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テネシー・ウイリアムズ『バーサよりよろしく』を読む

 前回、ウイリアムズの作品について、「自己弁護」という言葉を使ったが、適切ではない。彼は作品に自分を色濃く投影しているが、自己弁護よりはもっと苦しいもので、弁護なんて要素はない。

 この作品のバーサは身体を壊した娼婦。身体を壊していなくても、もう客は取れない。現実を現実として受け容れることができない人間。そいう人物が、ウイリアムズの作品には多い。

 彼の自伝を読むとよくわかる。ただ、彼の生活と彼の作品は、ぼく達にとっては別物。ジョン・ヒューストンが自伝の中で撮影中の書き直しに「天才」という言葉を使っていたと思うが、テネシー・ウイリアムズは脚本という場所があったからこそ救われた部分は多かったように思う。

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