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『愛おしき隣人』を観る

 ぼく達が日常触れる「劇的」なものは、家族、友人、職場や学校ものだろう。ただ、あまりに慣れっこになっているので、ちょっとした変化に気づかないことが多い。何か事件が起きた時、「いい人でしたよ」というコメントが多いのは、そこにあるのかもしれない。

 この映画はある町の一区画の人たちの断片を淡々とつなぎ合わせている。基本的にはワンシーン、ワンカット。カメラは動かない。大きなことがある訳ではない。誰かの死はあるが、殺人ではない。何かが生まれ、何かが消えて、それは誰かが大騒ぎするようなことではないが、遠い国の生活の違う彼らの日常は、共感やら反発やらの様々な感情を呼び起こす。監督の勝利。この世界は映画でしか表現できない。

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柔道着

 だいたい毎朝5時半頃、洗濯機を回す。朝食前後に干す。帰ると、小学校の娘が取りこんでくれている。洗濯は好きだ。

 昨日中学校の娘が帰ると、洗っておいて、と、差し出したのが柔道着。体育の時に使った学校のもので、使った人が洗って返すというものらしい。ぼくは、その時感動した。華奢な女子中学生と柔道着という組み合わせに感動したのだ。昼間、ウッドデッキに干している柔道着を見て、もしかして、ぼくは娘にそういう方面の部活動を期待していたのだろうか、と、思った。

 もの思う、秋、だ。

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歌で英語を勉強する

 英語を一所懸命勉強したのは高2の冬から、大学受験に失敗してから予備校に通った頃。接する時間が多く、そうなれば成績は上がる。わからないから勉強する訳で、わkらないから止めると、そこで、全てはストップする。わからなくても続ければ、ある瞬間、トンネルを抜ける瞬間に出会うことができる。

 英語は日本語より母音が多様で、なじめない。なんでやと思っていたが、英文科でシェイクスピアが出て、それを下宿で音読している時にわかったように思うことは、英語は腹から声を出し、その音を表情豊かにするには、口での調節が必要なのダ、と、思った。だから、英語の脚本を音読するのは効果的だろう。ただ、脚本は長い。代わりに、歌。

 最近の語学の教材にはほとんどCDが付属している。ぼくが学生の頃にそういうのがあったら、と、思う。研修で大学の先生の「授業」を受けると、全部英語。ぼくが学生の頃、そんなことはあり得なかった。論文を書くにも、タイプライターとワープロでは労力が断然違う。羨ましくて仕方ない。で、ぼくは定年カウントダウンになって、英語をいつになく勉強し始めている。

http://ntl.matrix.com.br/pfilho/html/main_index/index.html

 上のサイトで歌詞を手に入れ、その歌をユーチューブで聞く。

 最近、映画『キャバレー』のテーマ曲。「ライフ イズ キャバレー オーシャン」と昔思って、何故海なんだ、と、思っていたことが解決した。ocean ではなく old chum なのだ。こういうささやかな発見を楽しんでいる秋の夜です。ウン。

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プレミアム8蜷川幸雄篇を見る

 今月号のある演劇雑誌で蜷川特集をやっていて、演劇評論家の長谷部浩に応える蜷川とは違った内容だった。

 ぼくが東京で働き始めた時、最初に観たのが蜷川演出の『ロミオとジュリエット』だった。演技、芝居のつくり方が覆された。『NINAGAWAマクベス』では赤毛芝居が日本の芝居になっていた。

 長谷部とは違いながら、NHKのあゆみさんも良かった。結婚しても、しばらくは「黒田」だったような記憶があるが、鋭さと適切に配慮があった。民放ではできない。

 蜷川は話す時口に手を当てることが多い。右手で左手の中指を引っ張ることもある。

 観て、聴いて、感じる。芝居は共同作業。

 新鮮なジジイだ。

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朝焼けと夕焼け

 最近、犬と散歩する時考えているのは一つ。朝焼けと夕焼けはどう違うか。

 昔、まだ土曜日が半ドンだった頃、1時に職場を飛び出し、くるまをひたすら走らせ、天草まで夕焼けを見にいってた時期がある。下田の町営温泉に入り、白鶴浜で東シナ海に沈む夕日を見る。どこだろうと、とにかく夕日を見るのが好きで「夕日評論家」を自称していた、

 それが最近は朝焼け。夕焼けはディミヌエンド、朝焼けはクレッシェンド。もしかしたら間違っている音楽用語を使えば、そんな感じか。

 忌野清志郎だったか、目覚めて外を見て朝かと思ったら、実は夕方だったという話がある。活発な脳は貪欲に眠りを求める、みたいなことを考えた。で、全ての問題を解決したとして、ある人が起きた時に朝焼けではなく、夕焼けを見えるように仕掛けた場合、その人は「この朝焼けはおかしい」と気付くだろうか。

 そんなことを考えんがら犬と歩いている。あと1時間、か。

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A.R.Gurney『 LOVE LETTERS 』を読む

 芝居を観たことはないが、男女二人が子どもの頃からのお互いへの手紙を朗読する形の芝居ということ、そして「Oha!4」の中田有紀(あき)アナウンサーも演じたはずだ。相手役の男優なんざ知らない。

 英語の脚本は持っていた。いつどこで買ったのか、とんと覚えていない。最近物忘れがひどいけれど、とにかく思い出せないくらい昔なのだ。

 脚本は二幕。一幕目は音読した。2幕目は、さすがに疲れ、黙読。50ページを2時間半。ダールの短編小説以外で、一気に読んだのは初めて。それほど面白かったといいう訳ではない。二人の顛末を知りたいだけ。世界にこういう「恋人」はいないんじゃないかと思う。生まれ育った環境に加え有為転変が過剰に思えてならない。

 ただ、有為転変を経てはじめてわかることも少なくないだろう。局面は違うものの、昔付き合っていた人を思い出して、今だから、と、いう、そんなこと、あるもんな。

 この本は、脚本を読むのが目的ではなく、英語のトレーニングのためでした。

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彼岸の中日の雨

 仏教というより、お寺の金儲け主義に嫌気がさして、坊主憎けりゃ仏教まで、になりつつある。だから、坊主が絡んでくる仏事はしない。今朝、労働日よりは一時間ほど遅い犬の散歩の散歩の折、明らかに墓参りに向かっている年配のご婦人とすれ違った時に、祖母のことを思い、心にさざ波が立った。

 祖母は亡くなって7年目になる。94歳で亡くなったが、体が動いている間は動き回っていた。うちの墓はかなりの傾斜を登った小高い丘の上にあるが、墓の掃除やお参りにもよく行っていた。その祖母が眠る墓に、年に数回いしかいかない、それでいいのか、と、思い悩む。ただ、犬と散歩の折に、意を決して「登り」、ちょっとだけ話しかけたりする。そうでない時は、散歩の途中で墓のある丘が視界に入ると、歩きながら話しかけるのは毎朝のこと。でも、今日は彼岸の中日で、ぼくの考えなんざ置いといて、信心深かった祖母のルールに従うべきではないか、・・・。

 そんなことを考えていたら、雨。けっこう強い。その雨を、遠藤周作の『沈黙』ではないが、祖母の「無理尾してくることはない」というメッセージかもしれないと考えたぼくは、何という祖母不孝者だろうか。

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『釣りバカ日誌19』を観る

 ゆきさん、さすが漢字検定2級ですね。あれって、読み方が、「まんじゅしゃか」と「まんじゅしゃげ」の二つがあるように思いますが。どうなんだろう。

 ジャイさん、あれって、植物なのに葉がないじゃないですか。どうやって光合成やってるんですかね。彼岸に咲くから彼岸花なんだろうけれど、あの世を思わせる不思議な花です。

 さて、娘たちはカラオケやら買い物に行き、彼女たちの母親は東京に3泊で行っている。半年ほど前に彼女が買ったDVDを観てみるか、と、なった。

 「まだ観てないんですか」と何度言われたことか。何故観ないといけないのかがわからない。地元キャストということで画面に端っこにいるだけじゃないか。今日、観たのも、ケーブルテレビで、伊勢正三が作って歌う佐伯のイメージソングが流れていたので、映画の中で佐伯がどう扱われているか知りたかったから。

 胃カメラの場面で笑い転げた。西田敏行ってああいうのがうまいなァ。ただ、山本太郎と常盤貴子が車に乗って、高速を降りてから坂道を下るシーンがあるが、あれが佐伯のどこなのかがわからない。昔、「特捜最前線」で佐伯ロケが行われた。放映を観ると、西田病院で、「ちょっと外で話しましょう」の次のシーンが、鶴見町だった。車で30分。ウ~ム、そういうことかと思ったけれど・・・。

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彼岸花

 突如として現れる感じがする。今、あちこちに咲き乱れている。ただ、死人花tか地獄花とか呼ばれ方があるように、怖い何かがある。

 先日、庭先の赤い花をみながら、娘が「この花の名前何だったけ」と。学校からの帰りにそれをみてからずっと考えているという。実はその日はぼくもずっと「彼岸花」という名前が出てこず、考えていたのだった。だから娘の問いに答えることができなかった。夕食を終えて、二階に上がる第一歩で思い出した。引き返して、それを言うと、「ああ」と娘は笑顔で頷いた。

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『結党!老人党』を観る

 夢は子どもだけのものではない。老人にも夢があって、それに向かっていってもいい。このドラマは老人が夢に向かっていく、面白くて清々しいドラマに仕上がっている。

 キャスティングがいい。主演の笹野高史が実にいい。そして敬老の日に相応しく、ちゃんと夢が痛快に叶うエンディングもいい。テレビは、こういうドラマをもっとたくさん作ってほしい。

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夢の中央演劇祭

 すでに上演は始まっていた。ところが、異様なことに、審査員が舞台下手に座り酒を飲んでいる。2合徳利と肴が置かれ、高校生が何か新しい肴と酒を置いている。その審査員、別役実ではないか。「別役先生、お久しぶりです」と挨拶をすると、「ウム」。こりゃあ、ここでは邪魔になると舞台裏に回ると、各校が準備に動き回っている。外に出ると、水路があり、勢いよく流れている。その水量に驚いていると、ある顧問が近づいてきて、「うちの部員に井戸掘り名人がいるんです」、と。「相変わらず、色んな部員がいるんだね」と返した。向こうでは、コップで水をすくって、飲んで、「うまい」と叫ぶ者がいた。別の顧問が「向こうで飲みませんか」と声をかけてきて、一緒にいくと、懐かしい人たちがいるではないか。

 今年の中央演劇祭は11月の7、8日だったか。顧問をやっていた時に体内に組み込まれたものが眠っている時に蠢いたのか。奇妙だけれど、楽しい夢だった。尊敬する別役さんにも「再会」できた。はて、井戸掘り名人がいる演劇部ってすごくいい、と、思う。

 

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くるまで散歩ー木浦篇(2)-

 名水の湯は入浴料420円。檜の湯船は3人でゆったり程度の広さ。火照った体を冷やせるように外に畳一畳よりちょっと広いスペースが拵えてある。川の流れを眺めながら、ってのもいい。しかし、向かいは、学校の体育館。あまりはしたない格好をしていると、向こうで純真な子どもが笑っているかもしれない。そして、これは太字で書きたいけれど、湯が実にやさしい。肌をしっとり撫でてくれるようで気持ちがいい。一度試す価値がある。

 風呂を出ると、おばちゃんが冷たいお茶をサービスしてくれた。そこでちょっとだけ話す。鉱山から掘りだしたものはどうやって運んでいたんですか。するとおばちゃんは一言。「私はここの生まれじゃないんです」。なるほど。本当はそこで何か食べたかったけれど、10時30分。お礼を何回も行って、ペットボトルに名水を一杯にして、後にした。

 山に向かう。まっすぐ行けば宮崎、右に曲がれば西山。西山に向かう。それが、まァ、何というか、「分け入っても分け入っても青い山」。山頭火の世界に触れたような気分になる。孤独なトンボに過剰なくらいに気持ちを寄せてしまったりする。とにかく、ぼくは山の中をウロチョロする訳だ。傾山登山口の標識向かっていたら、舗装が途切れ、石ころだらけの道になった時点で、あきらめた。四苦八苦してUターン。

 結局130キロ走った。ぼくのくるまはリッター10キロだから、1600円。ちょっとした散歩としては、まァ、いいんじゃないか。次は海辺のどこかにしよう。

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くるまで散歩ー木浦篇ー

 土曜日に70周年記念招待試合があり、今日はその振替で休み。朝、犬と歩きながら、木浦が浮かんだ。何故かはわからない。天啓かもしれないので、従うことにした。

 2度ほど通ったkとがある。一度は、県総文の事務局を担当した時、県南地区の生徒会で色々と話しあうんだが、何を話しあうかを話しあうために集まるのも面倒なので、「県南の宝」にして、その上位に入りそうなものをあらかじめ写真に撮っておこうと、宇目町に後援依頼に行った足で木浦をさらに上ったところから写真を撮った。山だらけの写真。上位に「緑」とか「山」が上がるだろうと思ったから(確かトップだったと思う)。二度目は、一度目の時、山を越えなかったので、越えた先を確かめたくて行った。その時「名水の湯」があることを知り、入りたかったが、開くまでには90分。だから、今日は家を8時40分に出た。

 カメラと風呂バックを確かめる。英語の参考書付属のCDを出し、働く女性のyためのクラッシックの火曜日篇を入れる。月曜なのに何故火曜かというと、火曜篇しか持っていないから。フルートのゆっくりしたメロディーが流れ、ステップワゴンが転がる。

 三重町から延岡に抜ける道が通じてから、10号線のくるまの数はかなり減った。紅葉マークの軽トラが前をゆっくり走っていても、気にならない。今日は時間に縛られない。世間の人たちは働いている。子どもたちは授業。極楽とんぼみたいなことをしていることにかすかに罪悪感みたものを感じる。でも、これは散歩。大金を使うわけではなし、時間だけが少々のぜいたくか。

 曲がショパンの「ノクターン」に変わった。この曲を初めて聞いたのは大学時代。ぼくは、学生会館の幾つかの音が出ないピアノで右手で練習を始めたのだった。すぐに挫折。次に陽水の「帰れない二人」に挑戦したが、これも挫折。1年くらい続けろ、と、今ならわかるのだが・・・。

 宇目緑豊中学まで、30キロ、30分。以前は鶴城高校の分校があり、鶴岡で8年をすぎたころだったか、次の勤務先の第一希望をそこに考え、ぼくは距離と時間を確かめたことがあったのだ。あの頃の数字と同じ。

 宇目を抜けて延岡に向かう道に入り、「日の影」を示す標識で右折。右に行けば「ととろのバス停」のところで左に向かう。やがて道が狭くなる。昔は鉱山で栄えたはずだが、こんな狭い道で鉱物を運んでいたのだろうか。

 集落に入ると、すぐに右手に目的地が目についた。しかし、余分なことに触れちょっと長くなったので、後半は、また。

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授業参観の母親たち

 小学校の授業参観と学級懇談会に出た。

 相変わらず、数名の母親がペチャクチャ話していた。そういう母親たちに驚きと怒りを覚えたのは、幼稚園の参観の時だった。怒鳴りつけたい気持ちと闘うことに疲れ果てたものだった。お母さんたちは、家事や子育てでストレスが溜まっていて、それを吐きだし、共有する場所が、授業参観なのだ、だから我慢しろ、と、言い聞かせ続けた。

 ただ、子どもが授業を受けているのだ。廊下で話すのならともかく、授業が行われている教室で、だ。そして、母親の一人が「喉が渇いて死にそう」と言うや、一番後ろの席の自分の子どもの机の上の水筒をとると、ゴクゴクと飲んだのだ。

 目の前の子どもが何をしているのか、それを観ることが肝心だ。その意味と効果をよく考えてほしい。父親も、年に一回はPTAに行った方がいい。

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変わっていく風景の中で

 最近犬と散歩する時、カメラを携行する。朝の光と風が織りなす景色もいいが、ごくごくありふれた景色を撮っておきたい気持ちが強くなりつつある。

 いつもと違うコースを歩くと、田んぼが土砂で埋め尽くされている。いずれ、そこにも家が建つのだろう。小学校の頃よく釣りをした小川は大規模工事で水の流れが大きく変わろうとしている。大学の6年と東京での2年の後佐伯に帰ってきた時、小学校付近の景色大きく変わっていたのに、驚いた。

 そういう変化に驚きながら、それに慣れていき、当たり前となる中で、昔の姿を忘れてしまう。せめて、写真でも残しておきたい。だから何になるわけでもないけれど。

 そして、口から手の生活にほんのちょっとのこだわりを加え、私がここにいるから、ここにいたからこその何かを産むことができれば。生活を見直す必要を痛感する。 

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公園通りを歩く

 子どもが『二〇世紀少年』とかを観るとかで、その8時15分開始に間に合うように出かけた。ぼくはその前の2回を観ていないので、パークプレイスの近くを歩いた。他に時間の潰しようがなかったからだが、いつもは車で素通りの所をちょっとだけよく観たかった。

 閑静で清潔。どの家も我が家より高い。ただ、休日の朝、散歩する人がいない。散歩はもっと早い時間かもしれない。男が一人走ってきた。見かけたのは彼くらい。そう思って振り返ると、彼は歩いていた。ランニングを始めて間もないのかもしれない。

 海面が上昇しても、あそこなら大丈夫かもしれない。ただ、どんな場所のどんな家に住むかより、誰と住むかがはるかに重要なんだ、と、何度か繰り返しながら、パークプレイスの方に引き返した。

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教職員の不祥事

 不祥事ではなく、犯罪という言葉にかえた方がいいかもしれない。

 教育長は事件について「言語道断であり、情けない思い。ほかの学校で起きた事件と思わず、管理職としてコンプライアンス(法令順守)の徹底を教職員に指導してほしい」と訓示。「事件が起きるたびに集まっている。教職員にどのように問題意識を持たせるかが大事だ。各学校で、チェックシートを作ったり、個別面談を行うなど、きめ細かな指導をしてほしい」と話し、服務規律の徹底に関する研修をそれぞれの学校で開くよう求めた。

 今まで、犯罪が起こるたびに「服務規律研修」が行われてきた。ただ、効果的な研修ではなかったように思う。そもそも効果的なものなどないのではないか。それがあれば世界から犯罪は消え去る。何故そうなったのかのところが何もない。

 むしろ、犯罪が起きた時に、現場にあれこれ求めると同時に、今の学校現場にはあれこれのストレスを与えることが多いことを考えるべきだろう。現場は年々余裕がなくなってきている。そしてどこかの誰か一人の犯罪のために、授業の合間を縫っての研修だの、面接だの、だ。

 以前、書いたかどうかわからないが、これを使え、と、パソコンが与えられ、学校の続きと家の続きができなくなった。そして、パソコンの使いすぎは健康に良くないとかで、一日にパソコンを使った時間を申告せよ、と、きた。パソコンを使いすぎて死者が出たとか、それに近いことがあれば「使いすぎに注意しなさい」でいいんじゃないか。

 それぞれの部署のあれこれを統括できていない。健康面を考えながら、研修やら、教員免許更新やら、部活動の指導やら。パソコンの使用時間を申告させる部署が、運動部の顧問の指導の大変さを考えているとは思えない。トータルな視点がない。

 そして、これは、教育現場だけではなく、どこにでもあることなのだ。こういう状況を解決できる手段は結構多いのだが、それがなされたことは一度もない。にんげんだもの、と、でも、うそぶくか?

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秋、か・・・

 日差しは強いけれど、風はさわやかで、秋の気配。

 選挙で苦汁を味わった人には身にしみるかもしれない。ただ、それが普通の人なのだ。初期化して、何がいいのか、どうするのか、是非きちんと考えていただきたい。民主が政権とって、これでよくならなかったら、次は秋の風の洗礼w受けることになる。議員とはそういうものなのだ、と、本来の姿になったのは歓迎する。

 あやのさん、元気でしょうか。インターネットは行動するための道具です。チェックだけして、動かないのはいけない。人間は少しの無理を重ねることで、何か大きなものに出会う。芝居の世界に戻りなさい。どこでもいいから、芝居にこだわり、行動することで、新しい局面が開けるように思います。できれば、うちの舞台を選択肢に。

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