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坂手洋二『戦争と市民』を読む

 以前、学年通信に、一日を動詞だけで綴ったことがある。補助線として目的語を入れたけれど、B4サイズなのでかなりの動詞を使った。

 中学校の時の社会の教師は、家にいくつ蛇口があるか、いくつモーターがあるかで、文化程度がわかるといっていた。ぼくはすぐに数えた。蛇口は2つ、モーターは、・・・、冷蔵庫と洗濯機くらいだったろうか。ウチは文化程度が低い、と、思った。

 人間と動物では動詞の数が圧倒的に違う。人間だけにあって、動物にはない動詞が、もしかすると人間をよくあらわしているのかもしれない。

 今日は暖かく、春のようだった。家の周辺の枯れ葉やごみを拾った。首輪をはずした愛犬がついてまわった。彼女の住まい周辺を片付けているぼくをみている彼女に、「人間の文化って不思議か?」と訊いた。もちろん、彼女が応えるわけがない。応えない彼女の視線に、ぼくは恥ずかしさを覚えた。

 『アメリカ古典文学研究』の冒頭でロレンスは「一番不自由な人間が一番自由だ」と書いた。文化も度数が増えるほどに、不便になっているのかもしれない。景気がよくなったら消費税を上げるという政治家は、幼い。将来の人間像が全く見えない議論ばかり。早く「政治家検定試験」をつくって、「この人はトップ当選でしたが、準2級でした。滑り込みセーフですね」というのもいいナ。平和を守ろうとすると、その守る行為が悲惨を招くこともある。

 戦争は莫大な浪費と犠牲。どんな正当化も成立しない。

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