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意外に面白かった『書道ガールズ』

 最初に、この度の人事異動で佐伯豊南高校に勤務することになりました。津久見高校では、教師になって一番英語の勉強に取り組みました。そうさせてくれる生徒がいたからで、ホント、生徒は教師を育ててくれます。感謝。

 東日本の災害被害が広がっている。春の選抜高校野球での選手宣誓はよかった。高校野球の魅力は高校生の懸命さが魅力なのだナ。情熱は人を動かす。セ・リーグのヘッドにはわからなかったみたいだが、

 『書道ガールズ』が面白かったのは、高校生のひたむきさが出ていたからだろう。作品は暖かい。いい映画。

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そうだったの、か?

 頭にお湯をザーッとかけて、シャンプーを手にとる、と、リンス(最近はコンディショナーとかいう表記が目立つが)だったりすることがある。よく見ると、色と形が微妙に違う。それで最近はなかったのだけれど、今日、やってしまった。手にとったコンディショナーに、ええい、とシャンプーを混ぜて使った。その時、閃いた。リンスインシャンプーを考えた人は、そういう経験をしたのではないか。

どうでもいいことか。

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佐伯春祭り中止の愚行

 今日の朝刊の折り込みで春祭り中止の通告。

 東日本の災害を配慮してのこと。

 春祭りの頭に「災害支援」とつければいいんじゃないか。会場で災害についての広報とか募金とかすればいい。佐伯で厳しい冬を越えてきて、春をよろこぶ時間を共有すればいいんじゃないか。

 安易なんだ。

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日本の芸能人の動き

 海外の様々な人が今度の災害に応援のメッセージや寄付を寄せている。日本の芸能人も考えている様子が次のサイトでわかります。

http://www.nikkansports.com/entertainment/et-blog.html

素早く、心ある対応をしているので、親近感を覚えたりします。政府の対応が一番悪いんじゃないかな。民主党にとっては起死回生のチャンスなのに、やっぱり、だ。

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谷沢永一氏逝去

 学校が変わっても、学年通信風のもののタイトルは『紙つぶて』だった。行事予定とかは一切いれず、B4にあれこれを書きつらねる読む通信。そのタイトルは谷沢氏の著作のタイトルをパクった。

 谷沢氏の大きな功績は開高健の成長に関与したことだと思う。若くまずかしかった頃の開高の読書は谷沢の蔵書に支えられていた。

 ささやかだけれど、関西大学の教授の時に、桂文珍を講師に招いたこと。落語家を講師に招くなんて。それが文珍だったなんて。慧眼。文珍はその時代本を二冊出している。それも面白かったし、落語の枕に使ってもいた。

 もし、また、通信を出すようなことがあれば、「紙つぶて」を使いたい。無断借用したことに深くお詫びし、ご冥福を心から祈ります。

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卒業式、だったのだ

 今日は娘の中学校の卒業式。校長が一人一人に卒業証書を手渡すので時間がかかる。一人10秒ちょっと。しかし、カメラを設置して、受け取る生徒の顔が上手のスクリーンに映し出される演出があり、退屈しなかった。

 先日、高校の卒業式で答辞について苦言を呈したが、今日は送辞も答辞も壇上からみんなに向かって述べる。特筆すべきは「読む」のではなく「述べる」。これは校長の式辞も教育委員長の告辞も同じで読まない。全て頭の中に入っている。だから、顔がよく見える。だから、よく聞こえる。

 朝方はちょっと雪も舞ったほど寒い一日だった。しかし、心温まる式だった。卒業生には来週火曜日の高校入試が舞っている。それをくぐりぬけて、春の到来か。

 京大や有名私大の携帯を使った「カンニング」の影響は高校入試にも影響があり、対応を考えている。昔、映画若大将シリーズで、青大将がケガを装い頭を包帯で巻き、耳のイヤホンを隠して、外から無線で答えを教えるというのがあった。40年以上前のことだ。今まで携帯を使ったカンニングがなかったとは思えない。

 良き日につまらないことを書いてしまった。卒業生の活力と充実の日々を祈ります。

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マティ・ヴィスニュック『ニーナ』を読む

 東京演劇集団風の上演台本で、正式には『ニーナあるいは剥製のかもめの脆さについて』というタイトル。チェーホフの『かもめ』の続編として15年後、ロシア革命が起きた時のニーナ、トレープレフ、トリゴーリンの三人芝居になっている。風の三人の役者へのあて書きらしい。

 最近、昔の記憶だけはほぼ確かで、ここ10年前後の記憶は曖昧で、はてチェーホフの戯曲を全部読んだのは3年前だったか・・・。4年? 2年? 嗚呼・・・。ともかく、16巻だったか、その全集に載っている戯曲は全部読んだ。『かもめ』は違う訳者でも読んだ。芝居仲間で回し読みをして、たとえば「喜劇」の但し書きについて話し合ったりもした(このこと自体が喜劇?)。そのせいか、一番記憶に残る作品になった。その続編。勇気がある。

 勇気はあるが、この世界を見せる必要があるのか。剥製は止まった時間。切ない三人だ。雪に閉ざされた家での再会。雪の向こうではロシア革命。彼らはそれについていけるのか。でも、ロシア革命も・・・。人間が見えてくる。

 芝居は、たぶん、こういう果敢さがいるのではないか。

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卒業式、だった

 卒業式でいつも理解しがたいことの一つが、送辞が卒業生に向かって述べるのに、答辞は校長に向かって述べること。これはおかしくないだろうか。まして、校長が上に立ち、答辞の生徒は後ろ姿だけ。声を発する人の顔が見えないのはどうだろうか。

 今年の津久見の答辞はよかった。パターン踏襲ではなく、極めて日常を述べたのがよかった。送辞の原稿を読まずに、時間をきいて短いので長くしなさいと指導した教員がいたのには驚いたが、数字だけで判断するのが習い性になったのか。そういうアホなことに気付かないのか。不思議。

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