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東憲司『骨唄…骨、咲キ乱レテ風車…』を読む

 幕が上がって、舞台で展開する世界に初めて触れた時、戸惑いを覚えることがある。たとえば、河畔の赤テントで初めて唐十郎の芝居を観た時、舞台の奥の開け放った向こうには対岸が見え、男二人が川に飛び込み、泳いで渡り、舞台に上がって長靴にたまった水をこぼした時。ただ、あの時は戸惑った瞬間は既に舞台に引き込まれていた。

 この『骨唄』もまた戸惑いに始まった。その戸惑いは長く続いた。ただ、後半は面白く読んだ。舞台を観たくなった。しかし、その面白さがどういうもので、どこに起因するのかわからない。簡単に言えないからこそ、魅力的なのかもしれないけれど。男と娘二人の芝居だけれど、かすかの唐の風味があるような気もした。

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