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真夜中の向こう側

 大学時代は眠る時間が惜しくて、3,4時間の睡眠時間で過ごしていた。起きて、別にたいしたことはしていなかったのだろうが、することは無数にあった。今はとてもそんなことはできない。それに、夜の活動といえば酒を飲みながらテレビを左目でみて、右目でインターネット画面をみているくらいで、本も読めない。だから、早く寝て、朝をメインの活動にしている。休みの日も寝坊はしない。活動内容が違うだけ。

 規則正しい生活に近いと思う。これのいい点は、計算できるということ。そろそろふとんに潜り込むけれど、明日は何を読み、何をするか、それを考えながら眠る。目下年末・年始のことを計画している。大掃除で一日が潰されるのを何としても避けなければならないので、少しずつやっていこうとも。お掃除グッズは、ゴム手袋まで揃えている。

 もう12月ですね。

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遠い声、遠い部屋

 今のままではいけない、と、思うことは多い。わかっているのにどうしていいかわからない。でも、思い続けることだと思う。そのためには、いざという時に、動けるようにしておくことだろう。明日世界が滅ぶとも、今日、君はりんごの木を植える。

 村上春樹の言葉を以下のHPの掲示板で始めました。

  http://www.saiki.tv/~thetruth/index.html

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忘れてた

 「あすかの湯」の休憩所に、幕末の有名人の集合写真めいたものがあります。龍馬はもちろん海舟や西郷や大隈、中岡、岩倉、桂等々。

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あすかの湯

 先週、延岡と佐伯の県境付近の祝子川温泉に行った。そこは別名美人の湯。今日は長湯の美人の湯の「あすかの湯」。

 家を8時に出て、さてどこを走ろうかと考えた。走路は5つ。海岸沿いの北と南。10号線の北と南。そして、自動車道。最初の信号で右折。そこで10号線はほぼ消えた。次の信号で右折。それで、自動車道がほぼ決定。自動車道に乗って、ほのかに九重町を考えていた。しかし、紅葉も終わりのころで混んでいるかもしれない。加えて、牧の戸峠を最近何回か越えているし、久住の方はかなり走っているので、敬遠したい。それで三吉インターでおりて、長湯方向に向かった。

 あすかの湯に着いたのは9時半。10時からかナと思っていたが、もう入れるという。ラッキー。男湯と女湯がチェンジするのだが、アンラッキー。外湯が川辺でないのだ。土曜が男、日曜が女らしい。湯質はいいと思う。そこを出て、山の細道を選びながらタドタドして、朝地の道の駅で野菜を買った時、入ってきた男性が「寒いのう」と悲鳴に近い声をあげた。彼よりぼくのほうが薄着だったが、ぼくはホカホカだった。風呂の効果以外考えられない。

 そして戸屋平湧水でメダカの水を20リッターほど汲んで、帰ってきた。

 センターラインのない山道を選んで走った。名所というところは避けた。小さい秋を目で楽しみ、心をなぐさめた。

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ユニクロ、あるいは若者は寒くない

 今朝車のフロントガラスガ凍っていた。昨日、ユニクロでネックウオーマーと帽子と手袋を買った。朝の犬との散歩用。先日買っていた「防風パンツ」は威力があり、それで、さらに強化したのだけれど、それでも、指先は凍えた。

 娘たちとユニクロに行った。ヒートテックを買ってあげたかったのだが、「ヒートテックジャナイケド、これ買っていいかな。好きなんだけど」と、どうも寒さ対策より、見た目対策のほうが大切なのだろうか・・・。

 ユニクロハ好きだけれど、防風パンツのベルト部分が最初の洗濯前に壊れた。昨年買った別のタイプもそうだった。そのへんを改良して欲しい。ベルトは持っているんだから、ああいうのはいらないんだけどな。

 今年の冬は厳しいとか。皆さん、くれぐれもお大事に。

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『お気に召すまま』を読む

 へとへと状態で稽古場に行き、先週の続きの3,4,5幕を読み、感想を交わすこともせず、帰ると、そのまま眠りについた。今朝は快調に4時に目覚め、犬と散歩に行き、風呂にゆっくり入った。この生活ペースがゆとりもあってよい。

 さて、シェイクスピア。学生時代以来の『お気に召すまま』。あの頃は読み物として読んでいたが、最近は頭の中で舞台を想定して、そこで人物が動く。なんでこんな会話場面が、と思うと、ハハア、この間にロザリンド役の男優が着替えているんだな、とか考えたりする。男女の色恋沙汰についてのコメントはなるほどと思うものがあり、シェイクスピア時代の観客は質的に高かったと思わざるをえない。冬休みは、シェイクスピア喜劇を読み直してみようかと思う。それにしても3人の訳で読むと、かみ合わない部分がけっこうあり、それも面白かった。

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山本一力『損料屋喜八郎始末控え』を読む

 ざぶんっ姫もマドモアゼルですか(戸板康治の「40にしてマドモアゼル」って、知らないだろうナ。昔昔のことだから・・・)。ぼくはあと12年で、ヘレン・ケラーの倍になります。

 休みの日は午前中にあれこれをやってしまい、午後はゆっくりする。だから、今日は洗濯、娘を送り、魚の水汲み、灯油の補充、直川の湯、娘の迎えで午前終了。そして山本一力を読んだ。山本作品には人情が脈々と流れている。それにツンツンとつつかれる。だから読み終わった時、静かな暖かさに包まれていることになる。これで4,5作目だけれど、最初に読んだ『だいこん』が今のところは一番好きな作品。

 読み終えて、今夜の夕食当番であることにきづき、急いでスーパーへ。仕方ない、ハヤシライス。でも、今日は今までで一番時間をかけ、丁寧に煮込んだ。ハヤシライスの基本は極めた。オリジナルなものを考えたい。

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勝負の終わり

 ペットボトルをそれ用のところに入れようとしていた時だったか、犬と遊び終わった時だったか、一つの想いがグンと浮かび上がって、支配された。

 勝負をしていない・・・

 勝負をしていない。いや、今まで勝負をしてきたことがあるのか、それも定かではない。宝くじは勝負ではない。下手をすれば家族が困ることになる、そういう一か八かみたいなことをやっていない。これではいけない、と、思う。歳のせいかもしれないが、最近生きるということがどういうことなのか、それをやたら考えている。そのせいかもしれない。

 命をもらった、という言い方が正しいとは思わないけれど、生まれてきたからには、その命を燃やすような生き方をしないといけないんではないか。そんなことを考えてしまう毎日。私が私であることを痛烈に感じるような毎日を支えるには勝負があるのではないか。

 それがリゾットだとしても、命を削るくらいの取り組みが要るのだろう。ウン。

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祝子川温泉と大崩山の紅葉

 ざぶんっさん、というより、姫、コメントありがとうございます。よくもってるナと思います。彼女の一番の功績は、娘たちに会わせてくれたことなので、それには感謝しています。もっとも、12月から1月は、彼女と娘二人の誕生日、それにクリスマスと正月なので、経済的にはかなりシンドイんです。最近は計画的にやっていますが、宝くじも当たらないので・・・。

 さて、今日は祝子川(ほうりがわ)温泉につかり、その後、大崩(おおくえ)山の登山口まで行き、渓谷の大胆な曲線と紅葉を楽しんだ。佐伯を中心に100キロ圏内についてはすべての道を走り、誰よりも詳しくなりたいと思うが、地図はまだ半分も赤線が引かれていない。焦っても仕方ないんで、コツコツと積み重ねるしかない。

 祝子川温泉、いいですよ。

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サボイ

 明日で結婚19年になるので、一日早いけれど、儀式。何かあると、我が家はサボイ。イタリアンで、娘たちが好きなので、利用頻度が一番高い。美味しいし、マスターのこだわりが目と想いをたのしませる。

 リゾットを頼むとないときが多く、娘たちががっかりすることがあり、今日は予約して、あらかじめ注文していたので、よかった。彼女たちの嬉しい様子に、よし、リゾット極めてやると決意。

 司馬遼太郎は『坂の上の雲』の合間に小説を書くこととマヨネーズをくらべている。『坂の上の雲』は、小説の完成度は低いと思う。あれはノンフィクション。事実は小説より、というところに軸足を置いていたと思う。

 小説もマヨネーズも、とにかくすべてのことに「もっと」はある。司馬にはその余裕がないくらいのものがあったのだろうと思う。幕末と明治は材料が多く、事実より解釈が優先しているような。

 春までにはリゾットを極めたいと思います。食べにきて下さい。要、予約。

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ひらめきは一瞬

 作詞家星野哲郎さんが亡くなり、4800曲の作品の中にはずいぶんお世話になったものが多いことを知り、彼の功績を知った。彼は飲み屋で、何かを思いつくと、マッチをすり、コースターにマッチの黒くなったところで書いていたという。家に帰る頃には、書き留めたコースターでポケットが膨らんでいたという。

 ぼくは昔、佐伯から大分に通っていたころ、その頃は芝居の中に歌をいれるのが常で、曲を考えながら、思いついては、カセットテープに「ウンフンウン」とかで録音して、それをあとで整理していたものだ。

 パソコンになってから、長時間録音できるICレコーダーを買った。しかし、九州大会での別役実の講演を録音した以外あまり使われていない。

 結局、書き留めるのが一番いい。だからぼくは常にノートを持ち歩いているんだけれど、天啓は、たまたまノートを持っていない時に限って訪れる。そういうのものなのだな。ウン。

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志水辰夫『行きずりの街』を読む

 文庫の腰巻には1992年版「このミステリーがすごい!」第一位とあり、解説には1991年とある。出版社としては新しさを表す数字を選んだということか。

 この文庫を選んだのは、裏表紙に「女生徒との恋愛がスキャンダルとなり、都内の名門校を追放された元教師・・・郷里で塾講師をしていた彼は、失踪した教え子を捜しに再び東京へ・・・」という文句に、まァ、一度目を通してみようか、と。

 面白く読んだ。展開に少々無理があるように思える部分があるものの、配した二人の女性が魅力的で、その二人の結末が気になって読んだような気もする。秋の夜長を潰すにはいいかもしれない。仲村トオルと小西真奈美で映画化され、今週末公開されるようだ。どうしようか?

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休日だったのだ

 女子高OGさん、以下のぼくらの佐伯の芝居仲間のページもよろしくお願いします。http://www.saiki.tv/~thetruth/index.html

 キノシタ氏、そうだよね、あの頃の女子高の連中はたくましかった。あの頃は、大分の高校演劇に活力があった。あれだけの役者を使える安部いさむは幸せだったろうと思う。

 土曜日の振替で、今日は休み。久住から、長湯の温泉、魚の水汲み、それから・・・と考えて、自動車道に乗ったけれど、雲行きが悪く、臼杵で下りて、水汲み。それから直川の風呂に入り、ユニクロで防風パンツを買い、娘たちの母親への誕生日のプレゼントを下見。年に一回だけだけれど毎年のことなので、そこの店員とも顔なじみになって会話量が増えたように思う。

 その気になれば、一日でできる行動はかなりできる。ゆったりと、かなりの活動をした。来週は、天気が良ければ、山。紅葉、でしょうね。

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大分女子高OGの方へ

 子育て中とか、いいですね。子育てはぼくも経験しましたが、実に楽しく、面白い。子どもが教えてくれることが沢山あります。子どもを育てながら、ぼくも育てられたと思っています。是非、楽しんで下さい。

 大分女子高は一時期理想的な演劇部だった。生徒の活力と才能が、顧問を刺激して、面白い舞台をつくった。いつだったか、顧問が漏らした構想。甲子園に行く野球部部員で、レギュラーになれない部員の芝居を書きたい、と。多分、女子高だから、浮かんだ構想だと思いますが、面白いと思った。安部いさむを活かしたのは、部員です。そういう脚本を書かして、それ以上の舞台に仕上げた。

 あなたが出演した舞台のタイトルだけでも教えて欲しい。ぼくは女子高の演劇部はみんな好きでした。ウン。

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大分豊府高校の課題

 これから九州大会に向かう訳だけれど、問題がない訳ではない。その一つが距離感。隣合う部屋での芝居だけれど、その移動時間がちぐはぐに思えた。隣の部屋に行くのに、何故そんなに時間がかかるのか。それは、もう一方の部屋での芝居に関係していると思う。舞台では一部屋だけれど、それは実は二つの部屋。時計が二つあって、それを示しているものの、二つの部屋で芝居が進行している面白さを出すべきではないかと思う。それを出してはじめて、あの芝居は完成すると思う。ウン。

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高校演劇は難しい(続)

 キノシタさん、日田三隈の作者さん、コメントありがとうございます。三隈の舞台は、作者がそんなに謝らなくていいですよ。可能性を秘めたいい作品だと思います。

 大分東が、3人芝居のメンバーが2人抜けて、その2人分を台本を持った2人が読み、残った一人が演じるという形をとった。その一人の演技は好きだった。ただ、読む2人が座っていたため、台詞を読む人と、その人に向けた視線がずれることがあり、それが芝居に入り込むのを妨げた。台詞を読む人が袖で、マイクを通して、という方がまだよかったのではないか。おそらく、それどころではなかったのだろうけれど、とにかく、終わった後のあれこれの意見は、岡目八目なんだな。

 それで、本題の三隈の芝居だけれど、作者が大分から日田まで行くのは大変なことだから、思うようにいかない部分が多かっただろう。それ以外にも障害はあったと思う。ただ、ぼくとしてはあれで終わるのは勿体ないという気持ちが強い。だって、作者自身があの設定を活かしきっていないから。

 一言でいえば、前半余分なものが多すぎたように思う。客席に座っていて、芝居が動かないもどかしさを感じたのは、おそらく前半のあれこれが無駄だったからではないか。部員にできるだけ舞台経験をさせたい気持ちはわかるけれど、使うなら芝居に噛ませることが必要だと思う。これは難しいことだけれど。一番書きたかったこと。それを一番伝えるにはどうすればいいのか、そこをわがままに考えれば、脚本はグンとよくなるのではないか。

 これから多くの(多くないか)の学校はオフになる。ぼくは、これからの時期こそ脚本を読んで欲しい。上演する前提ではなく、名作や話題作はかなり手に入る。その面倒を避けている限り、もっと芝居に触れたい、知りたいという気持ちがない限り、いつも同じ地平で同じ景色を眺めているだけになるだけではないか。高校生は本を読まない。それが芝居を栄養失調にしていると思う。脚本を読む、それを声に出す、犬と散歩のときに、それを様々な形で口にする、など、とにかく芝居をしたい気持ちを支えるものは身の周りには無数にある。そいうささやかな日常が、舞台をつくると思う。

 

 

 

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高校演劇の難しさ

 大分の演劇の大会は大分豊府が2連覇だったらしい。全国大会に出しても評価される舞台だと思う。今、大会パンフをとり出してみたら、キャストに3年生はいない。ということは、来月の九州大会を抜けて来年夏の全国大会に出ても、キャストは変わらないわけで、希望が持てる。

 高校演劇というのは何か。そういう議論は時々交わされた。高校生がやる演劇なのだが、その議論の根底にはどういう作品を上演すればいいのだ、というのがあるように思う。何でもいいじゃないか、という向きもあろう。ところが、コンクール制度をとっている限り、やはり上にいきたいではないか。そして上にいくにはどうすればいいのかが、明確ではない。ある審査員が激賞した舞台が、次の大会の審査員が「言語道断」みたいなことは珍しくない。誰が観るかで評価が変わるようなところがあるのだ。これは仕方ない部分もある。ある程度完成した作品は、好き嫌いもあるのではないか。

 三隈の舞台も好きだったが、バットの持ち方が気になって仕方なかった。芝居は細部からほころんでいくことがあるので、注意したい。

 そんなことより、うちの芝居つくりに励まねば。ウン。

 

 

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東野圭吾『白銀ジャック』を読む

 小説は他のジャンルでは描ききれないものがあるからこそ、価値がある。もし映画化されたら、ああ小説の方が良かったと思わせるもの。この東野の晋作は、新作で文庫ということでかなりの売り上げのようだけれど、小説の醍醐味がない。もしかして、映画化を前提に出版されたのではないかと思えるほどだ。

 スキー場に爆弾を仕掛けた、というところから始まるけれど、読んで頭の中で想像する楽しみがないのだ。映像で読んでしまうのだ。もちろん、読み始めたら、気になって最後まで、だけれど。

 ただ、東野圭吾の頭ってどうなっているんだろうか。彼がどうやって一つの作品を仕上げるのか。興味がある。仕掛けは面白いもんな。

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ま、まさか!

 今日の『龍馬伝』のタイトルは「龍馬の休日」。これはきっと、ヘプバーンの『ローマの休日」を意識しているに違いない。つけた瞬間、クスッと笑ったに違いない。大河ドラマにしては、珍しい。

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中央演劇祭に行く

 そこに行くといつも懐かしい人に会える。OB,OGもチラホラいて、声をかけてくれるのはすごく嬉しい。嬉しいけれど、学校名と名前を言われてもわからないから、上演した作品名を訊く。それでああ、あの頃の、と、見当がつく。それでもピンとこない時は顧問名を訊く。今年の中央演劇祭は今日の午後の5本しか観ることができないが、その5本について簡単に感想を述べたい。

東明高校『アナ』(生徒創作) 暗転の多い舞台だった。暗転が悪いとは言わない。しかし、その効果を考える必要があると思う。流れを説明するための場面が多く、そのたびに暗転は効果がないどころか、逆効果だった。そして、現在を上手空間、回想を下手舞台に区切って使う方法もどうか。豊府の舞台がある意味お手本になるかもしれない。

安心院高校『別れは会うのお仕舞い』(顧問創作) ワグナーの「結婚行進曲」が流れ、その音がくずれて、離婚式が始まる。実は同じ手法でやはり離婚式で始まる芝居を一時期考えていたので、笑ってしまった。同じことを考えている人間はいるものだが、まさか、友人が・・・。もうあの芝居は捨てなくては。ぼくの方が面白く書けてるとしても、先にやられてしまったら、盗作になってしまう。それにしても、大学4年生が離婚するという設定の芝居は、設定自体に無理があるように思えた。高校生の親の世代にして、徹底的に笑いのめすような設定なら、まだ良かったかもしれない。そんなことを考えた。

大分東高校『父さんといっしょの地中海』(赤間幸人) 3人の芝居だが、大会直前に2人が抜け、急遽2人に脚本を読む形で、1人は演技をするという舞台になったそうだ。父親がアルツハイマーになっていく内容の芝居だったので、そういう悲惨な部分をみせずに、台詞だけで、こちらが想像するので、それはそれで良かったような気もする。

大分豊府高校『それでもだれかとつながっている』(顧問創作) 面白かった。妊婦役の生徒が実によく、爽快だった。隣り合う2部屋での芝居だが、ドアは二つあるものの、中はつながっている装置設定で、それが面白い効果をあげていた。脚本もよく書けてある。昨年も九州大会の県代表になった学校だが、昨年の舞台より数倍いい。いい脚本に全員がきちんとこなしていた。

日田三隈高校『ダブル・ベース』(ムラオタカノブ) 監督が亡くなり、廃部の危機にあるソフトボール部の部室前での芝居。その亡くなった監督と別れた娘が底流にあるのだが、その辺がちょっと強引な感じがした。その設定自体は、書きようによっては、客席を大きく揺さぶるものがあるだけに惜しい気がした。たとえば、硬式野球部員へメールアドレスを渡してくれと球拾いに託すシーンがあるが、父親のいた場所にいたいという娘への焦点をボカシタのではないか。OG役の生徒はよかったけれど、解決役としか思えなくて、そういう役もない方がいい。もう一度書き直して再挑戦したらどうか。

 高校生の舞台は気持ちがいい。今日は観客の反応もマナーもよかった。こういう観客こそ、舞台を支えてくれる。明日の二つの舞台も観たいのだが・・・。

 

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つかこうへい『熱海殺人事件 ザ・ロンゲスト・スプリング』を読む

 青空が嬉しい休日だった。いつもは半分とかのメダカの水の補充だが、今日は備蓄切れで全部。弥生の道の駅で、休みの日の早朝に補充にいくことが多いけれど、駐車場から水場までの往復が面倒なので、今日は昼前に野津と本匠の間の水場へ。紅葉にはまだだけれど、風が気持ちよく、遠くへ行きたくなった。

 さて、「長すぎた春」。20年前、ぼくはこの上演に声をかけられ、木村伝兵衛を演じた。大学時代以来の舞台にぼくは興奮したのを覚えている。稽古場は面白かった。何やってもいいようで、色んなことを試したけれど、でも、つかの手のひらで遊ばされているような気がしたものだ。

 懐かしい思いで読んだ。やはり、懐かしさが手伝うのだろうが、面白かった。そして、気がつけば声に出している。つかの脚本は「口だて」で現場で口で伝え、役者がそれを繰り返すという方法をとっていたらしいが、だからこそ、音読すると面白い。まッ、基本的には、全ての脚本は声に出すことが前提になってはいるのだけれど。

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見あげてごらん、空の星を

 昔、玖珠で生活していたころ、東京からの客人に宝泉寺温泉に案内した時、彼がふと空を見上げ、感嘆した。「東京では、こんな星空は見えませんよ」。ぼくも東京時代、空を見たこともなかった。視線が下だったのだろうか。

 今朝、通勤途中、ダ・カーポの『この町の風に吹かれて』とかいう歌を聴いた。運の悪いことに長いトンネルに入ったんだけれど、ダ・カーポの歌は誠実、良心、幸せを少しずつではあるが確かな歩みを続けている素晴らしい二人。

 大きな幸せが、はて、どいうものか、ぼくにはわからない。でも、小さな、ささいな、歓びをあっちこっちにみつけることができるのではいいのではないか、と、思う。

 満天の星空を見上げれば、ぼく自身の物差しを教えられるように思う。そう、やはり、私は私。それでいいじゃないか。

 

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