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田舎のジジイ福岡を歩く(2)

 宿泊したホテルはキャナルシティにあり、広い浴室はシャワーカーテンがないのが良かった。子どもは、浴槽に身を沈めてテレビをみれることにいたくよろこんでいた。そして、チェックアウトが12時。朝食をすまして、10時に開店する店をウロウロして、それからチェックアウトできるのは実にいい。

 キャナルシティの店にぼくは入ることなく、ただただウロウロして、人々を眺めた。田舎の人間の目には、なんじゃこれは、と、思うような女性の姿がやたらと目についた。これでもかとムキになって可能な限り足をむき出しにして、加工された顔はしかし無表情で、ぼくは何度クレイジーという言葉をつぶやいたことか。なかには、とてつもなくヒールの高い靴で短い歩幅でぎこちなく歩く女性には笑った。あんな歩き方は退化していく人間の姿そのもではないか。奇形で滑稽。あわれ、と、言うべきか。

 ショーウインドウの中では、店員の女性がマネキンの衣服をいじって、少しでも良く見せようとしている、というより、暇つぶしのようにしか見えない。そいうところだけを見てのことか、「ショップの店員になりたい」という女子高校生がいる。仕事って、そんなもんじゃない。裏ではきっと、・・・。

 遥か昔、東京で働いていた頃、仕事場が新宿で、ウイークデイの昼間は新宿を見ていた。あふれかえる人。一体、こいつらは何をして生活しているんだ、と、不思議でならなかった。大都市というのは、コップが満杯になり、こぼれる状態かもしれない。こぼれるものを気にしない。そのおこぼれで生きていくことだってできる。大いなる都会は大いなる無駄で成立する。

 福岡は、しかし、清潔な元気がある。クレイジーな姉ちゃん達も、何故か許せる。これをこえてしまうと、マクベスの魔女の「奇麗は穢い、穢いは奇麗」で、街自体がクレイジーになってしまうかも・

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