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高校演劇の難しさ

 大分の演劇の大会は大分豊府が2連覇だったらしい。全国大会に出しても評価される舞台だと思う。今、大会パンフをとり出してみたら、キャストに3年生はいない。ということは、来月の九州大会を抜けて来年夏の全国大会に出ても、キャストは変わらないわけで、希望が持てる。

 高校演劇というのは何か。そういう議論は時々交わされた。高校生がやる演劇なのだが、その議論の根底にはどういう作品を上演すればいいのだ、というのがあるように思う。何でもいいじゃないか、という向きもあろう。ところが、コンクール制度をとっている限り、やはり上にいきたいではないか。そして上にいくにはどうすればいいのかが、明確ではない。ある審査員が激賞した舞台が、次の大会の審査員が「言語道断」みたいなことは珍しくない。誰が観るかで評価が変わるようなところがあるのだ。これは仕方ない部分もある。ある程度完成した作品は、好き嫌いもあるのではないか。

 三隈の舞台も好きだったが、バットの持ち方が気になって仕方なかった。芝居は細部からほころんでいくことがあるので、注意したい。

 そんなことより、うちの芝居つくりに励まねば。ウン。

 

 

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コメント

高校生の今後が楽しみですね。
私の高校時代(遥か昔ですが)にもソフトボール部員がいた。強豪だった。練習の日焼けで、三年間ずっと肌が真っ黒。みんな刈り上げた後頭部。見た目は男っぽいけど、恋に恋する普通の女生徒だった。

バットの持ち方・構え方・ソフトボール部員の空気。
それが、自然ににじみ出ていたら、もしかしたら。

私の場合、バットは勿論、キャッチャーの面が新品同様だったのと、卒業した先輩の足の組み方に、違和感を感じて、そこからラストまで辛くて前を見れませんでした。

豊府は、細部が抜群で、本当に最後までクエスチョンマークを感じなかった。それだけ客席への(見え方)なり(伝わり方)なりを(効果的)に積み上げた稽古だったのだろうなと、思って見てました。
複合するワンシチュエーションコメディーだけでなく、自然に、泣き笑いしました。ひさしぶりに演劇で涙が出ました。


次は、おおいた演劇祭。
高校生を越えるでしょうか。楽しみです。

投稿: キノシタ | 2010年11月10日 (水) 00時35分

三隈の作者です。
舞台に出るモノが全てであり結果でもある、ということが痛いほどわかっているのですが、少しだけ。
部活の状況としてどうにもできないこともある、ということを今年は作りながら思い知りました。イーダ氏、キノシタ氏のおっしゃることはごもっともで、何度となくバットの持ち方など本当の人たちとの差異は指摘していたのですが、結局、僕が三隈に通う大分と日田との距離以上に遠いモノがあったようです。
上演中にあーやっぱり届かないと自覚して凹み、ところが二位という予想外の結果を翌日に仕事中にメールで知らされ、呆然。実はちっとも嬉しくなくて、別の意味で凹みました。
かつての芝居仲間の一人が審査員であり、そして観客にもキノシタ氏などの大切な仲間たちが来てくれていたのですから、ああいう舞台となって申し訳ない気持ちで一杯です。

投稿: ムラオ | 2010年11月10日 (水) 01時31分

第5回全国春フェスを私的ブログに紹介している東北ブロック代表校の顧問です。豊府さんの今年の劇へのコメントを探していて、キノシタ氏のコメントに辿り着きました。引用させていただきましたのでご報告いたします。ちょっとオジャマしました。

投稿: be@岩手 | 2011年1月22日 (土) 12時37分

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