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ニール・サイモン『ビロクシー・ブルース』を読む

 脚本に取り組みながら、なかなかまとまった時間が取れず、思うようにいかない毎日だ。教師という仕事は手を抜こうと思えばそこそこできるが、とことんやろうと思えば際限がなく、とことんやったところで生徒にその気がなければ空振りになってしまう職業だ。ぼくは「とことん」がどれくらいなのかわからないが、「とことん」の「と」くらいはやっているつもりだけれど、学力の幅が大きい現状に対応しきれず、無力感を感じることが多い。これは脚本がすすんでいない言い訳だけれど。

 授業にも持ち歩くノオトに最近書いたのは。母の少女時代を想像するっていう台詞。ある時、ふと、おふくろはどんな青春時代をおくり、どんなことを考えたり、笑う時はどんな風に笑ったんだろうか・・・などということを思うようになったのを登場人物に言わせてみようか、と。何故そんなことを考え始めたのかはわからない。ただ、試験監督の時に、問題に取り組む生徒の中に、おふくろに近いとしたら、と、さがしていたりする自分がいたりする。

 『ビロクシー・ブルース』はサイモンの青春時代が根っこにあるらしい。青春時代ってのは、どこの誰も似たりよったりで、滑稽と哀切の間を往復するだけの時間なのかもしれない。そしてその振り子の幅が大きいほど、面白くなり、輝きを増す。若い時に旅をしなかえれば、老いた時に何を語れる、というようなことをゲーテは言ったらしい。青春を語れるのは老人だけなのかもしれない。失って初めてわかるものなのだろう。

 

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