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倉本聰『時計』を読む

 どこかで会ったことがあるような、あるいは、あの人はヤギに似ている、そういう問題を解決するために考案した理論が「世界の生命素の量は一定である」。

 ぼくがテレビの仕事に入って最初についた先輩Sさんは顎鬚をはやし、顔の感じもヤギに似ていた。この人の祖先はヤギかいな、と、思うほどで、でも、そんなことはない。そこでぼくは、生命を宿した生物の体が滅びる時、その生命素は新しい体を求める。生まれつつあるものに、それは宿る。そして新しく誕生したそれには、その生命素の以前の記憶があるので、以前の容貌に似たものになる。何という画期的な理論だ。ただ、ベケットの『ゴドー』の「誰かが泣きやむと別の誰かが泣き出す。誰かが泣き出すと別の誰かが泣きやむ。だから世界の涙の量は一定である」の台詞を使わせてもらったのだけれど。

 「生まれかわったら・・・」という台詞が『時計』の中で数回使われる。明治初期の北海道でのドラマ。最後は、生まれ変わったと思われる登場人物が、現代の雑踏の中ですれ違う。命の不思議みたいなものを感じた。

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