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雫井脩介『犯人に告ぐ』を読む

 明日が下の娘の運動会のため、今日は出航日。いつものように近くまで車で送り、メダカの水くみに道の駅弥生まで行く。メダカと書いたが、メダカということでもらったけれど、体長が7センチはある。そんなに大きくなるだろうか。10数匹でスタートしたけれど、今や3匹。彼らの水槽の水を2週間に一回汲みにいく。その後、ウッドデッキで読書。

 WOWOWで放送され、娘たちの母親が熱心に観ていた。彼女はトヨエツのファンなのだ。ぼくは観なかった。トヨエツは好きじゃないからだ。でも、作品は面白かった。読みながら場面場面がはっきり見える。連続児童殺害事件に挑む捜査員の指揮官を中心に捜査という行為が主人公になっている。2段組み372ページの最後の数ページで犯人がちょっと出てくるが、作品はその犯人の人柄や犯罪の何故にはほとんど触れいないまま小説は終わる。でも、不満は残らない。面白かったという思いだけが残る。ただ、どうしても、主人公にトヨエツを重ねてしまって、邪魔で仕方なかった。

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シジミ掘りの場所

 お答えします。長瀬橋と稲垣橋の上流半分の部分でみんな掘っています。多い時は20名近く掘っています。ぼくはちょっと腰が悪化したため、しばらくは掘ることができません。帰郷の際は是非掘ってみて下さい。番匠川と対話しながら掘るってのも、結構いいものです。思い出を手繰り寄せながら掘れば、収穫が少なくても、充実感があるのではないでしょうか。

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プリンターのインク

 先日プリンターのインクが切れたために印刷できなくなり、往生した。

 その時不思議に思ったことがある。電気店には、正式名称は忘れたがリサイクルのインクみたいなものを売っていた。ぼくのプリンターはインクを8本使う。その8本で2000円台。これは安いなと思っていると、店員が来て、「それは故障の原因になることもあります」と言った。それで純正の6000円台のものを買った。

 疑問は、「故障の原因」になるものを置くなということ。故障するということがわかっているのに売るのは問題じゃないか。販売店はそこまで責任があるんじゃないか。でも作る側は、故障の原因になるものを作るのか。そうではないような気がする。ただプリンターは比較的安い。買わせるんだな。でも、その後の使用に関してはえらく金がかかる。パソコンにプリンターとデジカメセットで安く売る裏には、たぶんインク代、紙代とかで取り返そうとする魂胆があるのではないか。気をつけないと。

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中学の運動会に行く

 昨年に比べて今年の運動会は断然面白かった。たとえば、100メートル走で選手の紹介をアナウンスすると、生徒が声援を送る。これだけでも観客は引き込まれてしまう。そして、騎馬戦ではハチマキ取りではなく、どちらかが倒れるまでの取っ組み合いをする。闘うということはこういうことなのだ。ともかく、全ての競技に懸命に取り組む姿があった。それが面白くした。

 何事にも、取り組む時は懸命になることなのだ。一日の終わりは、エネルギーを使い果たした時。若い時はそういう毎日だった(こともある)。ところが、最近はどうだ。あの頃のぼくからNOを突きつけられないか。明日からの生き方にいい刺激をもらった。

 

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次回の芝居については、多くを語るのは

以下のHPの掲示板ですので、よろしくお願いします。

http://www.saiki.tv/~thetruth/index.html

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プリンター問題解決

 8種類のインクの一つが切れていたのだった。それは赤いランプが点滅しているのでわかる、だから、黒だけの印刷に指定してもダメだった。インクが一つ切れてもダメなのね。

 昨夜の右往左往は何だったのか。脚本の印刷には黒のインクだけでいいのだ。何故青が邪魔する。わかってしまえば、呆気ない。あまりに呆気ない。でも、人生の様々な局面というのはこういうものなのだ。

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弱り目に祟り目

 5時前に犬と散歩に出ると、時折頬に水滴が落ちた。予報では午後から雨ということだが、早いのかもしれない。雨が降ると娘たちの母親が植えた草花に水をやる仕事が減る。しかし同時に雑草が一気に伸びるかもしれないと思うと、まだ水やりの仕事の方がいいか、とも、思う。

 昨日から学校は中間考査。昼間、街中で制服を10人以上みかけたらまず試験中だと考えていい。5人では、ただ単に集団サボリかもしれない。試験監督中に、幕開きのシーンの解決策を見出し、走り書きして、一段落したところで早退。帰って書き直した。ぼくとしてはこちらの方が正解だと思う。いざ印刷。ところがプリンターが動かない。悪戦苦闘の汗まみれ、埃まみれになっても、解決しない。プリンターを買うのも、・・・。まッ、雨の降る日は天気が悪いということだ。

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佐伯の見所

 今日は振替休暇。

 小学生の娘を送った後、メダカに水を汲みに弥生の道の駅に行き、メダカの水をかえた後、はてどこに行こうかと迷い、今日は海にしようと、空の公園に。絶景。水平線がかすむ彼方をボーと眺めた。その後弥生の道の駅のサウナで汗を流した。

 午後はウッドデッキでビールと読書。

 のんびりとグータラの一日。こんな一日があってもいい。

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恩田陸『光の帝国ー常野物語ー』を読む

 キャラメルボックスが舞台にした短編小説の連作。

 不思議な能力を持った人々、常野(とこの)の人々を描くには、短編という形で独立した物語を集めた形の方が広がりが生まれる。話の流れは面白い。でも、それだけ。『夜のピクニック』の方が断然いい。

 キャラメルボックスの舞台の劇評は好意的だった。成井一派はどうもSFっぽい設定が好きなようだが、成井の場合逃げに思えて仕方ない。ここをどうするのだ!というところをSFで処理してしまう。まあ、それはそれで極めればいいんだろうけれど。

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向田邦子『隣の女』を読む

 ある球技の女子チームの監督が言った言葉を思い出した。「男はアホみたいに体力を使い果たすが、女は必ず余力を残している」。トップアスリートはそうもいかないだろうが、そうではなく、高校生の、それも全国大会にいけるかいけないかくらいのチーム。ふ~んそんなものなのか。

 竹内久美子の『そんなバカな!』をその話を聞いてから数年後に読んだとき、納得できた(ような気がした)。遺伝子がそうさせているのだ、たぶん。遺伝子のせいにした方が、気は楽になる。そして遺伝子はあらゆる事態を想定しているので、想定の数だけタイプがある。

 向田邦子の小説に出てくる女性は説明できない。説明できないから小説にしなくてはならないのだが、それにしても、楽しんで読めない。怖いものみたさ、そんな気持ちで読み進んだ。女の本性みたいなものか、それを感じて、疲れた。もうこれで向田邦子は卒業だけれど、エッセイだけでいい。エッセイは一品だ。

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向田邦子『あ・うん』を読む

 最初にエッセイを読んだので、ああ、またここにも向田の父親が現れたと思う。娘の回想という形で書かれているが、「あ」と「うん」の二人の友情が子どもっぽくもあり、理想的でもある。前回読んだ短編集のドロドロ感はなく、さっぱりと仕上がっているのは、男の友情がテーマだからだろう。

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公演に向けて活動再開

 脚本はラストに迷いがあり、完成していない。かといって活動しないわけにはいかない。それで、できているところを少しずつ渡し、時間を稼ぐことにした。最後が解決すれば、一挙に渡す。それまでは小出しに渡す。そして、ぼくは現場にいればいろいろと言いたくなる性質なので、今回は演出と役者に任せ、現場にいないことにする。ただし、読みを聞いたり、立ち稽古を観て、一人のちょっと口うるさい観客として、感想を言うようにした。今、現在、弥生の町民会館の体育館のミーティングルームではぼくへの呪詛が飛び交いながら読みが続けられていることだろう。ト書きはいっさいなく、句読点も「・・・」で間を示すこともない脚本。彼らが自由にト書きを考え、間をつくり、それがどういう形になるか、楽しみだ。ただ、彼ら以上にぼくが脚本への取り組みをしなければ。

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シジミ貝とシミジ貝掘り、どちらが体にいいか

 若いから仕方ないが、昨日のシジミ貝掘りの後遺症が腰の付近にある。今日の朝食と夕食にシジミ貝のみそ汁を味わえたので、後遺症のその部分をもっと酷使してやろうかと思う。

 体重が60キロを割った。満腹にしない、油を使ったものを控える、それを心がけた。チョコマカ動くことも心がけた。ことさらのことはしなくてもいいんじゃないか。体を少しだけ動かし、食い物に少しの注意と我慢をすればいい。それでダメだったら、それ以上のことをしてはいけないように思う。

 テレビ番組で、過酷なことをする企画があるけれど、アホだ。ぼくの体重が減ったのは、きちんと食べながら、油を使ったものと肉を避け、満腹まで食べなかっただけ。時に、スーパーでアジフライを買ったりしたものの、あくまで心がけであり、例外を少しだけ許す。

 『リア王』を喜劇に書き直して、演じたいという思いがある。メタボのリアでもいい。ぼくは痩せたリアでシェイクスピアの部分を残したい。

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恩田陸『夜のピクニック』を読む

 昨日は番匠川でシジミ貝を掘った。最近掘っている人の姿をよく見かける。4,5年前はザックザックで、労力に応じて掘ることができた。しかし、台風で、堤防を越えるかもしれないほど水かさが増して以来、1平方メートルに一個見つかるかどうかという状態が続いた。それが、1平方メートルに5個くらいになったか。掘りながら、こんな根気だけの仕事はダメだな、続かないな、と、思いながら、結局2時間。掘り始めて道具の柄が根元から折れてしまうアクシデントもあったが、どうやら、今朝のシジミのみそ汁にはありつけそうだ。

 『夜のピクニック』は、まさに小説。ただ歩くだけの若者たちをつづっている。しかし、それが、小説以外で可能かというというと、どうも無理がある。演劇では不可能。映画だとナレーションに頼ってしまうのだろうか。

 ただ歩く。そこに幾つかの仕掛けがあり、読むほどに面白くなった。最後の30ページは泣きながら読んだ、80キロを歩く、それに賢明な若者たちへの羨ましさが少し。いいねえ、という共感がほとんど。若い人が今読む小説だと思う。

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『リメンバー・ミー』を観る

 イタリア映画(だと思う)だが、邦題(だと思うが)が英語でつけられている。極めてセンスが悪い。犯罪的なタイトルだ。

 映画はいい。4人家族がみんな見ている方向が違い、それが大きくなり、家族崩壊寸前までいく。それはどこの家庭でもありそうなことで、だからこそ、切なくなりながら、最後まで観てしまう。だからこそ、フザケタタイトルに腹が立つ。主人公が昔付き合っていて、また再びの女より、妻の方が、女性としてはいいと思うが、・・・。

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向田邦子『思い出トランプ』を読む

 女性の書いたものは最後まで読みとおしたものより、挫折したものの方がはるかに多い。ヴァージニア・ウルフ、ジョージ・エリオット、ジェーン・オースティン、カーソン・マッカラーズ、瀬戸内晴美、河野多恵子、倉橋由美子、渡辺えりこ、玉砕。ところが、向田邦子のエッセイは面白く読めた。ところが、小説になると、印象はガラリと変わる。エッセイが陽なら、小説は陰。女の生臭い感性が匂い立つ。『思い出トランプ』は短編小説を集めたものだが、エッセイをまとめて読んで、陽に慣れてしまった分、意外な感じがした。

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佐野洋子『100万回生きたねこ』を読む

 子どもだまし、という言葉がある。ただ、子どもをだますのは難しい。たとえば、ジブリのアニメがヒットした背景にはオトナが感じたからこそがあるように思う。あちこちで書いたり、しゃべったりしていているが、『となりのトトロ』の最初に出るのは「忘れ物を届けにきました」という文字。子どもが忘れ物をしているだろうか。

 絵本は難しい。子どもだからと侮ると作品自体が乱れてしまい、子どもがそっぽを向く。何もないものは何も生まない。書き手が、全心で向かわないと作品にならない。

 『100万回生きたねこ』を若い女性から頂いた。昔、子どもに読んだ記憶があるものの、今回読んで、「何故、今度、ねこは生き返らなかったの?」と訊かれなくてよかった、と、胸をなでおろした。

 この絵本を渡されたとき、はて、何故、と考えた。読んで、ぼくなりに、理解できた。「何故生き返らなかったのか、わかりますか」。ぼくは、子どもに読ませて、同じ質問を発して、話し合えばいいのだ。絵本の背景には人間世界が広がっている。それをわかりやすく、表現する。並大抵のことではない。

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白い一日

 昨夜恒例の子どもたちの友達が集まってのキャンプファイアー。昼過ぎに集まって、遊んで、夕食のカレーを作り、山で枯れ木を集めて、燃やして、花火をして、肝試しに近くの神社まで二人組でいって、解散というもの。子どもの成長につれて内容が変わり、オトナの出る幕は少なくなってくる。炎の大きさに「85メラメラ」とか名づけるのは今年初めて。

 昨夜の疲れで、今日は何もしなかった。本も読まず、映画も観らず、歌わず、書かず。子どもが大分に行くというので、行ってもいいかと思いながら、どうもお呼びじゃなかったようで、母親と出ていった後、風呂に行く。弥生の道の駅は満杯なので、本匠の「牧山の湯」に行く。ここは少ない。その理由は、ロッカーのキーのゴムが伸びきっているのにかえていない。サウナの砂時計が一つ壊れているのにかえていない。石鹸がすべての洗い場に置かれていない。細やかな配慮に欠けている。風呂を上がり、毎度のことだが、肉うどんを食べる。七味唐辛子をズバズバとかけると、甘くなる。

 風呂の帰りに電気店によって、一眼レフフカメラをみる。コンパクトカメラでは、運動会とかで思ったように撮れないので、ずっと考えている。今朝は夢の中で手にしていた。品ぞろえが乏しいので、買うことはなかった。そう、我慢。我慢だと言い聞かせながら、大分に買いにいくとことを考えている。やはり、買うのか。

 そういう煩悩からとき放れたい。向田邦子がアフリカでお気に入りの写真を撮れたから、と、なんでオレが一眼レフだ。脳に記憶させればいい。記憶媒体に頼む限り、脳は記憶しない。重たいし、厄介だし、やめろ、やめろ。これが逆効果なんだ。

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「THE有頂天HOTEL」を観る

 とっくに話題から消えた作品。レンタルはその方が安い。

 三谷幸喜作品で観たかった。ただ、笑えない。つくり手の仕掛けが見えてしまうからかもしれない。根っこがない。『アメリカの森』と違うところだろう。

 ホテルが舞台。宿泊客、ホテル従業員、それぞれに話題、エピソード、物語はある。絡ませ過ぎてやしないか。松たか子が邪魔。役所の鹿のかぶり物がいい加減。唐沢の使い方がもったいない。

 伊東四朗が、断然いい。こういう役をやらせたら、最高だな。

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『アメリカの森』を観る

 たとえば『ランボー』を観ると、アメリカの兵士にとってベトナム戦争がいかに大きな精神的打撃を与えたかがわかる。南北戦争以来、幾つかの戦争をアメリカを体験したが、ベトナムで戦死したアメリカ兵士が一番多いらしい。

 『アメリカの森』もまたベトナム戦争で精神に傷を負った人たちが描かれている。是非観ていただきたい。その根の深さを感得できるだろう。レニーという少女が実に可愛い。ここまで演じることができる子役はそうはいないのではないか。毎週5作ずつ借りて、観ているが、ここ最近観た中では文句なしのダントツ。

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向田邦子『男どき女どき』を読む

 学校では職員集合をして、新型インフルエンザへの対応を確認した。黄金週間の5連休を前に、よりによって、と、思う。人が集まるところが敬遠されるなら、そういうところの人にとっては痛烈な打撃になるかもしれない。ただ一部保護者にとっては、骨まで休めるためのいい口実になるかもしれない。

 向田邦子の全エッセイを読み終えた。だいたいが女性の書いたものはえっせいであれ、小説、戯曲であれ、最後まで読みとおした経験より、挫折した経験の方がはるかに多い。ヴァージニア・ウルフに興味を抱きつつ、何度も挫折した。ブロンテ姉妹、ジョージ・エリオット、サガン、倉橋由美子、河野多恵子等々々、女性作家の名前は思いつく数だけ挫折の数になる。

 何故、向田邦子は挫折しなかったのか。面白かったから。何故面白かったのか。それはぼくが以前より少しだけ成長して、わかるようになったからかもしれない。でも、それより、向田邦子の中の女性的部分、男性的部分の絶妙なブレンドによるのではないか。全ての人間にそれは混合されていると思う。向田邦子はその黄金比率の人だったように思う。女性、男性、その部分がどちらも勝っても、劣ってもだめだったのではないか。

 脚本が文庫本になって読める。全巻、読みます、と、二海堂書店に注文した。これから、帰ると、ポストに入っていることを考えるだけで、気分はゴールデン。読みたい本を読める幸せ。これに勝るものはない。

 それにしても、向田邦子にはもう少し、いや、今も生きて闊達なエッセイを書いていてくれたら…悔やまれてならない。

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