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日本作詩大賞

 たまたまテレビをつけたら「日本作詩大賞」をやっている。売れ筋でない歌もあり、これはいいと思う。売れ筋だけで流れたら、貧しくなるだけだ。

 ただ、何故「作詩」なのだ。歌の言葉は「歌詞」ではないのか。「詩」のほうが「詞」よりも優れていると考えているのだろうか。サザンの桑田は「こんなもんただの歌詞じゃねえか」と歌詞をまとめた。

 作詩大賞。首をかしげてしまう。作詞大賞でいいじゃないか。今、詩人が何をしてる? ポップ文化の方がはるかに効力を持っているじゃないか。詩人より、詞人だ!と声高に主張すればいいのに。情けない。

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幻想即興曲

 あるピアノ教室の発表会に行った。「きらきらぼし」から「幻想即興曲」まで、人間の成長とはこういうことなのだ、あなたはそういう成長をしていますか、そう問いかけられたような気がした。

 最後のショパンの「幻想即興曲」では、ショパンとおぼしき男が後ろを振り返りながら、前を走る女を追う姿を想像した。あの女はジョルジュ・サンドだろうか。根拠がない想像だから、幻想か。

 白眉は『幻想曲「さくらさくら」』。「さくらさくら」をピアノ曲に作ったのだろうけれど、咲き乱れる桜に様々な思い出が入り乱れて、桜が幻想的なくらいに美しくなった。演奏も見事。36人の「成長」の演奏は様々なことを考えさせてくれた。

 さて、6歳が「きらきらぼし」を弾いて、高校2年生がショパンを弾く。人間のコツコツはここまで成長させる。とてもかなわない。妙な知恵だけがついてしまっただけで、それは成長ではない。単なる世間ずれ。かといって、この汚れちまったオジサンにはなす術があるのだろうか。現在考えている脚本では、生きるということを見つめたいと考え、様々な本を読んだりしているけれど、ウーム。

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ポコペン

 下の娘が最近友達と遊ぶのが「ポコペン」ということ。その名前をつけた人は才能がある。一回聞いたら覚えてしまうし、音が弾んでいる。

 夕食、朝食の時の会話の7割はその娘。彼女は学校のあれこれを話してくれる。その時に必ずポコペンが絡んでくる。ナントカちゃんのことを話している時に、「だから、ポコペンができなかった」という風に。ポコペンが出てくると、ぼくにとって食卓が楽しくなる。どんなに大変なこと、つらいこと、シンドイことも、ポコペンが吹き飛ばしてくれるのだ。魔法の言葉だ。

 娘にとってはそんなもんじゃないのだろう。でも「ポコペンで遊んでいたんよ・・・」で、ぼくは昨日のモヤモヤも今日の溜息も消えてしまう。

 ぼく達の頃もポコペンはあった。「ポコペン、ポコペン、誰くっついた」というもの。でも、それとは違うようだ。小学生のお子さんがいる方、一度食卓で話題にしてみて下さい。食卓でないとダメです。

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これから、はて?

 大分にこんなものが生まれていたのか、と、思った。

 http://oitaweb.tv/

 

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宮本輝『蛍川』を読む

 川三部作の二作目。『泥の河』のあの少年が中学三年になったのかとも思えるが、あの少年が引っ越したのは新潟だったから・・・。

 少年を取り巻いていたのは生きることだったが、中学三年生には様々な事情だ。事情は誰にでもあるし、作ることもできる。ばあちゃんには、早退の事情に何度もなってもらった。「そういう事情なら仕方ない」という言葉はどこでも使われるだろう。だから、事情は、「狼が来た」という事情のように、冷酷に却下されることがある。

 ただ、最後の蛍の乱舞は美しい。でも、でも、でも、オラシオンが走る映像の方が好きだな。

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宮本輝『泥の河』を読む

 戦後間もない大阪が舞台。とにかく一所懸命に生きている人達を少年の目を通して描いている。生の手触り感がある。それだけで読んだ価値はある。

 豊かさとは生の感触を失っていくことなのか、と、時々思う。何もかもがファッションやエンターテインメントになってしまっている。かなり昔、ある評論家は1億そう白痴化と言ったが、当時は何のことやらわからなかったけれど、そうだと実感をもって理解できる。そして評論家の時代より、事態は深刻になっている。これには仕掛け人がいると、考える。ういう人たちにとって、民衆はバカな方がいいのだ。消費の道具でいいのだ。道具になり下がってはいけない。

 開高健は「人間は一本の管」と言った。入れて、出す管。中学生の時に買った江戸小話の本で理解できなかったものがあった。ある丁稚さんが店先で放屁する。近くにいた若旦那が「菜っ葉臭い屁だね」とバカにする。すると今度は若旦那が放屁。丁稚さんは「クソ臭い屁だ」と言う。逆転。ファッショナブルなアイドルもくたびれたオジサンも所詮は一本の管。空虚なものにしがみついた生き方より、もっと面白い生き方があると思うのだが、選択の自由。

 『泥の河』には生の感触がある。時には人間が確かめていいのではないかと思う。

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宮本輝『優駿』を読む

 来週から期末考査で、朝から英語不得意生徒のための試験対策講座をやり、休み時間、昼休み、放課後、その生徒達が押し寄せてくる。教員になって27年になるが、もしかすると、今が一番熱心かもしれない。それで、夕暮れの家路につく頃はぐったり状態。7時過ぎにベッドにもぐりこんだ。目が覚めて枕もとのG-SHOCKのライトをつければ、まだ11時過ぎ。それからウダウダしてたが、眠りに入れず、12時過ぎに起きた。ストーブもつけず、窓は開けたまま。風は冷たく。椅子に正座して、背中を丸め、宮本輝の『優駿』を読んだ。

 オラシオンという馬の周辺の人たちの物語。面白い。競馬に興味を覚える。今まで読んだ宮本輝の作品では一番面白い。作品の中の言葉を一つ。

「死のうなんて、頭がよくて心が腐っている人間の考えることさ」

 29年前、一度だけ競馬場で馬券を1枚だけ買ったことがある。大井競馬場に『俺達のDJ』という単発ドラマのロケに行った時のこと。パドックというのか、出走馬がズラズラと歩くのを見ながら、顔立ちのいい馬を選んだが、もちろん当たるはずはない。日頃競馬とかに触れる機会は皆無なので、思いだすこともなかったが、小説って、何かに触れては、そういう忘れていたものを思い出させることがある。

 頭の中でオラシオンが風を切って走っている。たぶん、この鮮明な映像を保存するためには、競馬場に行ったらダメかもしれないナ。

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三島由紀夫

 今日は三島由紀夫の命日だった。

 高校の国語の時間、始まるとすぐに教師が「三島由紀夫が死にました」と言った。徳永という名前の先生だったが、この先生は好きだった。彼の言葉は信用できた。その時、ぼくは三島なる人物についての知識は皆無だったので、何か偉い人が死んだのだナと思っただけだった。大学に入って、文学をかじりはじめ、三島の作品をいくつか読んだ。『潮騒』を読んだ時、ああこえは高校時代に読んでおけばよかったと後悔を後に立てたものだった。

 三島の幾つかの映像をユーチューブでみた。東大全共闘達とのセッションは面白い。全共闘世代の学生は形の是非はともかく、時代や日本と本気で向き合ってた素晴らしい世代だったのかもしれない。もちろん中にはとんでもない奴らもいただろうけれど。三島の締めくくりの言葉もいい。

 時代や日本にそっぽを向く人が増えているのかしれない。三島が生きてたら、日本の今に何というのだろうか。興味がある。

 

 

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「出張なんでも鑑定団in佐伯」収録を観に行く

 娘が出したハガキが当たり、佐伯文化会館の収録に行った。市長の挨拶、AD(?)が拍手等の練習をして、2時間。放送では15分前後だろうけれど、来年で16年目を迎えるらしい長寿番組は、司会者に会場をどんどんわかせようとして、長い人は30分ほど。隣で観ていた上の娘が、「佐伯にもお宝があるんやなァ」とつぶやいた。

 満員の会場。いつか、これだけの観客を前にして、会場をどよめかすような舞台がつくれたら・・・。そんなことを考えた。

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芸能人とアーティスト

 テレビ番組で、芸能人が描いた絵を買ってもらい、そのお金でカンボジアの子どもたちに学校を建てようという企画をたてた。100枚の絵で1億を超えるお金が集まった。

 一青窈という歌手が現地に行き、子どもたちと触れ合い、歌をつくって、2度目の訪問に備えて、子どもたちが歌の練習をしていたが、あの歌は難しいんじゃないか。ただ、彼女は素晴らしい人だ。生き方が前面に出ている。それが彼女をこの上なく美しくしている。小室は爪の垢をいただいたらどうか。その前にぼくが欲しいけれど。

 芸能人もアーティストも自分から名乗ることではなく、他人が呼ぶ名前だろう。自分でアーティストで名乗るちゃんちゃらおかしは、ヘソでわかした茶うけでしかなかろう。一青窈は、いい。読み方もようやっとわかったけれど、どこで区切って読むのかがわからないけれど、断然いいな。

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『パフューム』を観る

 職員室の片隅にぼくの席はある。背後の壁、脇の棚を独占できるので、実に都合がいい。脇の棚は、詰め込めば500冊くらいは置けそうだ。そこを整理している時、『Perfume』という小説をみつけ、最近原書は買わないナと思いながら流し読みしたら、主人公が生まれる時の描写で、悪臭を表すと思われる(メンドーなので辞書は引かない)単語が山とある。それで第一章で放った。今日、そのDVDを見つけた。

 不幸な誕生と生い立ちの男が、神が授けてくれた「鼻」を生かし、香水の調合士になるが、神の世界に「香り」で入っていくというか、そんな物語。よくできているけれど、これは小説の方が面白いかもしれないと思う。素晴らしい香りを、映画では春の楽園の映像を絡めて表現していたが、はて、小説ではどう表現しているのか。そこに興味が湧いた。放った原書で確かめるか? そんな気力、ねえや。

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記念日

 ビデオでの記録をしないことで、どこか、子どもに申し訳ないような気持ちは今もある。でも、子どもには悪いけれど、この目に焼き付けておく方がいいと考え、とにかく見ることに専念した。デジカメで雰囲気みたいなものは記録して、それを日記に貼り付けて、書いている。

 その記録を読み返して、たとえば初めてアイスクリームを食べた日とかがあれば、アイスクリーム記念日とかにすれば、面白いかもしれない。ぼくはそこまではできない。それは、いずれDVDで渡された時、自分ですればいいか。

 忘れられていく日々。忘れるのもいい。ただ、時に思い出すことができてもいい。それは、動画より、一枚の写真とそれに添えた文章の方がいいとぼくは思う。

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宮本輝『ドナウの旅人』を読む

 母親がドナウ川をみたいと旅に出て、娘が後を追う。すると、母親は17歳も年下の男と一緒で、娘は昔の恋人と再会し・・・。

 800ページの長編小説。主人公はドナウ川か。書かれた頃と今では状況は大きく変わっているだろうが、ドナウ川が注ぎ込む黒海までの7か月の旅は面白かった。

 年下の男は4億5千万の借金を背負い、死ぬつもりの旅だが、皮肉な結末となる。

 返した後、宮本作品を2冊借りた。弁当を食べながらの読書だけれど、現在学校の図書利用7位。年度末までには、3位以内に入りたい。

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『ジョージ・コフマン特集』を読む

 書籍を整理しているが、なかなか進まない。また読むかどうかを基準にしているが、中には悩むものもあり(こういうのは処分に回すべきだとはわかっているのだが)、時々読んでいないものが出てくる。それが、法政大学出版会が出している「アメリカ演劇」のジョージ・コフマン特集。

 何故買ったのかとんと覚えていないので、一気に読むことはなかろう、と、トイレに置いて、座るたびに少しずつ読んだ。1900年代前半を代表する喜劇作家らしい。共同執筆が多かったらしいが、読みながら、三谷幸喜が念頭に何度も浮かんだ。面白そうなのだが、今まで名前を聞いたこともなく(何故買ったのか?)、翻訳が出ているのかどうか。たぶん出てないのではないか。これから、調べてみるけれど、もし、情報があれば、是非知らせて下さいませませ。

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増田明利『今日、ホームレスになった』を読む

 15人に取材したもので、管理職や経営者が中にはいる。ビルを持ち、BMWに乗っていた人が、今は手荷物を持って転々としている。その実態に驚くばかり。

 15人の中には今の暮らしの方が気楽でいいという人もいるけれど、本心なのか、それとも認めてしまうと今を支えられなくなるからなのかはわからない。ただ、多くは悔いと苦労の毎日だ。

 厚生労働省の調査では現在のホームレスは1万6千人程度だとか。ところが、その調査が、そういう人がいる公園などに係員が出向き、昼間、目視で数えるという方法らしいので、実際はもっと多いと増田は書いている。

 15人の転落の様子に触れ、これは他人事ではないように思えた。現在の不景気は更に多くのホームレスを生むかもしれない。身の丈にあった生き方と、今の仕事があるだけでも幸せだと考えることが肝心か。

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創作日記(7)

 人物や状況を考えて書いていたものの、浅いと思い、色々と調べている。現在はホームレスんついて。

 風呂に入っている時に、何かいい文献はないものかと考えているうちに、昔安部公房がカメラに凝っていた時、その頃は「ホームレス」という言葉は使われていなかったが、そういう写真と文章の本があったことを思い出した。はて、あの本は何処に。もしかして処分してしまったのか・・・。

 調べるほどに混沌は深まる。ただ、この際、もっと深めてみようと思う。どっぷりはまることができれば、きっとある感触がつかめるはずだ。よって、脱稿は大幅に遅れそう。

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中央演劇祭を観て

 高校演劇の全国大会では7人(だったか・・・)の審査員が上演校中でよかったと思うものに○を3つつけ、その結果をもとに協議するらしい。○をつける人には1番から3番までの思いはあると思うが、それは表には出ず、上位3校だけを投票するらしい。(今は違っているかもしれないし・・・)

 演劇の審査は難しい。おそらく審査員にとっては文句なしの全員一致の舞台があれば、気持ちの上では楽だろうと思う。なかには、コンテスト形式に反対する声もある。順位をつけるのはおかしい、と。ミカンとリンゴを出して、どっちがおいしいですかなんて成立しない。いや、同じリンゴにしても、柔らかさ、甘さの度合いとかで好みは異なる、とか。審査する人は好みでは審査しないだろうけれど、評価の基準は異なるだろう。それに対して、コンテスト形式があるからこそ、高校演劇は成長していく。そういう考えの人もいる。確かにそういう部分は大きい。

 審査結果について誰もが納得することはまずないと思う。そのどこか不明な曖昧な部分があるから、高校生の演劇は多様ではないだろうか。生徒や顧問が躍起になって生まれる舞台は、順位の枠には収まらないものがたくさんある。

 もっと書きたいことはあるけれど、この辺で。

 

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中央演劇祭を観る

 久しぶりに高校演劇の大会に足を運んだ。風邪で「ルルゴールド」を飲んで会場に行くと、既に開会式は終わっていた。会場のあちこちに馴染みの顔がチラホラ。芝居は身体にいいのか、そのまま夜の会にも参加した。

 午前のワークショップを見学し、講評の途中で会場を後にし、弥生で携帯に審査結果がメールで届いた。最優秀は安心院とのこと。芝居は観る人で評価は異なる。ぼくの最優秀は日田三隈だったのだが・・・。

 ただ、一番強烈だったのは、昨夜の3次会で、音響氏と行った店。老人4名が深夜の居酒屋で飲んで、歌って、時に口論したりで、それはそれはすさまじいことこの上なし。元気なじいちゃん、ばあちゃんに励まされたり、老人に対するイメージが一変した。いいなあ、ああいう老人。くたびれていてはいけない。頑張ろう。 

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『カポーティー』を観る

 風邪で早退。歳とると、風邪が長引く。帰りにコンビニで「ルル」の液体を買ったら、これが効いた。18歳の朝の元気だ。これからは、ルル。

 最近、パソコンでDVDを観ることが多い。今日は『カポーティー』を観た。先日レンタル店をウロウロしてたら、売れ筋は何枚もあるのに、売れそうにないそれは一枚だけで、借りられていた。それで次に行った時、あった!

 同名の本をずっと読んでいた。もしかすると足かけ10年になるかもしれない。とにかく長い。時々思い出したように読みながら、あと2,30ページで放置のまま。はて、どこにあるのか。最後までたどり着いていないものの、そこまで読んだ下地はあった。それと、映画は『冷血』を書くカポーティーが描かれていて、それは昔読んでいたので、確かめながら観ていたところもあった。

 『遠い声、遠い部屋』は文庫本で2冊買った。読んでないから、また買っただけのこと。『ティファニイで朝食を』を、オードリーのファンだったので買ったが読んでいない。カポーティーは、まだ作品を発表していないのに、『ライフ』で今後期待できる作家として紹介されたらしい。そんなこんなで買ったんだろうけれど、数ページで、ポイ。『冷血』は最後まで読んだ。読ませられた。タイトル以外は何もおぼえていないけれど。

 映画はよくできていた。主演俳優はうまい。風景の切り取り方も、旅愁を誘う。でも、この映画で何を描きたかったのだろうか。トルーマン・カポーティー。フルネームではない。『冷血』の頃だけを描くにしても、まだ彼を描くことはできたように思う。

 作品の最初、饒舌で周囲を引き寄せようとするカポーティーがジェイムス・ボールドウインの名前を出す。読んでみようか。

 

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品川能正『サムライ 高峰譲吉』を読む

 タカヂアスターゼとアドレナンで世に知られた化学者。今の時代ならノーベル賞ものなのだろうか。評伝劇である。品川は最近この手の作品が多い。

 井上ひさしも評伝劇を書くが、彼は大量の資料に当たり、隙間をみつけるらしい。その隙間については何も残っていないから、そこを創作するらしい。評伝劇は。事実が残っているから、その点をどうつないでいくかが難しいと思う。ただ、ひさしの描く人物が実在ということを知らなくても、楽しめる。知っていれば、こう料理したか、という面白さもあるだろうが。

 それに比べると、この品川の作品は人物紹介的な作品に思えてしまう。ただ、そういう人がいることを知るのもいい。「タカヂアスターゼのタカは高峰のタカではなく、ギリシャ語で強いという意味なのだ」と知ったかぶりもできるし、それにノーベル化学賞を日本人が取った時で、さらに日本人として自信みたいなものを与えてくれる。芝居とは関係ないが・・・。

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創作日記(7)

 廣瀬さん、コメントありがとうございます。ブログに書き込みして、夕食後、すぐ寝ました。物音で目を覚ましたのが10時。それから脚本に向かっていますが、風邪は峠に差し掛かっている模様です。トイレットペーパー、使いまくりです。多分、風邪は、脚本の洗い直しのためには必要だったのでしょう。そう考えるようにしています。何事も。廣瀬さんこそ、職場は、下界よりは冷えるのではないでしょうか。冬へと傾斜する季節、ご自愛を!

 さて、めぶき園で、利用者の詩吟、ハンドベル、太鼓に体液を揺られて、その効果が出てきたようで、今まで頭でこねくり回していたところが崩れ、崩れたら、ある感情みたいなものが芽生えた(めぶいた、と、言うべきか)。その感情がそれまでのっぺらぼうだったものに名前をつけてくれる。鼻水には負けるが、出てくる、出てくる。頭の感触の何ともろいことか。やはり感情、感覚の方が大切だな。時々、人間は肝心なことを忘れてしまう。

 目がさめて、部屋のテレビをつけると、太田光の「わたしが子どもだったころ」をやっていて、それも、ヒントになった。やはり、起きなければならなかったのだろう。この世に無駄はない。受け止めるか、受け止めないか。それだけだ。グータラ人間、久々にキャッチ。

 雨音を聴きながら、もう少し。今日が休みでよかった。ああ、鼻水が出る。

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「めぶき園まつり」に行く

 もうやがて20年になるけれど、演劇を通して知り合った友人の案内を受けて、出かけた。57号線から坂道に右折してしばらくは心細くなる道の細さ。この道を帰るのか、と、考えると、離合の不安が高まった。後で彼に確かめたら一方通行とのこと。ホッ。10時オープニングだったが、20分ほど前に着いた。地球上の氷が溶けても、すこぶる安全な素晴らしいロケーション。遥か遠くをみれば、大きな自然と小さな私。悩みなんか吹っ飛びそうだ。

 早く着いたので、彼が陶器を焼く作業場と釜を見せてくれた(ぼくはいつか焼き物をしたいと考え始めて、17年になる)。その後、ぼくらの公演を観たがっているという女性を紹介してくれた。可愛く、感じのいい人で、20歳若ければ、恋心を抑えるのに七転八倒したことだろう。

 ぼくは彼をもっと知りたいから、行ったので、彼の動きや、利用者の人たち、それと施設以外は興味がなかった。風邪のせいというより、歳のせいでボケているぼくにも、彼らの真摯と懸命は刺激になった。何よりも、芝居に向かう意欲が高まったのだから。

 昼、熊本から友人夫婦が犬を連れて到着。旦那は、昨日は国立競技場でトリニータの勝利に感涙して、昨夜遅く帰っの朝だ。車を降りて歩いてくるところを上からみると、奥さんは少女のようだ。ウ~ン、羨ましい。

 熊本夫妻+犬が去った後、友人に挨拶をしたら、彼女を再び呼んでくれた。確実にインストールされちまった。

 帰りは、野津から林道を走って本庄に抜けた。野津と本庄の堺のトンネルの手前に湧水があり、そこで、車に積んであるペットボトル8本にメダカ用の水をゲット。

 風邪の症状がどんどんのさばってきて、おふくろを訪ねたが、風邪をうつしたらいけない、頭がボウーッとして、3分で帰った。

 今、めぶき園で買った陶器のグラスで焼酎を飲んでいる。充実の一日のピリオド。どんなもんだい。

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『ラブソングができるまで』を観る

 主演のヒュー・グラントは普通の人っぽくて、憎めなくて、好きな俳優だ。共演のドリュー・バリモアも愛嬌のある顔立ちで、やはり憎めない。憎めない二人の映画だが、映画はつまらない。面白くしようとするあの手、この手がことごとく失敗している。新しさもなければ、確かめることも何もない。時間の無駄だった。レンタル店に行く時は、老眼鏡を忘れないようにして、説明を読まなくてはいけない。ん。

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トリニータ、優勝!

 初めて、サッカーの試合を最後まで観た。最後まで観らせるほど、緊迫したいい試合だった。やはり、感動は懸命さでつくられることを再認識した。シャムスカ監督、『ダイハード4』のFBIの副局長だったか、彼に似ているのだが、どうだろう?シイタケと温泉だけの大分がここまでやれたのだから、彼らに負けない情熱と取り組みで、芝居に向かおう。ん。

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