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市報補足ー演じるということ

 昔から芝居を観た後の「褒め言葉」の一つに「役になりきっている」というのがあります。ただぼくは「役になりきる」という感覚がわかりません。学生時代に演劇を始めた頃から、なりきることができない自分に首をかしげていました。ダメなんだろうか。そんな時、女優吉田日出子がある演劇雑誌で「舞台は私になりきれる場所」ということを言っていて、それに救われました。細部にわたって、自分でこう演じるという方針で作り上げればいいのかな、と、思ったのです。演出がいるから、そこでダメが出れば、また考えればいい。ただ、他の誰とも違うものにしなくては意味がない。だから、ぼくの基本は「置き換えのきかない私」です。

 指定された台詞と動きをきちんとこなせば演技になるかというとそうじゃない。舞台に立つ他の役者と作り上げるものだから、そこがちぐはぐになると芝居が破たんしてしまう。演技の基本は相手の台詞を聴き、動きを見ることだと思います。そこで自分の動きと台詞が生まれる。観客の目の前で生まれるのが演技。これはよく見て、よく聞けば解決できると思います。でも、難しい。自分の台詞を間違わずに言えるかに懸命で目も耳も生きていないのです。だから練習しないといけないんです。

 練習の過程でビンビンに感じるのは自分自身です。理解力のなさ、技術のなさ、とにかく色々なことに直面する。吉田日出子の言葉の意味がわかるのです。舞台は「私になりきる場所」。自分のいろんな面に直面して、そこから逃げないことが大切なんでしょう。他人に手を抜いてもいいけれど、自分自身のことなので、手は抜けない。精一杯やるしかないのです。虚構の中で生きている私自身を如実に感じる。現実だったら、押しつぶされてしまうでしょう。芝居の魅力でしょう。

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コメント

私になりきる場所。ですか。面白いですね。現役時代、あまり感情的な役をしなかったので静と動をいかに舞台上で表すのかがすごく難しくて悩んでいました。私になりきる。簡単なようで一番難しい気がします。
大学生活と日程が合えば是非お手伝いしたいのですが、もし公演の日時が決まったら教えてください。観に行きたいです。

投稿: いよ | 2007年12月27日 (木) 21時45分

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