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高校演劇は難しい(続)

 キノシタさん、日田三隈の作者さん、コメントありがとうございます。三隈の舞台は、作者がそんなに謝らなくていいですよ。可能性を秘めたいい作品だと思います。

 大分東が、3人芝居のメンバーが2人抜けて、その2人分を台本を持った2人が読み、残った一人が演じるという形をとった。その一人の演技は好きだった。ただ、読む2人が座っていたため、台詞を読む人と、その人に向けた視線がずれることがあり、それが芝居に入り込むのを妨げた。台詞を読む人が袖で、マイクを通して、という方がまだよかったのではないか。おそらく、それどころではなかったのだろうけれど、とにかく、終わった後のあれこれの意見は、岡目八目なんだな。

 それで、本題の三隈の芝居だけれど、作者が大分から日田まで行くのは大変なことだから、思うようにいかない部分が多かっただろう。それ以外にも障害はあったと思う。ただ、ぼくとしてはあれで終わるのは勿体ないという気持ちが強い。だって、作者自身があの設定を活かしきっていないから。

 一言でいえば、前半余分なものが多すぎたように思う。客席に座っていて、芝居が動かないもどかしさを感じたのは、おそらく前半のあれこれが無駄だったからではないか。部員にできるだけ舞台経験をさせたい気持ちはわかるけれど、使うなら芝居に噛ませることが必要だと思う。これは難しいことだけれど。一番書きたかったこと。それを一番伝えるにはどうすればいいのか、そこをわがままに考えれば、脚本はグンとよくなるのではないか。

 これから多くの(多くないか)の学校はオフになる。ぼくは、これからの時期こそ脚本を読んで欲しい。上演する前提ではなく、名作や話題作はかなり手に入る。その面倒を避けている限り、もっと芝居に触れたい、知りたいという気持ちがない限り、いつも同じ地平で同じ景色を眺めているだけになるだけではないか。高校生は本を読まない。それが芝居を栄養失調にしていると思う。脚本を読む、それを声に出す、犬と散歩のときに、それを様々な形で口にする、など、とにかく芝居をしたい気持ちを支えるものは身の周りには無数にある。そいうささやかな日常が、舞台をつくると思う。

 

 

 

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コメント

誰だ?って、聞かないで〜。
なぜだか…このブログにたどり着きました。

高校時代…脚本を読まない、芝居を見ない後輩にヤキモキしたのを思い出しました。(そんな後輩は九州大会に行きましたが…)

今は子育てをしながら、変化が欲しいなぁと、思う毎日です。

先生の言う通り、脚本読んでみよう。

乱文失礼致しました。

投稿: 史綺(女子校OG) | 2010年11月12日 (金) 23時27分

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