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『かもめ』について

 今日もぼんやり、うっすら、考えた。『かもめ』の幕切れは発砲らしき音がして、医師が確かめに行き、彼の医薬関係のナンテロが爆発したと伝え、一人の人物に母親を連れ出せ、彼女の息子が自殺したんだと伝える。自殺した彼を主人公にすることは可能だ。モスクワ芸術座で演出したスタニスラフスキーはそういう演出をしたのかもしれない。しかし、「自殺した」という台詞で緞帳が下りる時、涙が出ない。

 悲劇=涙、喜劇=笑い。おそらく世界はそんな簡単な図式ではないのかもしれない。『リア王』だって、結構みんなズレていて、笑えるもんな。『マクベス』だって、あのせっかち病は、喜劇寸前でもある。喜劇とか悲劇とかいうレッテルで芝居を観るのは如何なものか、もしかしてチェーホフはそういう問いかけをしたのかもしれない。ダンテの『神曲』だって、原題にはコメディいの言葉あったような・・・(怪しい、ナ)。

 「喜劇」だからといって、人間を道具として扱う限り、芝居ではない。ここまできちんと書きこんでこそ芝居なのだ。そういうことなのか、アントン?

 ともかく、あと何回か読んで、次の作品に行こう。作品は多く、ぼくの余生は短く。しかし、とことん納得こそ、だ。今度はじっくり読んでみよう。

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