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何故学校に創造性がないのか

 今回の大分の問題は深刻だけれど、トップの部分のアホがどんどん暴露されている。自分のことばかり考えて、自分の仕事、仕事の対象を考えていないからこうなる。教育のトップがこれだから、問題は深刻だ。

 学校は世界で一番自由な場所であるべきだ。その方向で考えれば学校は面白くなる。ところが、汚職幹部連中はそんなことは考えない。形を与えてそれの結果だけしか考えることができない。つまり、自分がやってますというアリバイつくりしかしていない。そういう連中が設定する研修には受ける都度アンケートで下らないからやめた方がいいと書くのに、反映されない。経費の無駄遣い。一般企業では通用しない。

 創造力がない。

 自分の立身出世だけしか考えていないからではないか。自分のやっていることが見えていない。アホ。生徒の前に立つことから逃げた連中に何ができるのか。教育長が大分の教職員に声明を出したらしいが、冗談じゃない。不正に絡んでいるアンタの言葉に誰が耳を傾ける? 不正採用された人の首を切ったアンタは、不正採用した人じゃないか。犯罪者なんだ。その自覚を持てない感受性の連中が教育の中枢にいる。問題だ。

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