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卒業式、だったのだ

 今日は娘の中学校の卒業式。校長が一人一人に卒業証書を手渡すので時間がかかる。一人10秒ちょっと。しかし、カメラを設置して、受け取る生徒の顔が上手のスクリーンに映し出される演出があり、退屈しなかった。

 先日、高校の卒業式で答辞について苦言を呈したが、今日は送辞も答辞も壇上からみんなに向かって述べる。特筆すべきは「読む」のではなく「述べる」。これは校長の式辞も教育委員長の告辞も同じで読まない。全て頭の中に入っている。だから、顔がよく見える。だから、よく聞こえる。

 朝方はちょっと雪も舞ったほど寒い一日だった。しかし、心温まる式だった。卒業生には来週火曜日の高校入試が舞っている。それをくぐりぬけて、春の到来か。

 京大や有名私大の携帯を使った「カンニング」の影響は高校入試にも影響があり、対応を考えている。昔、映画若大将シリーズで、青大将がケガを装い頭を包帯で巻き、耳のイヤホンを隠して、外から無線で答えを教えるというのがあった。40年以上前のことだ。今まで携帯を使ったカンニングがなかったとは思えない。

 良き日につまらないことを書いてしまった。卒業生の活力と充実の日々を祈ります。

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