 

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中国のオリンピックは大丈夫か?

 段ボール入りの肉まん。中華料理は、おそらく料理の中では最高峰だろうが、段ボールとは凄い。

 外国旅行では何よりも強靭な胃袋が必要だと言われる。今度のオリンピック予選では、色んなものを食べて、体調変化ナシという選手を代表に選んだほうがいいかもしれない。

 中国は発展途上だから色々できないと言っているが、もしかすると、モスクワのオリンピックの時よりも、このままだと拒否する選手が出てくるかもしれない。命あってのものだねだものね。一定の水準にしようとすると、無理があるのだろうな。今まで野放しにしていて、それが当たり前の体質になっているとしか思えない。

 日本政府は、それでも、中国に弱いね。野党が連立になれば、上手くいくのかな。バックに日本国民、その意識で動いて欲しい。今の自民党はダメだ。弱い者にだけ強く出る。

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車を洗う

 風が出てきた雨の中、車を洗った。水あか取りの洗剤で時間をかけて丁寧に洗った。洗ったところから雨が流していく。水道代の節約にもなるとか思いながらの、早朝の作業は異常だ。しかし、晴れた日の作業よりは遙かに丁寧で迅速。

 台風の被害が出ませんように!

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「お母さん ぼくが生まれてごめんなさい」はいい

「お母さん ぼくが生まれてごめんなさい」「誰よりも明るく生きた脳性マヒの少年!! 不良少女との恋…友の死…母に残した衝撃の詩に込められた真意とは…感動実話をドラマ化」

 この長ったらしいタイトルを簡潔にすればいいのに、何故こんなに牛のよだれみたいにするのか、感覚を疑う。メインタイトルで十分なのに、ね。テレビ局ってのは、色んなブショがあって、そこにセンスのカケラもないくせにあーしろこーしろというバカがいるんだろうな。

 ただ、いいドラマだった。清潔感のあるドラマだった。清潔感のあるドラマって言い方は清潔感がないかもしれない。素直で真摯、それにもっとプラスしたい気持ち(バカだね)。森昌子がいい。

 タイトルは、主人公が母親にあてた詩の一節。

 飾りも無駄もなく、ズドンと胸に来る言葉。素晴らしい。嫉妬した。

 結構泣いたから、台風、水分はもういいから、消えろ!

  

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如何に多くと出会えるか

 仲間と出会う。脚本と出会う。観客と出会う。これが上演までの過程。しかし、その間に如何に多くの出会いがあるか。言葉、動き、相手の考え方、表情、仕掛け、装置、あかり、音、小道具等。

 演劇は人間が豊かになる場所だと思う。だって、緞帳が下りるまでの出会いの莫大さ。もちろん、日常生活の比ではない。ところが劇場が、焦点化してくれる。

 芝居に出会ったことが、ぼくの祝福された生だと考えたい。加えて、仲間がいるのだ。

 そういう出会いの歓びと、だからこその楽しさを忘れることなく、舞台を作りたい。

 

 

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ハヤカワ演劇文庫

 二海堂書店に支払いに行くと、主人が「前から見せようと思っていたのですが・・・」と新聞の切抜きを見せてくれた。早川書房が脚本を文庫にしたという、昨年の記事。それを持っていたということ、そしてそれを示してくれたこと。大きな書店では出来ない付き合い。それで、殆ど持ってはいるが、「解説」を読みたいというのもあり、文庫サイズなので、とにかく全巻を、と、頼んだ。

 練習から帰ると、『生徒諸君!』の初期版(ナッキーが学生のバージョン)が全巻と演劇文庫が8冊届いていた。あのナッキーに会えるときめき。そして演劇文庫は、嬉しいことに字が大きめ。老眼鏡が要らない。『セールスマンの死』『おかしな二人』『動物園物語*ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』『『署名人*ぼくらは生れ変わった木の葉のように*楽屋』『サンシャイン・ボーイズ』『しらみとり夫人*財産没収ほか』『『屋根裏*みみず』『わが町』『東京ノート』

 台風の影響か、雨脚が強まっている。3連休は台詞を入れるのがメインだが、息抜きの材料はたっぷりだ。

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暗記大会じゃない

 台詞を覚えて、どれだけつまずかずに言えるか、それが演劇ではない。

 台詞も、動きも、その時に生まれる。その生まれるものを内部につくることができるか。それが芝居になるかならないかの分かれ目だと考える。役者は舞台で呼吸する。その快感を知ったら、簡単に芝居を捨てられるか!

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状況は厳しい

 以前にも書いたが、仕事を持ちながら芝居をするのは厳しいものがある。最近は7時からの練習で、そういう時、ぼくは30分前には行くので、コンビニでイナリを買って、駐車場で腹に納めて、7時には始められるようにする。しかし、それぞれに仕事があり、遅れることもあり、それは仕方ない。

 それは覚悟していた。だから、集まる時間以外の個人の濃密な取り組みが求められる。しかし、いかに個人で濃密にやっても、相手と向かい合えば、ズレが生じる。そのズレを解決していく作業が稽古場に求められるが、今の3倍は時間が欲しい。勿論、これは嘆きではない。今こうやって書き込みをしている間にも、手元に脚本を置いて、ちょっとの暇な時間に挑んでいる仲間がいるのだから。

 ぼく達のようなグループは多いと思う。ぼくはその一つの理想的な形を模索しているが、それを提案できればいいナと考えている。明らかに練習不足じゃ、お客さんに申し訳ないもんな。

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チケット完成

 何枚のチケットを用意するか。今回は500枚と判断した。ちょっと特殊な形での上演になるので、250の段階で回収しようと考えている。当日50を考慮して。

 チケットが昨夜配られた。それを手にすると、もう後には引けないという思いが強まる。

 今回はぼくの方向でやらせてもらう。演劇に対してのイメージを持っている人には少々戸惑いがあるかもしれない。舞台もそうだろうと思う。

 ということで;

 ずれていく人達 8月26日(日) 佐伯市和楽で6時開場 6時半開演

ご来場お待ちしております。

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発見する歓び

 芝居の稽古場は発見の場所だ。繰り返しではなく、何か新しい試みに、はて、相手はどう反応するか。このまえと同じ感覚でやると反応できない。演技も台詞もその都度生まれるものだ。生きている。いつも同じことを繰り返すと、その繰り返しの中で死んでいく。

 ぼく達は一回だけの公演。ただ、練り直して再演することは考えている。一回だけではもったいない。ともかく、稽古場の充実だけが本番を決める。その稽古場の空気が濃くなってきた。

 稽古場見学、いつでも!

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演劇に天才は要らない

 今、テレビでブレイクダンスのすごい連中をやっているけれど、彼ら体操でオリンピックに出ても金メダルかもしれない。昔と違って、選択肢が多いから、多種多様なところで多くの人が才能を楽しむことができる。

 演劇に最近テレビタレントが出ることが多い。舞台よりはタレントの方が収入がいいだろうからな。

 演劇は、しかし、生きている感触が濃厚で、生き方と関わってくる。演技は人生を重ね、その人が成熟することを求める要素は多い。金や名誉より、自分と向き合い、自分の成長を考える生き方があってもいい。イケイケドンドンの時代はもう終わったのだ。政治家や大企業のコマになってはいけないんじゃないか。ましてや、胡散臭い政権だ。

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一人で背負い込まない

 以前も書いたかもしれないが、あるグループを持続させる時に、一人が背負い込まないことが肝心だと考える。主宰者が脚本・演出・主演・制作までやってのけるのはすごいと思うが、彼にストレスが集中し、他のメンバーは指示待ちだけになってしまう。きちんと分担した方がいい。

 ぼくは現在仲間内で一番の高齢者なので、その分あれこれ言う機会を与えてくれる。でも、メンバーのそれぞれが上演に向けての責任を持った方がいいと考える。責任を持てば、後は自分の判断でやればいいのだ。間違ってもいいじゃないか、と、思う。

 そういうことを通して様々なレベルで演劇を体験することが必要ではないかと思う。

 4,5年やれば、独り立ちしたくなるメンバーが出てくるかもしれない。それこそ理想。成長すれば考え方も感じ方も変わる。違うぞ、そういうズレを感じることができる人間が仲間内から出れば、おそらくそれぞれが成長している証だろう。

 旗揚げ前に言うことではないかもしれない。ただ、ぼくより若い連中が、芝居をやってよかった、それが次に向うようにすることこそ、ジジイの一番の仕事だと考えている。湿ってきたか?

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芝居をする心体

 スケートのアサダマオが一日に8時間練習し、卓球の何とかカスミちゃんが20時間練習をして、それでも勝てないことがあるとかの話を聞くと、何かの壁を超えることの難しさを思うし、じゃあ自分はどうなんだと考える。

 国際レベル、佐伯レベルは関係ないように思う。

 全ては今目の前にある一所懸命になることでしか、次はないのだろう。

 芝居をする。心はある程度分かっている。しかし、実際に声を出し動くことで何かが生まれる。生まれるのを待つしかないが、生まれる環境をつくらないことには無理だもんな。これは全ての仕事、もくろみに通じる。

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芝居を立ち上げる

 紙に書かれた脚本は寝ている。役が割り振られる、と、割り振られた役者は担当する人間を起こし、立たせ、動かせる。ここに芝居作りの醍醐味の一つがある。こう考えるのか、という、相手を知る瞬間。

 一本の脚本を通して、何を考え、何を知るか。多分、それは観客の作業に近いのではないかと思う。観客はかなり開かれているので、何でも見透かしてしまう。何をしたいかだけではなく、そうすることで、それが観客にどう受け止められるのかを考えないと、観客を考えていない舞台になってしまう。

 現在、赤ちゃん状態。ヨチヨチ歩き。仕事は多く、練習回数は少ない。でも、最初から分かっていることだ。ここでそれを言い訳にすることはできない。その厳しさがあるからこそ、いいんだ。

 

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