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たかお氏のコメントについて考えた

 「プロの審査員だったら、あの舞台を最優秀には選んでいないと思います。」と、ある顧問審査員は言った。高校演劇の現場では、プロの審査員と顧問審査員では微妙に異なる傾向があるかもしれない。

 基本的には観客としての好みがあるとは思う。ただ、観る前に自分で「こういう芝居」と思っていて、それとズレるとNOが出る場合もあるかもしれない。演じる側も今、観る側も今。それがライブの面白さだろう。

 『誰も見たことがない場所』に関しては、むしろ一般の人の方が評価は高いのではないかと思う。演劇人にとっては、演劇を知っているが故の呪縛がありはしまいか。昨日の宮崎公演でのアフタートークショーでは、夫が自殺した人が手を挙げて発言した。演劇人は芝居として観るのかもしれないが、一般の人にとっては、芝居としてのあれこれではなく、新聞やテレビやおばちゃん達の会話やあれこれの中の一つではないのだろうか。

 ぼくは生徒と芝居をつくっていた時は、彼らにとっての一番の観客として意見を言ってきた。今、社会人と芝居を模索する時も、ぼくが観たい芝居、隣の観客には「他ではやってないですよね」と囁けるような芝居を考えている。だから既成脚本は上演しない。ぼくのラストの脚本は、シェイクスピアがそうしたように、シェイクスピア作品の大胆な翻案に決めている。

 ただ、「ワンツーワークス」を観て、ラストにいく前に徹底的にこだわり、それに見合う取り組みをして脚本を書いてみようと思っている。

 たかお、さん、到底疑問を満たすものにはなっていないでしょうが。

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劇団ワンツーワークス『誰も見たことのない場所』を観に行く

 スパイダーソリティアが816連勝で途絶えてしまって、これを上回る記録までたどり着くには、気が遠くなりそうだ。そんな状態で宮崎まで行った。

 面白かった。劇団員全員で、自殺した人の周辺の人に取材し、その莫大な証言から選びとった言葉で構成、脚本にした(ぼくには気が遠くなるように思えてならない)「ドキュメンタリー・シアター」というものらしいが、無駄な台詞がなく、その一つ一つが身に染みた。上演後のアフタートークも面白かった。会場の男性が「本人の映像で語ったものの方がいいのではないか。創作の部分があればもっとよかったかもしれない」と発言したのに対し、本人を役者が演じることでワンクッション置き、観客の想像力に働きかける効果があるし、これは創作だと思っている、と、脚本・演出の担当者は答えた。同感。

 さて、その劇団には大学の後輩が3人いて、久しぶりの再会。彼らは大学から芝居に走り続けてきた。敬意。そして、敬意が募るほどに刺激を受けた。もう少し入れ込んでみよう、と。佐伯の芝居仲間3人と行って、帰りの車の中では、これからもう少し積極的に公演を観に行き、刺激を受けようと確かめ合った。いい経験は次に走らせるんだ。うん。

 帰りは局地的豪雨の連続。ワイパーを高速にしても効かない。ところがしばらくすると雨は降っていないどころか道路は乾いている。ナーンダと思っているとまた豪雨。そんなことで、『龍馬伝』を見逃してしまった。しかし、悔いのかけらも感じない、そういう大満足の宮崎行きだった。

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虹を見た日

 今日はコスモタウンを通らずに、弥生から帰った。上岡から番匠川の土手に上がると、城山の上に虹がかかっていた。虹を見るなんて、何年ぶりだろう。ちょっと遠回りして正解だった。最近ちょっとイライラさせることが続き、イライラすることにもイヤになっていた。そういう時、虹。こういう些細なことで、気持ちは変わる。

 昼間、炎天下、敷地外で熱中症覚悟で(大袈裟?)タバコを吸っていたら、携帯に電話がかかっていたので、電話したら、ヒッチハイクの人を乗せたんだが英語がわからない、とかで、その人に代わってもらって、ちょっと話した。これも面白かった。ぼくは最近、日常のささやかな面白さに向かっていなかった。これはいけない。もうちょっとだけ大胆にささやかながらも面白い毎日を求めた方がいいんじゃないか。いつ死んでもいいように。

 虹を見て、帰って、はて今日の草木への水やりは、と、思って空を見たら、かすかに雲。申し訳ないけれど、降らなったら朝あげるから、と、自分にビールをあげた。そしたら、雨。結構強い雨。強いけれど、優しい雨だった。

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唐十郎の連ドラ出演

 TBSの「班長」(というタイトルだった、と、思うけれど)に鑑識のベテラン役で唐十郎が出ている。複雑な思い。以前、「北の国から」だったか、野蛮とか野獣とかっていう感じの漁師役で出てて、それは面白くも、唐ファンにとっては感動的だったけれど、今回のはチマチマしてる。

 さて、最近英語の勉強に熱心なイーダだだけれど、今日読んだ「ドーナツ半分は複数形?単数形?」とかいう(今日読んだのに、この有様とは、・・・)は英語の授業や参考書では出会えない説明があり、目からウロコってのが多い。書いたのは理系の韓国の人。理系らしく、何故に対してきちんと説明してくれている。いい本だ。英語をやり直そうとする人には、勢いがつくかm。

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喜々怪々

 行きました、「どんこの里犬飼」。タカオがおいしかったというオムライスを注文するのもシャクだったけど、たまご料理大好き人間なので、躊躇なく。

 おいしかった。たまごに愛情がある。そういうたまご料理は文句なしにうまい!できたての店なので、片隅まで愛情が行き届いていた。10号線で竹田に曲がる手前大分寄りの場所。是非、一度!

 「アメリカの連合した状態」って何? 「状態」が「州」だけのことなんだけれど、「アメリカのことだよ」ていうと、「アメリカってUSAじゃないですか」。だからそれは・・・。ああそうか!って喜んだ表情はうれしかった。

 実は、「怪々」にはもっと驚愕の事実があるのだが、もうちょっと調査しないと。

 

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娘、帰る

 予定時間の30分ほど前に中学校に行く。ソフトボールと野球の練習をぼんやり眺めた。おそらく中学校になってはじめてバットを振るのだろう、紅白試合のバッターは空振りが多く、そのスイングはぎこちない。一方野球部は椅子に座ってトスバッティングをしていた。スポーツにも様々な科学がなされている。sれにしても、暑かった。その暑さの中で懸命に取り組む若さはやはり羨ましい。

 予定時間より30分以上遅れてバスが到着。バスの窓からぼくを見つけた娘が手を振った。楽しかったに違いない。

 荷物をほどき終わることなく、娘は横になると、すぐに寝入った。それまでに話した限りでは、大満足だったようだ。現地の新聞を渡され、それには男子生徒とインタビューの記事が写真入りで出ていた。その記事を読むと、「とても楽しいので、家に帰りたくない」という発言があった。それくらいでなくっちゃ。猛烈に帰りたくなるような家にした方がいいのか、ナ、ともかすかに思ったことも事実ではあるけれど。

 貸したデジカメは故障してた。それで急いでカードリーダーを買いに行き、ハードディスクに移した。500枚近い写真と2つの動画。案内やら店やら街並みやら、ワニやらカンガルー、コアラ等の「いかにも」やら(ワニがいかにもとは思わないけれど)、ぼくは一枚一枚、シャッターを押した娘の気持ちを「科学」しながら観た。それを通して、娘の一端に触れたような気がした。

 今日個人した生徒と読んだ英文の中に「カルチャーショック」についてのものがあり、中にはしばらくして出るケースがあるとあった。今もまだ畳の上で眠り続けているけれど、夢の中ではまだオーストラリアなのかもしれない。短い経験だったけれど、何かのステップになればいいナ。

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夢二題

 二晩続けて夢で汗を書いた。

 最初はラグビー場。おそらく花園と思う。とにかくごった返す人の間を一所懸命に観客席へと急ぐのだけれど、進まない。ある人影にもしやと思ったら、やはりあの元校長がニコニコと立っていた。テキトーに挨拶して、さらに狭い通路を進む。ふと、バッグの中のカメラが気になり、開けると、見慣れぬカメラが入っている。さっきの所で間違ったのだ、と、帰ろうとするが、これも進まない。

 もう一つは、ひさしの『道元の冒険』を上演している夢。体育館みたいなところで、観客は床に座っていた。何故、ぼくが観客席に行ったのかはわからない。あるマスコミの女性がインタビューしてきたのだ。今は困る、と、断ったら、チケット代金を払おうとするので、受付で払って下さいと言えば、受付誰もいないんですよ、と。ああ、芝居もかなり進んでいるからな、と、思い、ステージの上から、下手の方に回ろうとしている時、はて次の「王城鎮護」の歌の後の場面は何だったっけと考え始める。ところが全く思い浮かばない。大丈夫かと焦り始め、そして練習しないまま上演していることに気付いた。頭が真っ白になって目が覚めた。

 お粗末。

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夏休み日記(最終日)

 明日からの仕事に備え、今日は予習。熱心な生徒がいると、それにどうにかして応えようと、こちらの勉強にもなる。大学入試の時は、一日に数時間英語の勉強をした。しかし、入学してからは芝居にのめり込み、勉強がおろそかになった。教師になっても、勉強しなかった。で、ここ数年は勉強している。その時の考え方というか英語への接し方に芝居が役だっている。詳しいことは面倒なので書かないが、人間が書いた英文、少なくとも学校や入試に出る英文なら、人間は誰でも賛否は別にして、理解できるはずだ。

 その中でぼくが確信したことは、疑問を持つ大切さだ。ぼくが高校の頃、たとえば受動態は「目的語を主語にしてbe動詞プラス過去分詞にする」ということだけ教えられた。教える側になって、何故そんなメンドーなことが必要なのか、そこから教える必要があると考えた。そういった疑問がぼくに沢山のことを教えてくれた。そしてそれこそ芝居から学んだことなのだ。「そこで何故右を向くの?」 上演までにはすべての疑問を解決しなければならない。

 さて、一週間の夏休みが終わった。バタバタ感のなかで終わったけれど、今までの夏休みでは濃かったと思う。あれこれに手を出すほど若くはないということなのかもしれない。でも、ささやかながらこの身に蓄えたあれこれを考えると、若くなくていいと思う。若さってのは浪費だけなのかもしれない。

 

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夏休み日記(8)

 上の娘がオーストラリアに行き、下の娘は部活も休みで、時に宿題かをしたり、ピアノの練習をしたりして、それでちょっと外出。豊後高田の昭和の町に行った。ぼくが行きたかったからだけなのだけれど、面白かった。『ボローニャ紀行』でひさしが絶賛した町づくりに近いような気がした。もっとも、おばさんと中学生が一緒なので、自分のペースで歩けなかったから、今度は一人で行かないと。

 昭和の給食があった。今は中学校も給食があるが、ぼくらの頃は中学は弁当で、帰りのホームルームで牛乳を飲む「牛乳給食」。ぼくはそれほど好きではなかった。しかし、部活が終わると、その日の残りの牛乳を取りに行く時は全力で走ったものだ。昭和55年から値上げしていませんという食堂で、ぼくは親子丼を食べた。鶏の肉片が3切れ入っていたのが良かった。ぼくは鶏肉は好きではないからだ。350円。安い。卵が絶妙で美味しかった。

 富貴寺に寄った。ずいぶん前に行ったのは冬だった。猛々しいくらいの緑の中にたたずむ国宝は凛としていた。素足で歩く板の感触も良かった。四季折々の姿を観たくなった。娘も、パンフの雪に覆われた写真を観て、それを観たいと言った。しかし、彼女の母親が真木大堂を提案したが、娘はもうお寺はいいと却下。わかる。ぼくが中学の時の修学旅行は奈良・京都だったが、面白くなかった。おじさんの入口辺りで京都に行き、神社仏閣を訪ねた時は、その空間を楽しめた。高校生までは入場料をタダにした方がいいのではないか。タダにして、おまけに特別なパンフを上げるとか。行って良かったという思いを与えれば、自分の子どもも連れていくのではないか。とにかく金を取ることしか考えていない。この辺の貧しさを再考した方がいい。できえば、これは日本全土でした方がいい。子どもたちが日本の歴史的・文化的なものに触れるのに、金は取るな。ナビでは自動車道料金は28??円だったが、実際は無料区間と割引で400円。そんな割引よりは、子どもがあそこに行きたいt思わせる企画をして、子どもからはお金を取らない。その方がいいと思う。

 政界では部分的に協力体制を取ろうとしているような気がする。政治は部分ではなく、全体を見据えての上での部分でしかない。全体がないものが、部分ではなく、断片なのだ。

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夏休み日記(7)

 朝、いつもより長い距離を犬と歩き、帰るといつもより長い時間かけて犬を洗い、庭木の枝を切った。そして図書館に行き、本を一冊、目を通した。昼に帰って、昼寝をしたが、暑くて、暑くて、エアコンの部屋で続きの昼寝。その後、墓参りに行き、親父と1時間ほどウダウダと話した。

 テレビのニュースでは必ず高速の状況が空撮で流れる。盆をいうのを仏教は発明して、それが日本での大移動を生じさせている。罪作りな発明だと思う。それも、寺や坊主の利益のためではないかと思うと、腹立たしくなる。一年に一回くらいは死者に思いを巡らせ、自分の生き方、死に方を考えるのはいい。しかし、それは自分なりの方法でいいのではないかと思う。だから、ぼくだったら、盆ではなく、別の日程で移動するだろうナ。

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夏休み日記(6)

 開館と同時に入り、12時までの3時間3冊の本に目を通した。小説てゃ違い資料だから、それができた。小見出しによって全部読む、3行飛ばしで読む、段落の最初の行だけ読む、読まないという風にしたから目を通すことができた。必要な部分はノートに取った。期待を込めて買ったペンが水性ではなかったので、ガッカリして、万年筆を持ってくればよかったと後悔した。そんなこんなで集中力を強いられたせいか、それともただ単に固い椅子のせいなのか、腰が黄色信号を発し始め、それで12時で切り上げた次第。

 帰ってからちょっと昼寝をして、プロットを練り直して、メダカの水汲みに行き、井上ひさしの『ボローニャ紀行』を読んだ。ひさしを引きつけたボローニャの魅力が確実に伝わった。日本が立ち直る方法の一つとして「ボローニャ方式」には学ぶことは多いと思う。2008年発行のこの本、見逃してたなんて・・・。今日はもう寝て、明日の早朝は剪定をやってみようかと思う。

 

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夏休み日記(5)

 朝2時半に起きて、3時前に娘を起こす。娘がシャワーを浴びている間にコンビニにサンドイッチを買いに行き、荷物の最終チェックをして、4時に集合場所に出発。保護者の中にはバスを見送る時に涙ぐんだ人もいたようだ。

 帰ってから眠りなおす。今日に限って、下の娘は何も予定がないということで、手に入れたいCDがあるとかで、市内を走り回った。それ以外はリクエストに備えての待機状態。今日から部活が休みということを知り、シマッタと思った。ぼくは夏休みを来週に設定すべきだったのだ。そしてそれを極秘にして、仕事に行く時間に家を出て、そのままちょっと離れた温泉に行ったりとか・・・。うん、そうだな。来年は。

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夏休み日記(4)

 洗濯機を回している間に犬と歩く。帰れば、洗濯物を干す。それをしたら、また眠ってしまった。次女が部活の間に、明日からの補充で長女とうろつき。じゃあ、ハヤシライスでも作るかと、それをつくり。「忘れ物はないか」を一時間ごとに繰り返し。確認した。

 今まで何度もOKだったけれど、次から次に出てくる。

 で、時間切れが目覚まし時計。もう、遅い。

 あたふたが過ぎる。放っておきゃあいいんだけれど、ダメだな。親はバカになる。

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夏休み日記(3)

 朝、遠くを避けて、弥生の湯のサウナでこれでもかというくらいに汗を流した。本当は部屋を拭き掃除や伸びすぎた枝を切ったりして汗を流した方がいいかもしれない。労働で汗を流すべきだろうと思いつつ、夏休みだから・・・。

 上の娘がオーストラリアに行く。佐伯と姉妹都市を結んでいるグラッドストーンと毎年交互に中学生を受け入れている。昨年行くはずだったが、ホラ、インフルエンザで中心になって、今年になったという次第。

 で、自分を含めて家族や友達などを紹介する写真を持参するのが伝統なようで、そのことは承知していたが、今までの写真にプラスすればいいと思っていた。ところが、自分で撮る、と。それを渡されて、印刷しようとした。ところが、ウームというものがあった。しかし、彼女の思いはそのまま活かすのがいいのだと言い聞かせ、印刷した。

 ところが台風。水曜日の出発だけれど、どうも一番良くないような。でも、空港で待つウンザリも経験のうちか。

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夏休み日記(2)

 腰をいたわる一日。夕方、教え子から飲みにいきませんかと電話があったけれど、冗談じゃない。日曜日に飲める奴と飲めるかいな。オレも調子にのって、この二日の「いたわり」が無駄になってしまう。

 6月に携帯を変えた、と、6月に書いた。今の携帯はどれもテレビが見られるそうだけれど、ぼくの新しい携帯もそう。これで、職場で『水戸黄門』がこっそり見られるkもしれないと楽しみにしていたら、受信できない。家でも受信できない。それでアドレス帳の整理でもしようかと、あ行からなぞっていった。3年以上連絡していない人はカットしてもいいかナ、と。消す前に電話してみるか、と、かけたら、出たのだ。当たり前だけど、とてつもなく嬉しくなった。詳しいことは書かないけれど、久しぶりに誰かに連絡してみるってのも、いいかもしれない。

 先ほど雨音がした。雨だろうと、晴れだろうと、明日、腰が許してくれれば、湯につかりに走ろうかと思う。

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夏休み日記(1)

 今日から15日まで夏休み。脚本の完成が目標だけれど、火曜から図書館に籠ろうかと考えている。ところが木曜から腰痛が出た。昨日はやっとの思いで帰りつき、すぐ横になった。今朝は犬と散歩、洗濯をして、犬を洗い、ほとんど横になっていた。横になって観た『シュー・クリーン・ボーイ』は面白かった。西田敏行だから、あそこまで面白かったのかもしれない。

 今日は番匠川の花火大会。娘たちは浴衣を着て、ぼく達の携帯をそれぞれ持って、母親に送ってもらい、9時過ぎに電話がかかってきて、母親が迎えに行った。帰ってくると、楽しかったと弾んだ声が返ってきた。昔の花火大会の写真は、ステップワゴンの後ろのドアを開けて、ヘッドレストを外した座席を倒して、そこにみんなで座って眺めたことを・・・。もうすぐ送り迎えも要らなくんるんだろうナ。

 さて、とにかく腰をなだめ、図書館に座り続けることができるかどうか。一日に一つずつではあるが、台詞が訪ねてくれている。今まで下ネタは使わない主義だったが、どうしても使いたいものが訪ねてきたので、使うだろうナ。今度は夫婦の芝居です。

 

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ぼくの間違い

 ぼくが書いた脚本の中で一番好きなのは『S・O・S』だと思う。高校生に書いた。それをオトナ版にしようと書き始めたものの、途中で進めなくなった。高校生をオトナの登場人物にしようとしたからだ。ただ『S・O・S』の設定はぼくとしては気にいっていて、だから、その設定に寄っかろうとしたのだろう。間違いだった。書きたいことが形を求める。

 『A・CHA・RA・KA』を考えながら、その幕開きに「離婚式」を使おうとして、稽古場でも「相手の許せないところ」とかをリサーチしてもらった。幕開きに使うには、内容が濃い。その濃い部分を枕に使うのはあまりに安易。それで、安易な部分をきちんとしようと思った。

 毎年ある学校の顧問がオリジナル脚本をメールで送ってきて、意見を求める。彼はまじめだけれど、遊び心がない。2年間感想を送らなかったけれど、今年は送った。それを書きながら、ぼく自身のことも考えた。その内容はぼくにとっては極めて当たり前なこと。その当たり前なことを確かめることになった。

 来週は夏休み。佐伯図書館で脚本に専念しようと思う。

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福原義春『私は変わった 変わるように努力したのだ』を読む

 資生堂名誉会長が書いたり、話したりした中から厳選した言葉を収録した一冊。主に経営者としての心構え、そういうものが多い。しかし、「経営者」を「首相」「総裁」「校長」等のリーダー置き換えても通用する。

 昔、ある会社経営者と酒の席で同席したことがある。彼はぼくに「靴下は自分ではきますか」と訊いた。もちろん、と、即座にこたえた。すると彼は「私は自分ではきません。足を出すと、女房がはかせてくれます」と言ってから、あれこれ話し、「あなたもそうならなくては」と結んだ。彼は自分の娘にもそう教育していると威張った。自分で靴下もはけない男になってたまるものかと思ったが、音声化しなかった。

 ぼくは今まで20人ほどの校長を見てきた。ある校長の時は、全校朝礼が楽しみだった。話が面白いのだ。入学式の式辞で、ブルース・スプリングスティーンの歌詞を引用したのも心地よい驚きだった。ただ、彼を尊敬できたかというと、尊敬まではいかないかも、と、思う。となると、尊敬できる校長は皆無だったとなる。現在の校長はよく動いている。今までの校長の中で一番よく動いている。前の校長が動かなかったから、余計にそう感じる。

 働いている、を消して、動いていると書き変えた。人が動いて、働くとなる。校長という立場で動いても、働くということにはならない。ただ、彼は懸命に動いていると思う。

 学校をよくするには尊敬できる管理職を置くことだ。生徒からも、職員からも尊敬される校長。県は管理職人事をきちんと誰にでも説明できるのか。

 福原さんの言葉を読んで、それをあれこれ考えると、学校の人事への批判になっているように思えた。同時に、学校がよくなる可能性も確信できた。  

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井上ひさし『一週間』を読む

 レーニンの手紙を巡る攻防を通して、戦争と人間の愚かさを描いている。ひさし流のこだわりと仕掛けに笑いをまぶして、グイグイと引っ張られた。

 勝新太郎の『兵隊やくざ』を少年期に観たことがある。何かにつけて上官の鉄拳制裁やらがいやになった。後年、アメリカの戦争映画やテレビで『コンバット』を観ると、上官に対しても意見を言い、鉄拳制裁はなかった。日本の軍隊は一時代前のもののように思えた。

 司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読むと、日露戦争で日本は勝ったのではなく、露西亜が自分で負けたのだということがよくわかる。そして、司馬は「勝った」がために改めることなく、旧態のまま太平洋戦争へと突入したと書いている。愚かだった。愚かでない戦争はないけれど、とりわけ愚かだったと思う。

 『一週間』の舞台はソ連の捕虜収容所。最初にその場所の説明があるが、全体から部分までを克明に描くので時間がかかる。レーニンの手紙が出てきて物語は動き出すのだが、500ページちょっとの半ばくらいからじゃなかったか。そこからはもう本を離せなくなる。

 芝居もそうだけれど、小説も、初期の方が好きだな。

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津久見、完全試合で全国へ!

 昨日の試合は行けなかったが、再試合は4-0で勝ち、今日の決勝へ。エースの川辺は、終わってみればノーヒット、ノーフォアボール、ノーエラーで、そういうのを完全試合というらしい。2-0で北部九州大会優勝。25日からの全国大会に出場することになった。

 土曜の暑さに、今日はできるだけ肌を照らされないような格好で行った。そしたら、球場に着く頃に小雨。すぐに止んだけれど、湿気が増えた分、暑くて。明石か・・・暑さと遠さに気が遠くなる。

 会場でJTBの人と話したら、大銀ドームでEXILEが2日で8万人動員のイベント(コンサート?)を行うのでバスがないとか。ともかく、そういうことでした。

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『日本でいちばん大切にしたい会社』は人間論かも

 経営学とかいう分野に類別されるのだろうか。そういう本がベストセラーということで、注文した。

 「会社」を「演劇グループ」に置き換えても通用する。いや「日本」に置き換えてもいい。

 ぼくはこれを読んで何度か目がうるんだ。ここに出てくる会社には人間がいる。人間がいるところには感動がある。

 人間には血が流れている。血は温かい。その温かさが伝わると、伝染する。感動は、そういうもんかもね。

 読んで損はない。

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