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山頭火という人

 金子兜太の『放浪行乞』の中で紹介されている山頭火の句のなかで一番好きなのは「後ろ姿のしぐれてゆくか」。引き締まっている中に、山頭火の覚悟と寂しさみたなものを感じる。金子はいい句は褒め、ちょっと甘かったりしたら遠慮なく指摘する。そこが面白かった。

 山頭火は各地を放浪した。一所に定住できなかった。金子の文章で放浪した地域をざっと知ることはできる。熊本を出て、鹿児島、宮崎、さて、もしかして佐伯が出るか、と、期待していると、竹田になっていて、ガッカリ。

 山頭火は酒が好きだった。造り酒屋の息子だったからか。彼が後を継ぐものの、結局はつぶれてしまう。熊本で店を持つが、あまり商売熱心だったようではなく、俳句と酒の日々。酒での失敗談は多い。どうしようもない人間だった。ただ、そのどうしようもない部分がうまく機能すると、句に出る。離婚して、彼は旅に出る。旅でつくった句の方が家でつくった句より、はるかにいいように思う。ぼくは秋口になると、教室から青空を眺めては芭蕉のいう「漂泊の思い」に駆られるけれど、山頭火の放浪を知ると、その困難、労苦、貧しさ、切なさ、寂しさに自分の甘さを痛感する。疲れ果てて定住しようとするが、また放浪する山頭火。どうしようもない人間の覚悟には並々ならぬものを感じる。ぼくにはその覚悟がない。なかった、と、過去形にしなければ。

 

 

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