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三好十郎『炎の人』を読む

 その作品を知ったのは30年以上昔のこと。その作品が手元に届いて、ほぼ1年。職場の机においていたら、あれやの参考書やこれやのプリント類のうずもれてしまっていた。年度末で、机の移動に備えて毎日少しずつ片づけていたら、発掘された。

 きちんと書いてある。生半可な知識と力量では書けない。ゴッホについてのささやかな断片の知識で描いていた像とは、ちょっと違う形で提出されて、そのズレに沿って、平行線を描く形で読み進めた。

 三好十郎についてぼくは何も知らないし、ゴッホについても知らないに等しい。作品を通して、ぼくはゴッホを理解したのか、三好を理解したのか。理解したというのはよくない。感じたに訂正しとこ~っと。ぼくはゴッホは強い信念があったと思っていたが、作品の中のゴッホは弱い。自信がすぐに揺らぐ。もしかしたら、三好は自分のそういう部分に重ね合わせたのではないか、と、「感じた」のだ。ただ、その「弱さ」は同時に豊かな感受性にも通じるのではないかと思う。

 以前、ある校長が全校集会で「いじめを見て見ぬふりをする人間は卑怯だ」と言った。その後の授業で、ぼくは「卑怯ではない」と言った。それがいいことだと思っている人はいないと思う。でも、言えない、止めることができない人の方がはるかに多い。その人達を「卑怯」と責めるのは間違いだ。言えなくてもいいんだ。止められなくてもいいんだ。それは悪いことではない。そういうことで自分を責めてはいけない。ぼくはそう思う。

 『炎の人』はゴッホを通して自分をみる作品なのだ。

 

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