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風の『ハムレット』を観る

 風の『ハムレット』を鶴城高校で観た。『マクベス』のほぼ2倍の長さで、T.S.エリオットは失敗作と烙印した。その作品が、きれいに刈り込まれ、一つの形として立ち上がった。見事だった。

 ぼくは卒論で『ハムレット』を扱った。その際に、幾つかの論文を読んだけれど、それに惑わされていたことを数十年後に風の舞台を観て気がついた。ある論文はちょっとしか出ないフォーティンブラスについてかなり力点を置いていた。ある作家はちょっとだけしか出ない二人の若者で芝居を書いた。ヤン・コットは「『ハムレット』はスポンジのように時代を吸い込む」と書いて、ぼくはそれに引き込まれた。

 シェイクスピアを専門にする主任教授の家に図々しく、大学演劇部の『夏の夜の夢』のチケットを売りにいったら、「座れ」と言われ、「向こうの演出家は研究者の意見を求める」云々と2時間ほど説教された。ぼくがただ一人だけ先生と呼べる人だが、研究者の論文では芝居は変わらないことがわかった。当たり前だが、現場でしか変わらない。シェイクスピアの作品を現場の感触で「こうだ!」を見つけて、初めて上演の価値が出る。研究者より遅かったら、現場の意味はない。

 風の上演は『ハムレット』がこういう芝居だったのかを教えてくれた。もちろん、それは一つの解釈でしかないのだろうが、面白く、刺激的な解釈だった。チャンスがあれば、是非!

 シェイクピアの作品の多くには元ネタがある。ぼくも彼の作品の一つくらいやってみようかと思う。この秋と冬に全部読み返してみようかと思う。

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コメント

近くにいるので

そのうち練習など見学に
行かせてくださいね。

投稿: ワタナベヨウコ | 2007年11月 3日 (土) 10時49分

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