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私流脚本の書き方(1)

 高校演劇をやってきて、大きな間違いがある。脚本が弁論になっていることだ。メッセージを持つのはいい。しかし、それが台詞になってしまったら、観客は引いてしまう。

 これは生徒との面接練習ではもっと明確に現れる。たとえば「あなたの長所は?」の質問をすると「明るいところです」と応える。これは違う。自分を形容詞で説明してはいけない。面接官が「明るい子だなァ」と思うことが肝心ではないのか。

 ぼくが演劇部の顧問になって大会に行き、びっくりしたことは、上演が終わると幕間(まくあい)討論があったことだ。それ自体は特に問題はない。上演を終えた学校の代表数人が緞帳の前に出て、その裏では次の舞台の準備をしている。ところが客席から出てくる質問はただ一つ。「今の上演意図は何ですか?」。つまり、テーマは何ですかと訊いている。短い言葉で説明できるなら、1時間かけて上演する意味が薄れてしまう。

 いじめは良くない。これは芝居にはならないと思う。意見発表でしかない。いじめている人間を他の場所に置く。たとえば、友達のお誕生日会でもいい。いじめとは無縁なところにいじめている人間を置くほうがいいように思う。

 芝居とは、状況と人間だと思う。どちらが抜けてもダメ。そして、テーマは演じる側が観る側に与えるものではなく、双方が共有しているから成立するものではないかと思う。スケボーに熱中する少年の映画を茶道に興味があるおばちゃんが見ても通じない。しかし、そのおばちゃんの孫がスケボーに興味を持っていたら事情はちょっと変わってくる。芝居はそういう要素で支えられている。

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