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中学校の文化祭を観る

 ステージ発表から展示まで、昼食をはさんで一応全部観た。お母さんを亡くした生徒の弁論にはジンときた。3組のバンドは、何と全部女生徒。3年生の合唱では男子生徒の声が大きく、良かった。ダブルダッチは、体操部の生徒が回転技を繰り出して、なかなかのもの。生徒全員の一枚の写真も時間が許せば全部見たかった。演劇3本は、おそらく一番「本格的な」ものに近いのだろうが、台詞が聴き取りにくく、眠ってしまった。

 上手下手(かみて、しもて、と、読まない)より、文化祭や体育祭は、参加している生徒の熱さが、こちらにどれだけ伝わるかで、決まるように思う。中学生の熱さは確かに伝わった。疲れたけれど、心地よいさわやかさが残った。 

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四角四面という生き方

 おそらく本人は仕事をしているという思いに浸っているのだろう。「こういうこちょになっていますから」とお願いする形をとりながら、彼は場を読めない人間であることを広告する。

 そういう人間は上の方には重宝だろう。しかし、組織を疲弊させていくことに考えが至らない。組織から創造性がどんどん消えている。上意下達(げたつ、じゃなく、かたつ、ですよ)の線が強くなっている。そして、その線に乗る者が、その線でさらに上位になっていく。

 学校がどんどんダメになっていく。

 

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つかこうへい『弟よ』を読む

 読み始めて、おかしい、と、思った。表紙を見ると「小説&シナリオ」とある。今回つか作品前作読破の対象は戯曲。小説や映画やテレビドラマの脚本は含んでいない。でも、まあ、折角買ったんだし、読み始めたんだから。

 つかの作品が醸し出す切なさは、夢とか恋とか思い出とか、ささやかなものしか持っていない人間がギリギリのところに追い込まれることで生まれてくるように思う。追い込まれるから狂気の世界のように思えることもあるが、安穏としたところでは何も生まれない。それは、蜷川が役者を追い込むことで、その役者が持つ演技を引き出すことと似ているかもしれない。

 それにしても、初演についてのデータを巻末に掲載してくれたらと思う。それは読んだ後には余韻を楽しむには実に効果的なのだ。へえ、あの人がこの役を演じていたのか、ナンテな。

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つかこうへい『ロマンス』を読む

 寒かった。シャツは長袖だったものの、ズボンは夏仕様。寒くて、中間考査ということで、早退して、帰りにユニクロでヒートテックを補充した。北海道では初雪がドカ雪ということで、一気に冬になるのかしらん。

 さて、『ロマンス』。ホモの話。という一言で片づけたら身も蓋もない。最初は抵抗を覚えながら、読んでいたが、最後はその抵抗感が消え、納得した次第。丑松とシゲルの関係は、日常の男女のあちこちに転がっているものの、それが男と男だから、その辺がくっきりと浮かび上がってくるように思う。狂おしくて切ない。

 ただ、観たいとも、ましてや上演しようなんては思わない。ウン。

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『蜷川幸雄の稽古場から』を読む

 蜷川幸雄が文化勲章、というニュースを今朝読んだ。そしてぼくはその時、10人の役者が蜷川との芝居つくりを語っている本を読んでいたのだった。

 蒼井優、小栗旬、尾上菊之助、勝地涼、鈴木杏、寺島しのぶ、成宮寛貴、長谷川博己、藤原竜也、松たか子の十人が蜷川との出会いから芝居つくりでの様子を語っているのだが、実に面白い。プロというのが、あるいは才能ということが、明確に理解できる。

 これからは演劇の時代、と、ぼくは10年くらい前から言い続けてきた。「高校教育の一環として」という言葉を高校演劇の大会会場で何度も耳にしたが、演劇がそんな狭い場所に封じ込められてたまるか、と、思っていた。演劇には過去から未来への世界が凝縮されているからだ。そこで自分と向き合い、協力して舞台を作り上げることは、人間を成長させる。ただ、そこには指導者が必要だ。10人の言葉を通して、蜷川が最高の指導者であることはわかる。

 文化勲章、ふさわしい。遅すぎる気もするけれど。

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つかこうへい『飛龍伝’90 殺戮の秋』を読む

 ピングーさん、お子さん大丈夫ですか。ぼくも先週微熱でだるく、早退しました。天候が中途半端なんで、眠っている時の適度な温度調節が難しいような気もします。

 さて、つか作品読破の旅。つかの作品には切なさが漂う。アホみたいなひたむきさがあり、それが喜劇的にさえなるけれど、喜劇的になるほどに切なくなる。

 昨日本屋で、黒木メイサ版の『飛龍』が並んでいた。一応、持っていない作品3冊を買ったけれど、いずれ、あれも読まなければ、と、思う。ただ、小説と戯曲を併せて一冊ってのはやめて欲しい。戯曲だけ読みたいのだな。

 『殺戮の秋』はぼくが大好きな女優富田靖子が出演したバージョン。作品としては、しかし、完成には遠いように思う。

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世界で一番好きな場所

 断然本屋。限りある予算で数冊を選ぶのは、かなりシンドイ。時間がかかる。たいてい目当てはあるから。そのコーナーに行く。ぼくが行くのは芝居と英語と、新刊書。本当はそれ以外にも行きたいけれど、他の魅力を知ってしまったら引き裂かれてしまう。

 次は文具の店。ペンとノートだけの選択で楽しめる。文具はこれからを明示してくれるように思う。だから、ワクワク。今使っている万年筆はやがて20年になるけれど、時間かけて選んだ。選ぶ時のワクワクは結婚相手を選ぶ時より懸命だろう。

 今日は雨で、だから駐車場から濡れたけれど、ジュンク堂は本がおおいのでいい。芝居関係も、英語関係、洋書も多い。十分楽しめた。

 

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『マクベス』を読む

 福田、小田島、松岡の3人の翻訳で読み合わせ。最初は、台詞の終わりがつかめず、ぎこちない感じでつないでいったけれど、徐々につかめていき、淀みなく読み進められていった。

 濃厚なイメージと豊かな言語表現にあらためて驚き、味わった。そして、以前は気付かなかったことも多く、作品の深さを知り、とてもよくできた脚本だと感心した。それにしても、照明も音響もない時代にどうやって上演したのか、と、興味は増すばかり。

 シェイクスピア作品の中では短い方だが、休みなしの読み合わせで2時間ちょっと。次回は『十二夜』を考えているが、二週に分けた方がいいかも。こうなったら、シェイクスピアの主だった作品は読み合わせてもいいかもしれない。舌にのせると、結構、心地よい台詞なのだな。ウン。

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老いた魚の見事なジャンプ

 水槽の水をかえている時、水槽からバケツに魚が見事なジャンプをした。10匹ほどいたが、5年ほどで一匹になり、10センチになろうかという大きさ。もうかなりの年配なはずだが、元気がいい。

 校長が授業を覗く機会が増えている。生徒は何故? 歳をとると廊下をウロウロするものなんだ。廊下現象っていうでしょ?

 子どもたちの体力や運動能力が低下している一方で、老人たちの体力や運動能力が上がっているらしい。その元気が向かうものをみんなが持てば、日本はもっと元気になるかもしれない。あの魚は、透明な板の向こうをいつも眺めながら、渾身の力でジャンプしたのかもしれない。元気と夢があれば、ジャンプできる。じゃないか?

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恋する人の秋の空

 3時に280キロを走って帰ってきた。窓から見える空には一面の鰯雲。よくぞ名づけたものだと、思う。空にイワシが飛ぶか?

 朝7時半家を出て、自動車道に乗る。途中60キロ走行。無料化に伴い、こういうのが多くなった。日田まで走り、中津江に向かう。鯛生金山。そこに向かう途中、以前この道を下りながら助手席の人と話したことを思い出した。思い出は場所に宿る。金山には興味がなく、ある寺の庭が目的。伝来寺の庭は、以前訪れた時は、池に稚魚が泳いでいた。池は教室程度の広さだが、そこで新しい生命が育まれていることに妙に感動したものだった。ところが、池の水を抜いているということで拝観料は要らないとのこと。かなり目を凝らして、水の中を観たけれど、あの時の感動はない。紅葉の頃ならよかった。

 少し経って空を観ると鰯雲は消えてしまっている。女心か男心か。何とも素早い。

 風呂に入れるようにいつも風呂グッズを車には乗せている。風呂の目標点はいくつか設定していたけれど、やたら工事が多いので、やめた。

 次は、萩、高知、愛媛。

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桜、咲く

 我が家の枝垂れ桜が20輪ほどの花を咲かせている。当たり前だが、本来の時期を外れている。まだ、ぼくが半袖で過ごしているのと何か関係があるのかどうか。おそらく関係ないだろう。昨日は体育大会で、おそらく初めてだけれど、額と鼻先がヒリヒリするほどの日焼け。これも関係しているのかどうかはわからない。本来ならもう少し冷え込むのに、冷え込まないので、ウトウトしていて、春か、と、桜が勘違いしたのかもしれない。そういうことはぼくにも時々あることだから。

 それにしても、円高還元があちこちで行われているのに、ガソリンには影響がない。すぐに影響がない方が備蓄とかのことを考えればいいのかもしれないが、それにしても、もうずいぶん経っていると思うのだが。明日の代休はちょっと遠出をするつもりなんだけど・・・。

 日曜は寝床で『龍馬伝』を観ながら、眠りにつく。最近、福山龍馬がようやっと雰囲気が出てきたように思う。鬼瓦みたいな後藤象二郎との話し合いはよかった。先週、高杉晋作が死んだが、あの俳優はいい。花がないけれど、存在感がある。あの俳優はこれからあちこちで観ることになるのではないか。

 月曜日が休みということで、極めてゆったり気分の日曜日。

 

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人間のひとつの素晴らしさ

 おそらく世界の人が注目して観たであろう、チリの落盤事故からの救出。ああいう事故が起きたのは、「喝」を入れるような背景があるのだろうが、表に出てくる部分は人間の連帯というか、お互いが支えあう姿の素晴らしさに触れ、人間っていいじゃないか、と、単純に感動した。

 映画化に向けての動きがあるらしい。確かに、落盤事故が起きて、生存していて、中の様子がわかり、救出に向けて動き始める。それだけで、インスパイアーされる出来事ではある。ただ、現実を越えるものをつくれるのだろうか。ただ、観客は集めるかもしれない。近年ない人間のよさを味わう出来事だったから。

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年内の活動

 とにかく、全員でつかこうへいの全作品を読むことにした。基本的に全集を一人2週間のペースで回し読みする。ある程度読み進んだら、拾ったものを構成しながら芝居に仕立てていく。その間は、シェイクスピア作品を読み合わせ。訳者が違うものの、全員分の脚本をそろえられるにはシェイクスピア以外にはないから。

 稽古場って、いつも何か新しいアイデアを与えてくれる。不思議な空間だ。

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山本一力『研ぎ師太吉』を読む

 学校の図書館で借りた『だいこん』を読んで、山本一力が好きになった。特別な人間ではないが、普通の人の日常が丹念に書かれていて、それが何とも清々しく、魅力的なのだ。研ぎ師太吉の世界も温かい人に満ちている。そういう人を引き付ける太吉が魅力的であることは言うまでもない。その太吉は特別な人間ではない。ただただ、包丁を丁寧に研ぎ、まっすぐな人間であるというだけのことで、近くにいそうな気がする。そこがいい。もしかすると、ぼく達みんながそういう人間になればーそれはちょっとした心がけだけで近づけるような気がするがーぼく達の日常世界は風通しのいい、愛せるものになるのではないかと思えてくる。

 『研ぎ師太吉』で一つだけ不満が残った。それは、犯人を挙げる手法が、太吉の世界と異質に思えるのだ。もう少し手立てはなかったのか、と、山本に言いたくなる。

 山本作品は江戸時代が舞台。ちょっとした描写に、そんな時代だったのかと、一つ物知りになったという嬉しさもある。こうなったら、しばらくは山本作品を読み続けて、山本一力を語れる人間の一人になってみたい。

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九州内部をグルリ

 4時に家を出て、南下。とりあえず椎葉に向かう。

 20年ちょっと前、通潤橋から五家荘、椎葉と抜けたことがある。左手に山や散在する人家を観て、右手には斜面を走った椎葉の記憶にひかれ、とにかく夜明け前の闇を走った。

 椎葉に着いたのは7時。化粧の水とかいうところの写真を撮り、じゃあ、以前とは逆に、と、走ったけれど、ないのだ、あの道が。あの頃は舗装されていなかったような気もするけれど、全て曖昧の淵に沈んでいく。

 五家荘に抜けた。キャンプ場なんかができていて、もう秘境の面影はない。再来年の大河ドラマが平清盛らしいから、それに当てこんでアクセスを整備しているのかも、テナことも考えたが、まさかね。朱塗りの能舞台は、やはりいい。あそこでシェイクスピアの『夏の夜の夢』を上演したいと思ったことを思い出した。

 通潤橋。人が多い。以前はなかった道の駅ができており、グルリとしたが、小腹をおさえるチョットしたものがないのが残念だった。ライオンと魚を咥えたワニ、カエルの巨大な拵えもが実に見事で、写真を撮ってしまった。

 395キロ走った。窓を開けて空気を味わいながら、目が楽しめた。来週、もう一回早起きドライブに出る予定。もっと南か、北にするか。候補はあるのだけれど、今週一週間で結論を出す。平家の里のオジサンに紅葉の見頃を訊いたら11月10日頃ということだった。北の方がいいのかも。

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選曲は難しい

 臼杵ウインドアンサンブルの定期演奏会に行った。一部が『展覧会の絵』。ぼくは眠ってしまった。二部が馴染みのある曲で、何かバラバラな感じがした。最後の紅白ヒットメドレーでは、ヒゲのフルート奏者が女装して和田アキ子の『あの鐘を鳴らすのはあなた』を歌った。最後になって学芸会みたいに感じた。むしろ、半ばの気分転換ではないのか、と、思った。

 彼らは懸命に選曲したのだろうと思う。実際、一緒に行った女性の一人は「面白かった」と弾んでいた。選曲は難しい。

 芝居も同じかもね。演りたい、が、一番なんだろうけれど、それをする意味、何故今それなのか、その辺もちくと考えてみらんといかんぜよ。

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最後から2冊目の手帳を買う

 9月には来年の手帳が書店に並び、まだ早いと思っていた。でも、どうせ買うものだから、と、買った。

 ぼくは3年用を買う。以前は1年用だったが、それでは余白が多すぎる使い方になってしまって、白紙に近い一年だったような気がしてならないからだ。3年用にしたからといって過ごす一年にたいして変わりはないんだけれど。

 新しい一冊は教員生活残りの3年間が書かれることになる。読んだ本だけでなく、身辺のあれやこれを丁寧に書きこんでいきたいと思う。白い手帳をを前に、ちょっと新鮮な決意をしちゃったりしている。

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逆ミスコン

 文化祭二日目終了。

 二日目の全体でのメインは男子生徒が女装して、一番美しい「女性」を選ぶ企画。例年、美しい「女性」が登場する。中には「逆ミスコン」のもう一つの文字通りの解釈である、「ミスコンとは逆に」というものもあり、それはそれで面白い。

 ただ、女装するだけでなく、仕草とか表情とかも取り入れれば、時にそれは女性への痛烈な批判になることもあるように思うのだが、そこまでは考えていないようだ。ほとんどの女装には女生徒がメイクや衣装をほどこしている。中に一人だけ、男子生徒が手伝っているのがあり、それはかなり強烈だった。それは男の女性に対する意識への批判とも受け取れないこともなかった。彼が一番よかったのは、恥ずかしさを微塵も見せなかったことだ。彼を選んでもよかったのかもしれないけれど、そうなったら、来年からは妖怪ショーになってしまうかもしれない。普段の学校生活から、一番遠くまで女性に向かってジャンプした生徒を選んだけれど、様々な悔いが残る。

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つなぎの時間

 今日、明日は文化祭。今日は市民会館を会場にしてのステージ発表。多くの学校は体育館を使うのだから、恵まれてはいる。照明と音響は、体育館に比べたらべらぼうにいいのだから。

 ただ、演技と演技の間の時間に無頓着で、せっかくの演技を台無しにしてしまっている。つなぎの部分こそ入念に考え、もっと練習すべきじゃないかと思う。演技の部分だけではなく、つなぎも含めての演技なのだ。

 日常生活でも、もしかすると、仕事だけではなく、仕事と仕事の合間の部分をどう使うかで、その人の生き方の質が決まるような気もする。一週間の生活を入念にチェックした方がいいかも。

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禁煙第一ステージ

 タバコの値上がりを機に禁煙に踏み出した。煙友達は、値上がり前に50カートン、1万本を買ったというが、吸い終わる前に死んでしまえば、意味はない。ぼくはピースのインフィニティを吸っているが、値上がりで、350円から470円になる。昼の弁当が400円だから、これはいけない。もう一度舞台を踏みたい気持ちもあるので、タバコだけでなく、酒も考え、運動も考えようと決心。朝の犬との散歩も4時過ぎに、いつもより、距離をのばし、少しだけトレーニング的要素を入れた。焼酎とビールをやめ、赤ワインを少し。赤ワインは名古屋市立大学の医学スタッフが海馬にいいという研究結果をを出したの、それを口実に少しだけ、と。で、タバコだけれど、とりあえず、学校では吸わないことにした。そして、朝のシャワーの後と朝食後、帰宅後と夕食後とワインの合間に限定。2日で700円が470円になる。ここまではどうにか成功している。

 問題はここから。完全に禁煙まで、どうやってもっていくか。医者や他のものに頼らず、どうにかしたいけれど、はて?

 朝の散歩は寒くなった。ただ、体調はいい。腰も痛みがなく、ちょっとだけ走ると体が軽く、手ごたえもある。芝居の夢に向けて、年内に1週間で1箱に減らせればいいか。極度の我慢をせずに、気がついたら吸っていなかった、という風にできればいいなァ。

 

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遅れて来た老人

 脚本が一向に進まないイーダです。

 いくつかの設定が頭の中で堂々巡りを繰り返すばかりで、腰を据えて取り組まないから、仕方ない。芝居最優先ではあるが、あれやのつまみ食いとこれやの道草で、みんな(って、誰や?)より、だいぶ遅れてしまった。

 遅れてきた者が、遅れている脚本を書いても仕方ない。どこか一か所でも今までになかったような、それめいた、なんとなくそんな風なものがないと、遅れていることの証明だけにしかなるまい。そんなことを考えるから、進まないんだろうなァ。

 それでも仲間はいつもニコニコで不満を言わない。こういう時こそ、何かをしなければとあれこれ試してはいるものの、消化試合みたいな虚しさがある。ともかく、ぼくはオリジナルに向かいながら、何か上演したい脚本を探す作業もしなければ、と、その点ではみんな一致している。

 つかこうへいを全部読もう、と、先週決まった。つか作品の台詞を寄せ集めて、「鶴御崎殺人事件」を構成してみようかと思っているのだけれど、読み合わせのために全集を全部コピーするのも、生産性がないよなァ。

 ともかく、一つの枷を外そうと思う。それはメンバーの数を考えて書かないこと。これしかない。この枷がないだけでも、かなり身軽になる。ここまで言ったら、責任とらないと。ウン。

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荘司雅彦『13歳からの法学部入門』

 最近、たとえば岩波ジュニア新書のような本をよく買う。子ども向けの本は実ね丁寧にわかりやすい言葉で書いてくれているから、ぼくのような人間には都合がいい。

 で、荘司弁護士の本。13歳だと、法律に関してはそれほど知識がないだろうから、と、懇切丁寧。だから、ぼくのような人間にも、そうなのか、と、思うこと多々。わかりやすいけれど、オトナが読んでも十分な深さがある。こういう形で、政治や物理、化学、医療や介護をそろえてくれたら、と、思う。あッ、これは幻冬舎新書です。

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