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山本一力『あかね空』を読む

 小学生の頃はゴーヤが嫌いだったが、今は好物。高校生の頃は佐伯に魅力を感じなかったが、今は終の住処。大学の頃は経験なんかなくても想像力があると信じていたが、今は一つの経験が次の経験へ、と、考えている。初心を忘れるなというけれど、忘れていなかったらと考えるだけでぞっとする。

 山本一力という名前は知っていた。だが読んだことはなかった。読もうとも思わなかった。昨年図書館で『だいこん』に何故手を伸ばしたのか。今でもわからない。面白かった。どでかい人間や出来事はないが、だからこそ自分の隣にいる人間としみじみ話すような、そこに味も魅力もある。

 『あかね空』は京都の豆腐職人が江戸に出て豆腐で生きていく親子2代の物語。名所を訪れたというより、ふと入り込んだ路地で出会う歓び。山本一力の作品はそういう意味で忘れ難い。

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相撲界は異常だ

 もう引退だといわれた朝青龍が優勝して、視聴率も上がり、ウハウハだったのが、朝青龍のガッツポーズで問題になっている。アホみたい。優勝したんだ、それくらいやらせてやれよ。

 異常だな。相撲界は。誰のための相撲なんだ。協会やら審議会やら、アホの最先端。ともかく、ガッツポーズくらい、やらせてやれよ。

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大石静『愛と青春の宝塚』を読む

 ここ数年痛感する一つは、子どもたちの聴く力が落ちていること。かなり力を込めて話しても、伝わっていないことがよくある。そのことを漏らすと、同僚も相槌を打つから、ぼくの老いが原因とも思えない。そしてぼくは学力低下の一番の原因は聴く力の低下だと、ほぼ確信している。ぼく達は机で学ぶことより、耳から学ぶことの方が圧倒的に多い。耳の使い方は乳幼児の頃に教わると思うが、となると、親に責任がある。

 百回聴くより一回観る方が確実だ、と、言われる。でも、ぼくは目はあまり信用していない。観てわかったと思うのは怖いとさえ思う。ともかくよく聴き、よく観るようにしてはいるけれど、それでもわからないことが多い。もともと耳と目の情報を統合する頭の性能があまりよくない上に、最近は老いが拍車をかけている。

 宝塚音楽学校は廊下を曲がるとき、直角に曲がらなければいけない、とか、宝塚に興味のないぼくにも幾つかのことが目と耳を通して入ってくる。NHKのBSでもよく放送されており、ということはそれなりの人気があるのだろうが、誰それが退団とかのニュース以外に報道されないのは、組織がしっかりしているし、彼女達がしっかりしているからだろう。とにかく何も知らない宝塚なのに、何故か知ったような気になっている宝塚。

 大石静の脚本のタイトルに宝塚の感じがピタリと重なる。他にはないくらいのピタリ感がある。あまりにピタリとしていて恥ずかしさを覚える。大石に戸惑いはなかったか。だが、一回思いついたら、もう逃れられないタイトルだろう。年末だったか、藤原紀香主演のテレビドラマでほぼ同じ内容のものを観た。芝居の方は歌がふんだんに入っている。タイトルも内容も、宝塚。これでいいのだ。

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みうらじゅん『色即ぜねれいしょん』を読む

 旅行社が卒業旅行を大学生から高校生にまで触手を伸ばしているというニュースに触れたのは何年前だったか。ニュースに出ると、「かなりの高校生が」と思ってしまうが、実際はどれだけなのか。大学生の卒業旅行にしても、最盛期でも、してない学生の方が多かったのだ、きっと。

 『色即ぜねれいしょん』は高校生のひと夏の経験がメインに描かれている。フリーセックスという言葉が多用されるが、性的な描写は皆無。何か特別なものではない。ただ、最後まで一気に読んでしまった。書店で目にとまり、何気なく手にして、買って、一気に読ませたものは何なのか。たぶん、フツーの高校生のフツーの生活をかっちり描いているからではないだろうか。ぼくは主人公の言動に何度もうなずいたのだった。

 映画化され、この夏公開されると腰巻には書いてある。映画よりは読むのに少し時間がかかるだろうが、読んで想像する方が断然面白い。ウン。

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『16歳の教科書』を読む

 歳をとるにつれて増えるのは後に立つ後悔。ぼくなんかジャングルを成すくらい。その後悔ジャングルの一区画が学習、勉強、学校関係で、ここがダウンタウン。高校時代の学習、大学の選択と入学後のあれこれが中心。

 もう十分後悔した身にさらに追い打ちをかけるが、学生にはバイブルみたいな本が、『16歳の教科書』。 

 ドラゴン桜公式副読本とあり、「なぜ学び、なにを学ぶのか」と副題にある。各教科、一流の講師がわかりやすく話してくれる。うちの娘の机の上にそっと置きたい本だ。今なら間に合う。

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ニール・サイモン『ビロクシー・ブルース』を読む

 脚本に取り組みながら、なかなかまとまった時間が取れず、思うようにいかない毎日だ。教師という仕事は手を抜こうと思えばそこそこできるが、とことんやろうと思えば際限がなく、とことんやったところで生徒にその気がなければ空振りになってしまう職業だ。ぼくは「とことん」がどれくらいなのかわからないが、「とことん」の「と」くらいはやっているつもりだけれど、学力の幅が大きい現状に対応しきれず、無力感を感じることが多い。これは脚本がすすんでいない言い訳だけれど。

 授業にも持ち歩くノオトに最近書いたのは。母の少女時代を想像するっていう台詞。ある時、ふと、おふくろはどんな青春時代をおくり、どんなことを考えたり、笑う時はどんな風に笑ったんだろうか・・・などということを思うようになったのを登場人物に言わせてみようか、と。何故そんなことを考え始めたのかはわからない。ただ、試験監督の時に、問題に取り組む生徒の中に、おふくろに近いとしたら、と、さがしていたりする自分がいたりする。

 『ビロクシー・ブルース』はサイモンの青春時代が根っこにあるらしい。青春時代ってのは、どこの誰も似たりよったりで、滑稽と哀切の間を往復するだけの時間なのかもしれない。そしてその振り子の幅が大きいほど、面白くなり、輝きを増す。若い時に旅をしなかえれば、老いた時に何を語れる、というようなことをゲーテは言ったらしい。青春を語れるのは老人だけなのかもしれない。失って初めてわかるものなのだろう。

 

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宮本輝『愉楽の園』を読む

 外国に行ったことはないし、行きたいとも思わない。あえて行きたい国を挙げれば、アイルランド。ベケット、ジョイスの生まれた国だから。映画『サウンド・オブ・ミュージック』のロケ地のザルツブルグも魅力的な町に思えた。ただ、こうやって挙げていき。意識を外国に向けていくと多くなる。多くなるけれど、日本のあちこちにも行きたいところがたくさんあるので、そちらを優先というのが実情。

 この宮本作品の舞台はタイ。タイの魅力も感じた。しかし、外国を放浪する男とタイの男の愛人になった女は無国籍で、無国籍だからこその部分もあるけれど、だから根っこがないようにも思えたりする。気楽に愉しめばいいのだろうけれど、愉しむには作品に無理があるように思えてならない。読むのに足かけ2年かかってしまった。

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野田秀樹『パイパー』を読む

 なかなか以前のようにインターネットに接することができない環境になり、それはそれで多大な時間を他のことに使える喜びもあるからいいのだけれど、これはブログに書きたいと思うクセは消えていないので、そういう時にもどかしさを感じる。

 文芸誌『新潮』に野田の新作が掲載されている広告を観て、帰りに書店に急いだ。なにせ文芸誌は少ないから、佐伯に芝居好きが2人いたら、もうあぶない。一冊はあった。一週間ほどカバンに寝かせて、読んだ。やはり。わからん。野田はわからん。

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蜷川家の家訓

 1.いつでもどこでも男を捨てられる女であれ。

 2.経済的にも精神的にも自立せよ。

 3.出来るだけたくさんの男と付き合え。

 4.なにしてもいいけど妊娠だけはするな。

 5.従順なだけの女にはなるな。

 6.男に騙されるな、騙せ。

 7.なにより、かっこいい女になれ。

 8.自分が正しいと思ったら、なにがなんでも突き進め。

 9.過激に生きろ。

10.妬むより、妬まれろ。

 昨年10月の朝日新聞のコラムに掲載されたそうですが、今日の朝日にも掲載されていました。蜷川らしい。

 生まれた時、ぼくらは白地図を手にする。そして時間をかけてその白地図に色を塗っていく。その地図をもって死んでいくわけだけれど、自分で納得いく地図になっているか。生きているからできることを愉しみたい。

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畑澤聖悟『河童』を読む

 部屋でインターネットはできないので、パソコンを持ち歩いての形でどうにかというところまで復旧しつつある。これも、ノンベンダラリとインターネットをすることがないからいいのかも。

 家屋内で喫煙できる場所がなくなったので、ウッドデッキで吸っていた。今日は風がなく、太陽が顔を出せば、外でも上着が要らなかった。そこに書店の配達。『せりふの時代』と『テアトロ』。この配達のサービスはいい。

 畑澤聖悟の『河童』は昨年の高校演劇の全国大会で最優秀だったらしい。ぼくが高校演劇の顧問を始めた頃には考えられないいい脚本だと思う。あの頃なら、逆だったかもしれない。『河童』のラストから始まり、幕開きに向かう、というような。ある日、女子高校生が河童になってしまう芝居。日常に一つポンと異分子を置けば、芝居は転がっていく。女子高校生が河童になるんだ。突いてくる。

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明けて久しい寒さかな

 書きたいことが書けないつらさをほんの少し。

 んじゃ。

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