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四月は残酷

 今日職場で話しかけられた。職場で同僚と話すことは最近少ない。懸命にパソコンでプリントをつくっていたり、暗記テストに入れ替わり生徒が来たり、職員室の奥座敷であり、目の前にあれこれを積み重ねて、向こうからは見えにくいことをいいことに眠りこけていることもあるので、話しかけてこない。今年入った事務の若い奴なんか、一回来たら、後は電話。高文連を退いてから、電話の回数は激減した。鳩山内閣の支持率の数倍減った。で、かかってくるのは事務からのみ。まッ、話しかけて欲しくないという気持ちもあるから、おsれはそれですこぶるいい。

 久しぶりに話しかけられて、彼は(女性だったら嬉しかったのだけれど)、「○○○ ●●●で検索したら、どうも・・・」、ぼくのブログだったようで、「ダースベーダーで確信しました」とのこと。そうか、我が家のダースベーダーは世間一般にかすかに広がりつつあるのだなァと感慨ひとしお。

 さて、昨日の木浦鉱山。ここに書いた後、検索したら、出てくる出てくる。でも、どれも満足させてくれない。ウ~ム。

 女郎で木浦を書けないか。ぼくの興味は現在ここにある。サマージャンボが当たったら、木浦の民宿に数カ月泊まり込んで、幾つかの史実をもとに恋愛活劇を書きたい。人間として枯れ始めたのに、何て残酷な天啓。

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車で散歩~新緑の木浦篇~

 木浦を抜けて宮崎の日の影を走ってみようかと7時過ぎに家を出た。

 名水館に車をとめて周辺を歩いていたら「女郎の墓」と案内があり、目的を変えた。木浦は鉱山が江戸時代からあり、そこで働く人たちは様々な職業を生んだのだろうが、今まで女郎ということは考えもしなかった。

 木浦の集落を離れ、山道を登っていく。男達はそれを歩いて登り、そして下っていった。集落から6キロほどのところに墓はあった。石で四角に囲み、真ん中に大きめの石を置いてある。木浦の文化財になっていて、説明を読むと、17基あるという。木浦は山の奥にあり、畑は少ない。彼女達が、畑仕事をしようにも、かなり難しかったと思う。貧しく、厳しい生活。死んでも葬式どころではなかったという。ぼくの頭の中は様々な言葉や映像がめまぐるしく浮かんでは消えていた。一枚だけ写真を撮らせてもらい、手を合わせて、去った。

 そして山道を下り、宇目に出て、直川で風呂に入って帰った。

 木浦の女郎。調べてみたい。

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我が家のダースベーダー

 今までぼくの芝居はどこかの部屋で展開させた。それは個人や教師たちや親たちを考えるためだった。次の芝居は時代に向き合おうと思っている。ただ、それを一番小さな単位、夫婦で考えよう、か、と。だから、場所が変わります。

 ぼくは配偶者を「同居人」「娘たちの母親」とか呼んできたが、最近は「ダースベーダー」。もちろん、本人に向かっては言えない。言ってしまったら、・・・、ダースベーダーは息も乱さずに・・・。

 呼び方を変えるのは、距離感の調整。

 人間関係は距離感の調整で決まる。要は近づきすぎないことではないかと思う。結婚披露宴で「一心同体」とかスピーチをする人がいるが、そんなことはあり得ない。不可能なことをしてはいけない。抱き合っても距離はある。二人は適度な距離を見定め、保つことが肝心ではないかと思う。別に夫婦に限ることではないけれど。

 国も時代も、根源は夫婦。だから、次の芝居は、それ。本当は、ダースベーダーを使いたいけれど。 

 

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今週の喜(1)

 少し前の話。娘を医者に連れていった時、かなり待つ気配。時間潰しに売店で読み物を探していたら、古田新太の『柳に風』があった。

 昨日、3D体験で映画に行き、映画の後食事、その後「自由時間」にした。ぼくは本屋をぶらぶら。アイルランドの本を取り、あちこちみていたら、夫婦関係の雑誌があった。今度の芝居で、その辺をちょっと出したいと思っていただけに、すぐに取った。

 ツイてる。まだ、運がある。ささやかすぎるくらいだけれど。

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3D映画を観る

 娘たちのアッシー君として『アリス・イン・ワンダーランド』を観た。作品自体にはそれほど興味がないが、3D映画なるものを体験したかったからだ。

 面白い。これから、3D映画の面白さを使った作品がどんどん出てくるだろう。ただ、ぼくとしては、爆発やら破壊やらの作品はいい。テレビも3Dになるだろうが、テレビを観るたびに眼鏡をかけるのは面倒臭い。いずれ、その面倒もなくなるだろう。そういう変化の間にいるのだなァ。

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道草は楽しい

 大学時代だったか、いつもと違う道をたどったら、こういうところもあったのか、と、発見と驚きと歓びがあった。以来、本筋と外れることおびただしいけれど、結構楽しんでいるから、いいかナ。

 今の道草は落語。一日ほぼ2時間。面白い噺に出会うともっと面白いものはないかいな、と、聴き続ける。くるまのハードディスクにボンボン放り込んでは聴く。

 毎日の生活にチョットいつもと違うものをさしはさむのはいい。

 こういうのも発見があるかも:

  めぶき園の絵画展 4月19日(日)~5月23日(日)
   珈琲を愉しむ店「ばんぢろ」(コンパル裏口駐輪場のパルコ側隣)
   営業時間:AM11:00~PM9:00(金・土PM11:00まで,日PM8:00まで)

 道草って無駄なこと。でも、無駄が大いなる結果を生むことも多い。色んな道草を!

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落語は面白い

 2週間で10本ほどのCDを借りて、聴いている。面白いのだ、メチャクチャに。

 ここ最近は、桂米朝。いい。『帯久』のスカーッとする結末。『天狗の裁き』の決末を想像させない語りの妙。文珍、志の輔の若手には及ばないうまさがある。

 今度の芝居で、どうにかして、落語を出せないかと考えている。

 車の中で、落語を。

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公演に向けて(3)

 稽古が終えて帰る頃には雨脚が強くなっていた。雨が多いですね。それと、身辺で亡くなる人が立て続け状態です。かなたではアイスランド火山の噴火で、多大な影響が出ていて、ノーテンキなぼくでも、時代と私、みたいな部分を考えてしまいます。

 さて、連休明けから、公演に向けての稽古に入ります。今日は、メンバーに二人が先日のせんせいしよん公演の報告から始まりました。そして、構想の一部を話しました。まずは幕開きについて、即興でやってもらって、その後脚本を渡すという形でやってみます。肝心の基本設定は最後に明かすことにしました。ただ、今まで考えていたハチャメチャなことをしたいという気持ちは残しています。そしてタイトルは一応、『A・CHA・RA・KA』。黄金週間にどこまで書けるか、です。

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完全なオリジナル作品は存在しない

 今日は遠足だったが、雨で校内遠足。高校で校内遠足ってのには笑ってしまう。今年はとにかく雨が多く、小学校、中学校のお別れ遠足、歓迎遠足も多くは同様な状態。小学校、中学校は給食の関係で一度決めると、つまり弁当の日になってしまうと、延期なんて難しい。それにしても、雨の多さ。これが夏場の水不足につながってしまわないかと心配だ。愛媛での全国総文の時、水不足でホテルの食器は全て紙。通常の食器だと洗わないといけないからだ。

 さて、上海万博のテーマソングが、岡本まよの曲に酷似しているというので問題になっている。聴きくらべてみると、そのまま。さすが中国。こういうことに平気なのは、あれやこれやで証明済み。

 ペルシャ時代という、全く知識のない昔昔の詩人が「全てのことは書きつくされた」と言ったとか。シェイクスピアの作品の多くにも下敷きになる作品がある。演歌の盗作問題では、あるフレーズは認めてくれないと曲を書けないという悲鳴をきいたこともある。

 ぼく達の芝居は今までオリジナル作品を上演してきた。しかし、ある部分は誰かの影響やヒントや設定を借りているということもあるかもしれない。今までのところぼく自身意識して書いたことはない。しかし、ある人にとっては、「盗作だ!」と叫ぶことにもなるかもしれない。

 現在次回公演の脚本を考えているが、前回の稽古日に設定を話すと、似たような話を思い出したという声があり、こりゃイカン、と、設定を改めた。おかげでよりいい設定になったのだけれど、中国だったら、こんなこと考えずに取りたい放題なのだろうかも。そんなことを思わせる上海万博の歌だ。

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公演に向けて(2)

 昨日の「寺はほろびる」だったか(自分でおぼえていないのは死期が近いのか)、エスプリという方からコメントをいただいたけれど、やはり正確には「いくつかの寺は滅びる」とすべきだったと後悔している。というのは、時折NHKとかで京都とかの高僧のあれこれに触れると、そういう人は素直に素晴らしいと思う。ぼくが要らないと思う寺は、日頃は地元の人との接触はなく、ただ檀家というだけで金儲けをする寺なのだ。いわゆる「葬式仏教」。社会は変わっているのに、情けない感受性と想像力。それで人が救えるものか。

 さて、寺に云々するのは、次回脚本と結構かかわっているからではないかと思う。ずっと前から言ってきたように、次の脚本がオリジナルとしては最後と決めている。その後に、シェイクスピア作品を翻案して上がり。そういう計画なんだけれど、相も変わらず密室的な場所での芝居で、最後とか考えてしまうから妙なところにチカラコブが入ってしまっている。生きるということは、ナンテ、如法暗夜をうごめきまわったている。

 先週の稽古場で、設定を話したら、似たような設定を思い出したと言われたので、変えた。意地。そしてポンと思いついた。コロンブスの卵。

 明日の稽古は、新しい設定での即興をやってもらい、そのうえでみんなで検証しようと思う。

 加えて、ほぼ30年間とちょっと楽しさと刺激を与え続けてくれた井上ひさし氏への追悼を込めて、ほんのちょっとだけひさし的要素を入れたいと思う。それにしても、残念でならない。ありったけの感謝をこめて哀悼。

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寺は滅びる

 知り合いの葬儀に行った。運転しながら、歳を増やすごとに葬儀場みたいに、行く場所が変わっているなァと考えた。どうも落語の枕を考えている自分がおかしくて仕方なかった。その時聴いていたのは立川談春。昨日聴いた春風亭昇太は面白くなかった。文珍、志の輔、枝雀、三枝をたっぷり聴いた後では仕方ないかもしれない。談春は正統派だけれど、志ん朝のような艶がない。発展途上ということか。

 葬儀の坊主のお経って、腹がたつほどつまらない。以前も書いたけれど、戒名は字の数で金額が決まったり、とにかく、お寺の営業方針は許せない。帰って、娘たちの母親に、「オレが死んだら葬式も戒名も要らない。死んだら、焼いて、残った骨はゴミの日に出せばいい」と言った。彼女も似たような考えで、「でもゴミの日に出せってのは教育上よろしくない」と苦言。

 ぼくが死んでも、葬儀などは行いません。一応死んだことを知らせる人は伝えておきます。自筆で書き遺すけれど、骨の処理だけが、未定。

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クラスの役員決めは大変だ

 どうも部屋のテレビの具合が悪い。上下がドンと狭まって、あらゆる車がリムジンのように見える。それはそれで高級感が漂うのだけれど、馬とかの動物になると大変だ。地デジに完全移行をCMで流すもんだから、アナログがいじけて自ら閉じようとしているのかもしれない。『セールスマンの死』でウイリー・ローマンが「ローンがやっと終わる前に新しいものを買わなくちゃあならない」みたいなことをつぶやくが、そんなもんだな、人生は。

 昨日は下の娘の中学校入学式。新入生紹介がまず最初にあり、クラスごとにステージに上がって名前を呼ばれ、礼をするのだ。「1組の生徒はステージに上がりなさい」という指示に思わず笑ってしまった。5クラスで20分ほどかかった。式の3分の一くらいの時間を占める。それが必要なのかどうか。

 それからホームルーム。そして保護者の会議。クラス役員を決めるのがメイン。ところが決まらない。小学校からずっとそのいら立ちを覚えていた。そういう席では男はたいていぼく一人。ぼくは委員長に手を挙げたものの、そして子どもの生活が変わる時に、親も少し変化しましょうよ、と、呼びかけた。そして、早く決めて早く帰りましょう、と。その効果ではないだろうが、幾つかの係りが埋まったものの、残りが埋まらない。時間が過ぎていく。委員長の会議があるので、ぼくはそこを退席した。ところが、まだ決まっていないクラスがあり、会議ができない。会議ってのは、学年の委員長と副を決めるだけ。決まっていないクラスの委員長が学年の委員長を務めるわけがない。だから、所要のため帰ったクラスの委員長が「誰もいなければやります」という言葉を残していたというので、残りの3人でジャンケンで副を決めましょうと提案。他の二人が賛成したので、係り教師は苦い表情だったが、関係ない。ぼくはジャンケンに勝った。

 父親がもっとPTAに参加すべきだと思う。そうすれば、学校も変わっていくんじゃないか。少なくとも、PTA新聞hもっと面白くなる。 

 

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公演に向けて(1)

 年度末のあれこれで久しぶりの稽古日。稽古日っていっても、脚本ができていないから、ぼくとしては仲間のリサーチというか、意見を聴くというか、それがメインの座談会。

 仲間内だけの掲示板に「場所を見つけた」と知らせたのだけれど、下手をすると「なんでやねん?」になってしまうかもしれないと思っている。そこをクリアするにはどうすればいいかをずっと考えていた。さすが稽古場。あれやこれや話しているうちに、雨後のタケノコ(それほどの活力はない、か?)のようにニョキニョキとアイデアが出てくる。次の稽古日までに、はて、どれだけ書けるか。

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人は立場で考える

 ぼくは以前教職員組合に入っていたが、脱退した。それまで「教え子を再び戦場におくるな」で日の丸、君が代に反対していたのに、支持していた政党から首相が出て、その首相が日の丸、君が代にOKしたのに、まだ支持していて、・・・他にも理由はあるが、ぼくにとっては意味のない場所になった。

 永井愛の『かたりの椅子』を読んで、これは国立劇場のゴタゴタがあったから生まれたのかナと思ったけれど、混沌としている。永井のスパーッとした切れ味がない。以前の永井なら、沼瀬とその周辺とかで描いたのではなかったのか、と、ふと思った。もちろん、国立劇場問題が根底にあれば、その周辺の訳のわからない人達狂騒曲になってしまうのだろうが、そこにドラマはない。現象だけしかない。

 郷に入れば郷に従え、と、言われる。その通り。しかし、絶対に譲れない私の部分は残さないと。私がいるから世界はあるのだ。立場で私を変えるようになったら、おしまいではないか。生まれてきた意味がないのではないか。

 君が代に反対したあの今はなき政党は、反対するばかりで、代案を出さなかった。サザンの桑田に、ユーミンに、とかとかとかに依頼すればよかったのに。政治家は、日本に生まれ、日本に生きていることをよかったと思わせるようにしなきゃあな。

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職場の机の位置

 今日職場の席替えがあった。前の職場では机ごと移動していたので、混雑極まりない状況だったが、今の職場は引き出しだけ交換するので、それほどでもない。

 今の職場に変わって2年目、担当学年によって場所が決まっているから移動という意見に反対した。せっかく生徒がこの場所を覚えたのだから、変えない方がいい。それで、うまいこと3年間同じ場所だった。その生徒を送り出して向かいの席に移動した。そこは一番奥で、棚もロッカーも掲示板もあり、本をたくさん収納したり置いたり、メモやらナンヤラはることができる。最高の場所。

 そして、その場所で4年目を迎えた。クックック。他の職員は荷物を持って動き回るのをみながら、窓の外の桜をボンヤリ眺める。いい春かげんだね。

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落語にはまる

 まいった。GEOで談志のDVDを借りていたのだが、8巻目を返して、残りを全部借りようと思ったら、棚にない。ケースもない。それでカウンターに行って、たずねると、バーコードの書き換えとかで、本店に返したので、ちょっと時間がかかります、だと。毎週二巻ずつ借りていたんだ。じゃあ、今週また来るナと考えんのかいな。もういい。GEOはもういらない。それですぐTSUTAYAに行き、カードをつくった。以前はそこだったけれど、クレジット機能付きにして、ずいぶん時間がたってどこかの会社のカードが届いた時、こんな訳のわからんもん要らんと捨てたら、それがTSUTAYAの更新カードだったようで、前のカードで借りにいくと「期限切れです」。それですぐGEOに行って会員になった。そういうこと。

 ところが、TSUTAYAには談志のDVDがない。それで、CDを借りることにしたら、落語のCDはGEOよりはるかに多い。三枝と文珍は全部聴いた。大笑いした。談志のCDもあったが、悔しいので弟子の志の輔を借りたら、めっぽう面白い。師匠(家元?)より面白い。「死神」なんて、オチ(下げ?)も含めて最高。それで、今日全部借りてきた。枝雀と志ん朝を一枚ずつ交互に借りているが、王道の志ん朝と遊び心漫才の枝雀も面白い。

 夏までにはTSUTAYAの落語は制覇できると思う。ただ、先代の円楽は残るかもしれない。昔は好きだったのだが、彼の師匠円生が亡くなってしばらくしてから、彼は世相の評論家みたいになった。教育について意見したり、ね。それで、ぼくは円楽から離れた。

 エンターテイメントに説教は要らない。

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