« 創作日記(5) | トップページ | 『ダイハード4』を観る »

葬儀の形

 昨夜通夜、今日葬儀に参列した。個人は一徹な人で、黙々と農業に取り組み、その一方退職した後は朝の子どもたちの交通指導に取り組んでいた。

 朝の交通指導は雨の日もあれば、冬は凍える。彼の前を通り過ぎる小学生は「何時ですか」とたずね、彼はその都度袖をちょっと上げて「7時14分」と答えていた。その子どもたちの母親の一人が「大変ですねえ」と言ったら、「こういうことができるのがありがたい」とこたえたという。葬儀では弔電披露の最後に、その子どもたちの代表からの感謝の言葉が読まれた。

 弔辞は友人、お別れの言葉は孫。孫の言葉の方が断然よかったのは、言葉に感情があるからだ。友人の言葉は、それを読む自分を意識してしまうのか、その都度乾いていく。孫のつたないけれど、ストレートな言葉はこういう時強い。孫の悲しみが伝わり、泣いてしまった。周囲からのすすり泣きはしばらく続いた。

 坊主も良かった。朗々とした声はつつましく、長くなく、気持ち良かった。彼は昨夜の通夜で歌うような読経をした。素晴らしい声で、オペラ歌手のリサイタルかと思うほどだった。

 ぼくもそんなに長くない。明日死んでもいい生き方、それは何なんだ。そういうことを深く考えさせられた葬儀だった。

|

« 創作日記(5) | トップページ | 『ダイハード4』を観る »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 葬儀の形:

« 創作日記(5) | トップページ | 『ダイハード4』を観る »