« ハーモニーランドに行く | トップページ | テネシー・ウイリアムズ『東京のホテルのバーにて』を読む »

テネシー・ウイリアムズ『東京のホテルのバーにて』を読む

 東京のホテルが舞台。本来は英語で上演されるから、日本人バーテンダーはぎこちない英語を喋るのだろうが、翻訳のため、その辺が浮かび上がってこない。それは、ニール・サイモンの作品についても、日本語にしてしまうと失われる面白さはあるだろう。作家としての資質を持ち合わせていないと、翻訳は作品を殺すことにもなる。昔、翻訳家河野一郎が、一つの作品が違う翻訳家によって訳されたものを比べると、間違いがおおいけれど、作品としてはより伝わり、面白くなっている、というようなことを書いていた。翻訳は難しい。職人芸の世界。この作品の場合は、さて、どうすればいいのか。

 孤独な魂は、極限状態で何かを求めると狂気に近くなるのか。画家は求めたところで何かを得られる訳ではないし、得たところでそれに応えることはできない。それをわかっているけれど、求めてしまう。そして、死んでしまう。作者が自分と重ねているのだろうか。奔放な妻は、求めながらも満たされず、やはり孤独な魂に思える。

 これからも読み続けるだろうテネシー・ウイリアムズ。ひとまず、終了。

 

|

« ハーモニーランドに行く | トップページ | テネシー・ウイリアムズ『東京のホテルのバーにて』を読む »

脚本」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: テネシー・ウイリアムズ『東京のホテルのバーにて』を読む:

« ハーモニーランドに行く | トップページ | テネシー・ウイリアムズ『東京のホテルのバーにて』を読む »