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笑いたい

 もしかすると人は泣きたい、笑いたいと思って劇場に来るのではないかと思っていた時期がある。かといってぼくがそういう芝居をつくってきた訳ではない。面白い、それでつくってきた。今、久しぶりの脚本に着手しながら、面白いをもう少し具体的に考えてもいいんではないか、とか、考えている。

 昨日、朝は空の公園、昼は祝子川温泉に行き、その間ずっと落語を聴いていた。文珍、三枝、志ん朝。たっぷり聴いた。一番笑ったのは文珍。談志も「面白い」と認めていたが、運転しながら大笑いした。笑いながら、こんなにおかしい思いで笑ったのは、はて、近年なかったのではないか。あまりに笑いすぎて、運転を誤ってしまいそうなこと数回。笑いってのは全身を使う。それも普段使わない筋肉が動く。だから身体にはいいのかもしれない。アメリカの作家ノーマン・カズンが医者から匙を投げられ、笑いの映画などをみながら、医者が予測したよりも長く生きた話があるが、身体への影響はわからないが、精神にはいい。

 ある種の栄養素が足りないと、人は無意識にそれを求めるのであるならば、ぼくの生活には笑いが足りないから、こんなに笑うものを求めているのかもしれない。授業では時々笑わせるものの、自分が笑うことは確かに少ない。

 次の芝居は、以前書いたようにハチャメチャでいくつもりだけれど、少なくとも稽古場では笑いたい。ウ~ン、ワケわかんないか。

 結論、文珍は笑わせてくれる。

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いつのまにかすり替わっていた

 久しぶりにダールの The Way Up To Heaven を読んだ。

 時間に遅れることを病的なくらいに恐れる女性が、それを知ってわざとゆっくり行動する夫との話。まだ読んだことのない人のために詳細は書かないけれど、愕然としたことは、いつの間にかぼくの記憶の中で、その二人の立場が逆になっていたのだ。

 ぼくは時間に遅れるのが嫌いで、待たせるよりは待つ方がいい。だからたいてい時間前に約束の場所に行く。西洋には学者の15分というのがあるとかで、偉い人は時間に15分遅れるということらしい。だから、待つのは14分。15分以上待つ場合は「あんたはそんなに偉いのか」と言いたくなったり、言ったりする。それは年々強まっているかもしれない。職場の会議で、「まだ全員そろっていませんので、もう少しお待ち下さい」と教頭が言えば、「時間を守った人間が、何故守らない人間を待たなくてはならないんだ。正直者がバカをみるんはやめてもらいたい」と言う。それと似たようなことで、「前の方からつめて下さい」にもカチンとくる。早く来たのは近くから鬱陶しい顔を見たくないからだ。後からきた人間が前に座ればいいのだ。

 ロアルド・ダールはぼくの大好きな作家。早川文庫で彼の作品は読めます。是非一度。

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二度目の卒業

 今日は下の娘の卒業式。朝、娘にハンカチを持ったか確認と提案めいたものをしたら、「泣かんもん」という言葉が返ってきた。フム。

 ぼくが卒業した小学校。生徒として保護者として、ぼくの小学校はこれで完結した。次は中学校。ぼくとしては、どこの高校にとかは考えない。高校に行きたくないといえば、それがきちんと整理された言葉で言われたら、反対しない。「整理された言葉」ってのがイヤらしいかもしれないが、それはつまり考えが整理されていないってことだから、中学生でそこまでできるとは思わないから、ナンテ思いながら、とにかくそういうことだ。(どういうことだ?)

 今日の、と限ることあないけれど、式で話す人の話は面白くない。その根本は、何を話すかだけで、どう話すかを考えていないからではないかと思う。津久見高校創立70周年記念式典で話した県教育長は史上最悪だったが、それは「何を」もひどすぎたからだ。肩書きで話すんじゃねえよ。なるほど、と、膝を打つからこその肩書きなのだ。そういう人にワークショップをしてあげてもいい。演劇と同じだから。演劇はウソ、絵空事をたっている。しかし、それを通して、大切な何かを伝える装置なのだ。書いたこと、書かれたことを読むだけで聴く人に伝わるとでも思っているのだろう。KYと傲慢。小沢幹事長なら、マスコミは攻撃的なくらいに聴くから、棒読みでも正立する。

 夜は久しぶりの「サボイ」へ。家族全員でOKが出るのはこの店だけ。改行ではなく、新しい章が始まったんだナァ・・・。

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車で散歩~かごしま近代文学館~

 朝3時前に家を出て、3回ほど休憩をとって、5時間ほどで着いた。開館は9時半なので、護国神社、西郷隆盛像、そして城山から桜島を見て時間をつぶした。

 玄関前に鉛筆の形をした時計台があり、30分ごとに鉛筆が開いて、人形が音楽に合わせて踊る。文学館に併設されているメルヘン館向きかも。

 鹿児島になじみのある6人の作家が特に詳しく取り上げられている。ちょっと珍しいものがあるものの、深さはない。ただ、たとえば海音寺潮五郎の西郷隆盛についての作品は読んでみようかと思ったkら、きっかけにはなるように思う。

 玄関正面に3枚の絵のいちばん上は向田邦子の写真で、モナリザっぽい微笑みを浮かべて迎えてくれる。各作家のところには、本人、家族、友人が語る数分の映像が流れる。向田の映像は團伊久磨と食べ物について炉辺で語り合うもの。そして、家族はエッセイによく登場する妹。友人は久世光彦。久世の話は、そうなのよ、と、一人合点ではないことを証明してくれたので、それ一点だけでも行った価値はあった。なお、会館の職員の対応は実に良い。その手の施設の中ではトップだと思う。

 行きは夜明けに向かってひたすら走った。返りは都城まで一般道路をチンタラ走った。びっくりしたのは、もう田植えをしている田んぼがあった。昔社会で習った「二期作」ってやつだろう。

 往復570キロ。4時半に帰着。次は長崎の遠藤周作。高速が1000円のうちに行かなければ。

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オバチャンという生物

 授業参観とPTA。2年生は修学旅行を情報ナントカの結果としてプレゼンテイション。体育館で各クラスの代表が発表した。ところが、その発表中に、シャベルんだな。この無神経こそ、オバチャン。授業参観は、観て、聴く。これだけ。それなのにクッチャベッテ。「出ていけよ」という言葉がグングン腹から湧きあがってきた。爆発寸前、その中のオバチャンの子どもが出て、シンとなった。

 身勝手でウルサイ無神経。これがオバチャン。

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談志の落語を観る(4)

 今回は「らくだ」。

 今回は噺よりも談志の力量が優っていたように思う。この噺をここまで聴かせる噺家はそうはいないのではないか。面白かった。談志のいうイリュージョンがかすかに理解できたような気がする。「理解できたような気がする」ってのは、理解できてないってことだろうな。でも、人物が立ちあがっているのだな。

 さて、次の連休、以前書いたけれど、鹿児島の向田邦子を訪ねてみようかと考えている。くるまのナビで目的地に職場を出るときに設定してみたら、到着時刻は翌日の午前4時前だって。実際はそうではない。6時間もかかるまい。可能なのは22日。早朝4時に出てのトンボ返り。これで行くか。向田邦子の作品を読んで、付き合いたくはないけれどいい人だと思った。倉本總より面白い。可能なら、たぶん、行く、かも、ナ。

 

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『スイート・ノーベンバー』を観る

 佐伯から津久見に向かう床木ダム沿いの桜が花を見せ始め、遠くの山にも白い部分が目立ってきた。それにしても、工事が多い。まだ走れる道路をひっぺがして、新しく舗装する。税収入が減っているのに、と、税金の使い方に腹立たしくなる。春だというのに。

 最初は抵抗を覚えていたものの、久しぶりに誰かを好きになっていた頃の感触を思い出したりした。男優は少々力不足の感があるが、女優はいい。この女優なら何でもできそうな気がする。恋、か、・・・今は昔だナ。

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サボテンの花

 10年前だったか、『さよならは小さな声で』で数少ない小道具の一つとして使ったサボテン。そのサボテンが玄関先で花を咲かせた。濃いピンクの花。

 それは一人芝居で、演じたのは不器用な生徒だった。最初のキャストが降りて、本番直前で「演りたい」と申し出たのだったが、本番ではギクシャクした。それでも、温情あふれる審査員からはよく頑張ったと「審査員特別賞」を与えられた。

 サボテンはウイスキーのボトルくらいの大きさになった。少々傾いていて、直そうとするのだけれど、棘が邪魔する。それでも、毎年花を咲かせる。特別賞の彼を共演者のサボテンが毎年祝っているように思える。この祝福を受けて、元気と充実の毎日を送っていますように!

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談志の落語を観る(3)

 「芝浜」と「饅頭怖い」。共に極めてポピュラーな噺。演者の力量は、それをどう料理するかになる。シェイクスピアをどう上演するか、みたいなものか。

 「芝浜」はいい噺。先月聴いたのは誰が演じたのだったか。その時は奥さんの義理の兄が出てきた。談志は、大家が介在していたことを女房の話の中で出している。女房だけの判断ってのはまずいのかナ。ただ、いい奥さんだ。後は沈黙。

 「饅頭怖い」は今まで何度も聴いたことがある。談志は中学生の頃、学校で落語全集を読んでいて、教師から「そんなもんを読むな」と注意されたらしい。中学生で落語の面白さをわかっていたというのは凄い。ぼくは、今回、定番の噺に、どう「演出」するかに興味を覚えた。高校生の頃、ラジカセくらいの大きさの真空管ラジオでNHKの演芸番組を聴くのが好きだった頃と視点が変わっている。同じものでも、時間を置くと違った受け取り方をするのだなァ。

 竹書房から出ているDVDを借りて観ているのだけれど、たとえば談志が身を乗り出したり、腕組みしあり、左の頬をポリポリかいたり、そういう動きを含めて談志の落語なのだ、と、思う。全巻観たい。

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『この胸のときめきを』を観る

 温かい春の一日だった。長女が生まれた時に植えたプラムは、腰までだった高さが今では7倍以上になり、白い花が満開。今日はみんな出かけていて、家の周囲を犬と歩き、花の写真を撮った。春は断然屋外がいい。

 原題は「Return to me」。それをプレスリーの歌と同じタイトルにした理由はわかるものの、観終わって、安易だな、と、思う。

 最愛の奥さんを事故でなくした男が、奥さんの心臓を移植された女性と恋におちるという話。誠実につくっていて、いい映画に仕上がっている。主人公の二人は特に魅力的ではないが、ゴリラと4人のじいさん、最後にちょっとだけ出る3人のシスターが実にいい。

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三好十郎『炎の人』を読む

 その作品を知ったのは30年以上昔のこと。その作品が手元に届いて、ほぼ1年。職場の机においていたら、あれやの参考書やこれやのプリント類のうずもれてしまっていた。年度末で、机の移動に備えて毎日少しずつ片づけていたら、発掘された。

 きちんと書いてある。生半可な知識と力量では書けない。ゴッホについてのささやかな断片の知識で描いていた像とは、ちょっと違う形で提出されて、そのズレに沿って、平行線を描く形で読み進めた。

 三好十郎についてぼくは何も知らないし、ゴッホについても知らないに等しい。作品を通して、ぼくはゴッホを理解したのか、三好を理解したのか。理解したというのはよくない。感じたに訂正しとこ~っと。ぼくはゴッホは強い信念があったと思っていたが、作品の中のゴッホは弱い。自信がすぐに揺らぐ。もしかしたら、三好は自分のそういう部分に重ね合わせたのではないか、と、「感じた」のだ。ただ、その「弱さ」は同時に豊かな感受性にも通じるのではないかと思う。

 以前、ある校長が全校集会で「いじめを見て見ぬふりをする人間は卑怯だ」と言った。その後の授業で、ぼくは「卑怯ではない」と言った。それがいいことだと思っている人はいないと思う。でも、言えない、止めることができない人の方がはるかに多い。その人達を「卑怯」と責めるのは間違いだ。言えなくてもいいんだ。止められなくてもいいんだ。それは悪いことではない。そういうことで自分を責めてはいけない。ぼくはそう思う。

 『炎の人』はゴッホを通して自分をみる作品なのだ。

 

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談志の落語を観る(2)

 今日は『文七元結』と『堀の内』。

 『文七元結』がいい。枕も談志の理屈がそれほど強くなく、嫌味がなく、本題に入る。その話が実にいい。起承まではどうも耐えがたい噺だと思っていたが、転からが爽快に転がり、結では感動する。主人公の左官がいい。特に娘の身売りがかかっている50両をあげる場面は、いい。名作だ。話もいいが、談志が見事に演じているからだろう。はじめて、談志がいいと思った。

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談志の落語を観る(1)

 高校入試の2日目。朝は面接。午後は採点。受検生のことを考えると、細心の注意を払っての仕事。いつもと疲れの質が違う。これはイカン。落語でも聴くか。

 談志ひとり会のDVDがあったので、借りた。『寝床』と『権兵衛狸』。

 談志ははじめてではないけれど、面白いというよりは感心した。演者としてよりも、批評家としての部分が表に出ているような気がした。他の落語家とは違うという意識が強いのか、今まで聴いてきた落語にはない、適切な言い方ではないが「知識のひけらかし」みたいなものを感じた。ああ、こういうところをもっと易しい言葉で言うのが落語じゃないのか、と。そういうのをトコトンやってもいい聴衆もいるだろう。しかし、DVD。子どもから年配者までを想定した噺がいいんじゃないか。もっとも、20年ほど前の映像だけれど。

 ぼくは高校時代、ラジオでNHKの漫才や落語をたくさん聴いた。談志のDVDで落語を聴くつもりだったが、ついつい観てしまった。表情、動き、そういうものが音声に味付ける。だから、落語を観る、と、した。

 

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ペットボトルのふたとリングプルのお願い

 以前からお願いしているペットボトルのふたとリングプルのお願いです。津久見高校の普通科の一年生のクラスがアフリカ等の子どもたちにワクチンと施設に車椅子をおくるために、集めています。現在高校入試で自宅学習中ですが、手分けして津久見と臼杵を回って回収作業をしちるようです。かなり集まっているようです。しかし、多ければ多いほど、彼らの達成感は増し、次の大きなステップになると思います。連絡いただければ、赤のフィットで受け取りにうかがいます。少なくても結構です。その積み重ねが大きな結果になるのです。ご協力お願いします。

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『パラダイン夫人の恋』を観る

 パラダインではなくパラディンと発音していることが多かったが、日本語としては母音が明確な方が座りがいいのかもしれない。

 ヒッチコックの作品。もちろん、白黒。風景にしてもきちんと撮ってある。キレがいい。さすが巨匠。

 ただ、作品の詰めが甘いように思えた。パラディン夫人の弁護をすることになった敏腕弁護士(グレゴリー・ペックが演じている。ぼくは彼の演技は好きだ)が夫人を好きになる、その辺が始まりから明確ではない。そうなんだろうとは思うけれど、もっと強くないと、なんかごまかされたような・・・。ヒッチコックブランドを信じすぎたような肩すかし。

 時にはこういうこともある。 

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車で散歩~夜明けの空の公園~

 5時半に家を出て、小雨の中、80年代の寄せ集めをガンガンかけて歌いながら走った。目指すは空の公園。夜明けを眺めるには最適の場所。20キロちょっとのところにあり、車は少ない。

 展望台に車を止めると、目の前は海。雲が低く、薄いところがやや白く、海は静かで波はない。ただ、風が轟々と背後の木々を揺らし、臆病なぼくの神経を研ぎ澄ます。ちょっとの間目をそらすと、雲の様子は変化している。空の上は風が強いのかもしれない。時々外でタバコを吸う以外は、車の中で海と雲を眺めていた。考えていたのは芝居の設定。今回は場所が決まらず、書き出せていない。少々特殊な設定になるのだが、その場所がみつからない。ひたすらひたすら考え、探っているうちに夜が明けた。

 帰りは米水津経由。勤勉な釣り人はもう防波堤で糸を垂らしていた。日曜日の早朝は、おそらく一週間で一番自由な時間。帰って、新聞を広げると、九州の文学館が紹介されていた。次はこれだ。長崎の遠藤周作、鹿児島の向田邦子を頭に入れた。

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『ラブ・アクチュアリィ』を観る

 映画の面白さを味わえる。様々な愛の形がいいテンポで語られている。クリスマスに合わせていて、やはり日本人のクリスマスとは根底が違うんだと思った。顔も名前も知っている俳優、顔を知っている俳優も多く、彩りゆたかな俳優陣。子どもの頃からの好きだった人とのことを思い出したりして、年長者にはあれこれが溢れてくるたまらない映画だ。映画だからできる作品。こういう映画をもっと観たい。

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『主人公はぼくだった』を観る

 久しぶりにNHKの大河ドラマを欠かさず観ている。先週は視聴率が20パーセントを割ったようだけれど、わかる。面白くないのだ。龍馬を演じる俳優は好きな俳優なんだけれど、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を夢中になって読んだのとずれていて、そのズレがじれったいというか、福山の線の細さばかりが目立ってきて、それが不満を強める。また、岩崎弥太郎の視点で描くのも、わからない。弥太郎役は熱演なんだけれど、鬱陶しい。同じ役者が『坂の上の雲』に出ているのも紛らわしい。

 送り手と受け手の間には大きな隔たりや隙間がある。その辺を突いたのが『主人公はぼくだった』、か。最後はそこに着地するのか、と、呆然としたけれど、善意に満ちている作品。ダスティン・ホフマンはいい、ナ。

 

 

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新しい脚本に向けて

 現在メンバーには毎回脚本を渡して、読んでもらっている。ぼくが読んでなんらかの形で面白かったものにしているが、面白くなかったものも渡して、判断は委ねるべきなのか、わからない。

 先週、東京の劇団のY氏とメンバーで飲み、そこで公演をせつかれた。公演をうてないのはぼくのせいだ、で、そこでも話したけれど、今のメンバーだから生まれた芝居をつくりたい。そうしないと、単なる演劇ごっこに終わってしまう。だから、今日の稽古日(家庭の事情で遅れたけれど)では、こういう芝居を考えているけれど、アイデア下さい、と。問題は共有してもいいんじゃないか。ちょっとした一言がグンと世界を広げることだってあるのだ。

 次は絶対面白い芝居をつくる。どこかにあったようで、どこにもなかった芝居。ぼくも気品ある慎みを拭い捨て、ハチャメチャにしたい。基本は「そこまでやるか?」。8月終わりの上演のためには、今月中にメドをつけないと。

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さて、卒業式

 卒業式はすんなりと終わった。今年は式の後、クラスでのあれこれが終わった後、職員室に来る生徒が少なかった。もうみんな帰った頃、時間をおいてやってきた数人と話したが、卒業したからか、いつもとはちょっと違った感じで話せるのが不思議だった。

 卒業式で不思議にならないことは、送辞は在校生がフロアから卒業生に向かって話す。ところが、答辞は卒業生が壇上に上がり、校長に向かって話すのだ。この図式が納得できない。今まで何度か反逆したが、悉く退けられた。改革案は簡単で、話す人の顔がよく見えるようにする図式。送辞はフロアで読むので、後ろの席からは姿さえ見えない。答辞は客席に背を向けるので、感極まる顔が見えない。その人の顔がよく見えるほど、彼らの思いや気持ちは共有できるのではないかと思う。

 もうひとつ。これはうちの学校だけだと思うが、ステージの右手の壁に式次第がある。ステージに向かって右からクラス順に並ぶ。ところが、各クラス4列に並ぶのだが、左から並ぶのだ。これっておかしくないか? 以前はクラスも左から並んでいた。ぼくは「舞台では古来より、風は上手から下手に吹く」とかいって右から並ぶようになったのだが、・・・。式後今日も言ったけれど、来年には忘れ去られ、例年通りとかでまたやってしまうんだろうナ。

 卒業生の活力と充実の人生を祈ります。

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『蛍の光』が歌えない

 明日は卒業式。今日は予行。つまり、リハ。うちの卒業式では『蛍の光』を歌う。ところが吹奏楽の演奏だけで、歌声が聞こえない。大きな声ではなくても歌わない生徒はほとんでいないのだけれど・・・。気になって生徒の列に入っていくと、こちらを見て「知らんにい」という囁きや、訴えるような眼差し。ぼくらの頃には定番だったのに、そうではないのだ。小学校、中学校でも歌っていないようなのだ。約束だから、泣いてしまう。そんな効果もあるのではないのか・・・。今日出会った不思議。

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