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発見、幻の脚本

 身軽になって死への旅路をたどる、とはリアの台詞だが、少オしずつ処理をしている。そこで、舞鶴高校の教員劇に書いたものが見つかった。稽古中は喧嘩になったこともあるが、セリフは全て録音し、録音したテープを切ってつないで本番では使用した。ぼくは最後に、電子ギターでテーマ曲を歌った。白衣にサングラスだったと思う。この芝居は時々思い出しては、その設定を使いたいと思っていたのだった。20数年前のものだけれど、結構面白いのだ。現在某高校の校長も出演した。これは使いたい。

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とんぼ返り天草西海岸

 あわや事故という経験を最近経験し、これではいけない。行きたいところに行っておいたほうがいい、と、思い、朝7時前に車を転がした。

 一般道で5時間で下田温泉に着いた。20年振りの天草。ぼくにとっての天草は西海岸。変わっていた。下田はウエルカムの状態になっており、かつてのひなびた、だからこそ愛すべき町営温泉を探そうという気にはならなかった。海岸線にも展望レストランがあり、原発もあった。富岡には城が復元されていた。

♪二人の心が溶けた白鶴浜に・・・♪

昔つくった歌の舞台を訪ねるのが一番の目的だったが、右往左往の中で見失ってしまった。田植えが終わっていたのにもちょっとビックリ。

 土曜日半ドンの頃、勤務時間が終わると学校を飛び出し、下田温泉まで走り、風呂につかり、東シナ海に沈む夕陽を見て帰る。そんな無駄なことをしていた時期がある。海の美しさだけは昔のままだった。今度は一泊で最後の訪問をしたい。

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小幡欣治『どろんどろん』を読む

 作者と役者とスタッフの終わりのない絡みを江戸時代を舞台に描いている。もしかすると、スピルバーグとかの現場でもこんなんではないかナと。ただ時に大喧嘩になる現場は、だからこそ面白い作品を提供してくれるのだとわかる。

 作者の小幡欣治は、この作品を最後に今年亡くなった。作品の中での作者は鶴屋南北だが、余り出しゃばらない。役者とスタッフの調停役みたいなところも随所に出てくる。小幡が息の長い劇作家として活躍できたのも、そういう姿勢があったからかもしれない。絶筆、楽しく読みました。冥福を祈ります。

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中津留章仁『藤島土建』を読む

 『藤島土建』というタイトルにはひきつけるものがない。だから、津久見出身なのに、どうもページをめくる気がしなかった。今回整理している時、たまたま出会い、読んでみるか、と。

 面白かった。丁寧に書き込んでいると思った。そして、触手を動かさなかったタイトルにこの作品のテーマがあったのだった。最後にもう一押しあるものの、面白く読めたものの、今その必然があるのか。デビューしてまもない頃の井上ひさしがエッセーでよく書いていたようにも思うのだが。

 ともかく、プディングの味は食べないと、わからない。って書いてある文が、高校時代の国語の教科書にあったナ。

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T・ウイリアムズ『やけたトタン屋根の上の猫』を読む

 今年は演劇鑑賞の担当で、3年に一回というのを劇団のほうが知っていて、面会や封筒がかなり送られてくる。ぼくは必ず脚本を読ませてもらう。2校前の学校では、それを言ったら、「読んでもわかりませんよ」と言われた。たしかに、ぼくの読解力は乏しい(どうして見抜かれたのだろうか?)ものの、だいたいどういう芝居かはわかる。だから、「読んでもわかりませんよ」と言われると、その劇団は外す。どこの劇団でもいいのなら、即座にいくつか思いつく。しかし、限りがある中で選ぶほうが楽なのかもしれない。

 ケラノ脚本を読み感心されたのだが、テネシー・ウイリアムズ作品の新訳を読み、圧倒された。凄まじいといってもいい。基本的は実際の上演よりはちょっと時間をかけて読む。ト書きを丁寧に読み、設定を確認し、セリフは喋るように読む。後戻りはしない。ただ、この本は今度はじっくり読み返したいと思う。

 ウイリアムズ作品は大学時代に一応全部は読んだけれど、受信装置が貧弱だったんだろうナ。読み返すって、いいかもしれない。

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篠崎省吾・中村芳子『吉林食堂~おはぎの美味しい中華料理店~』を読む

 ぼくが子どもの頃は多くの食べ物は自家製の材料でつくったものがほとんどだった。添加物ゼロ。おそらく、年配の人たちの多くがそうだったからこそ、今尚元気で、健康ではないかと思ったりする。ぼくがコンビニでお茶を買って、レジで払う時にボタモチを置いてあった時につい買ってしまったり、あるいは何かの店でゼンザイがメニューにあると頼んでしまうのは、子ども時代の時々あったオヤツがそういうものだったからではないかと思う。

 福岡の劇団道化が上演している作品の副題に「おはぎ」があり、ついつい読んでしまった。おはぎは、作品の中でかなり重要な役割がある。明確で分かりやすい作品ではあるが、その分、物足りなさも感じる。日本語に不慣れな残留孤児の中華料理屋が舞台で、言葉の間違いを面白く処理している。おそらくそのへんで笑いが起こるだろう。背後まで描けば重い作品になるかもしれないが、そこを深入りせずに描いて、親子の情愛がほのぼのとした形で伝わってくる。これはこれはいいと思う。

 ぼくは子どもの時に食べていたのはオハギ。外に出るようになってボタモチの存在を知り、最初はその違いがわからなかったものだ。

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ケラリーノ・サンドロヴィッチ『黴菌』を読む

 月に数回「直川鉱泉」に行く。10時からということになっているが、セッカチが多いから15分前に行っても、前の特等席の駐車場はいっぱい。そういうセッカチがいるから、10分前には入れてくれる。ずっと近い「弥生の湯」にいけば、ガソリン代は節約できていいのに。ともかく、休みの日の午前中にどこかの風呂に入り、しばらくは午後は脚本を読むか書くかにしようとしている。

 ケラリーノ・サンドロヴィッチが書いた脚本は手元にいくつかある。初めて読んだ。一族を描いた脚本で、「まじめ」で、こんな脚本を書ける人なのかと驚嘆した。最後まで読ませるものはあった、が、上手に終わらせる無理が面白くない。

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ジャン・ポール アレーグル(『天国への二枚の切符』を読む

 脚本を書く時、登場人物が勝手に喋り、動く場合、その出来は比較的いいように思う。そうでない場合、強引に喋らせ、動かすと、出来はよくない。というより、途中で行き詰ってしまい、書き終えることができない。どうにか書き終えても、作者の強引さが見えてしまい、よくない。作者は、作品の背後に隠れてしまう方がよいように思う。

 この脚本には作者の姿が見えてしまう。ただ、ラストのところで、苦笑してしまう。そのためだけのそれまでの叫びと囁きだったのか。

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永井愛『シングルマザーズ』を読む

 現在英語科にはALTを入れて7人。うち、女性が5人。英語科に限らず、女性が多い。こういう職場は初めて。そのせいか、成績評価に当たって、テストと提出物と単語テスト等で統一しましょう、と。教師によって違ってもいいと思うのだけれど、強く主張するので、とりあえず同意したのだが、これが結構面倒なのだな。それはそれで、まッ、楽しめばいいのだろうけれど。

 永井愛は好きな作家で、目に入れば読む。他にそういう女性作家を思い出すけれど、途中で投げ出したものばかり。何故かはわからない。ただ、永井愛作品が全部好きかというと、そうではない。『シングルマザーズ』のように5人のキャストのうち男性が一人だけってのはいけない。反歌(で、いいのか? まッいいか)として『シングルファーザーズ』を書きたくなる。瞬く間に忘れてしまうのだろうけれど、今はそう思う。とことん楽しめるものもあれば、そうやって刺激を与えてくれるものもある。だから、永井愛は好きなのだ。

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驚異の数字

 2月、3万キロを前にタイヤを換えた。エコタイヤ。ところが全然燃費は向上しない。先日、エンジンオイルを換える際オートマのオイルも換えた。そして直川の温泉に行った。約20キロ。その間に、燃費を表す数字が、リッター27キロをこえた。もちろん、その数字には差し引きが要るのだけれど、今までそんな数字を見たことはなく、これはたぶん、エコタイヤが関係しているのかも。

 もっとも、以後は市内のウロチョロなので、数字は17キロまで落ちている。一番良いのは歩いていくことだとはわかっているんだけれど。すこ~しだけ体に負担をかけてもいいんだよな。

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所かわれば

 県立学校でも学校によって、こんなにも違うのかと、転入した時の戸惑いの多くはそこにあるように思う。

 職場がグント近くなった。以前より1時間近く遅く出る。以前は職員朝礼が始まる前に英検の補習みたいなことをしていたので早く出ていたからだが、10分前後で着く。しかし、身体は以前の習慣を忘れていなくて、夜明け前に目覚め、あれこれやって、草むしりをしたりするほど。

 ところが、帰るのは以前より1時間以上遅くなった。職員週番というのがあり、6時過ぎに見回るのだ。そういうのが残っているのにビックリする。昔はあったが、次第に消えていった。ましてや勤務時間を超えた内容。NASAでチョンマゲの人にあったような感じ(ウ~ム、的確じゃない、か、・・・)。

 その他、組織の違い、名称の違い、方法の違い。一番まいったのは教室にエアコンがない。でも、2年からはクラスで全員が同じ授業を受けることがないほど選択科目が多いから、教室だけでなく他の部屋にも設置しないと不公平になるからなのだろう。選択科目が多いのは面白い。一つの例として、ぼくは、スクリーンイングリッシュをやるのです。

 

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今年の目標

 学校のグランド周辺の桜も今が盛り。そこで鶴岡高校野球部との練習試合。彼らはホント元気で、試合前にも走り回りながら、2試合。あんな元気があれば、と、思う。

 新任者にとって、机に座るのが仕事のような苦痛。何かすることがあればいいのだが、それが漠然としているから、漠然を感じるだけ。チェーホフの短編小説を全部読むか、と、無謀な決心をした。芝居のヒントを探すのが目的だけれど、まッ、それもいいか。

 ほぼチェーホフ読破。

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異動のルールがあるのに

 3校目以降は、7年からが6年に変わった。しかし、今年は6年に満たない者がゴロゴロ異動になっている。中には、2年という者もいた。県が設定したルールを県が平気で破っている。そうならざるをえない場合もあろうが、そういう事情があるとは思えない。ルールは例外をつくると、意味がなくなる。様々な勘ぐりも生じている。保護者がもっと声をあげたほうがいい。

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今年の教職員異動の問題

 今日、豊南高校に着任しました。総合学科制の学校でのこれからの経験が楽しみです。

 さて、今年の人事異動は、数年前の大問題があったせいだと思うけれど、知事部局がやったそうです。それまでは、校長からの要望等を受けての手順を踏んでいたけれど、それがなくなった(ようだ)。だからと思うけれど、現場無視の異動になった。そのため現場が結構混乱している。義務制の中には抗議運動が起きているようだ。校長、教頭を含めて7割近い職員の異動があれば、当たり前だろう。

 工業科がある学校にある教科では男3名のうち2名を転出させ、3名の女性を転入させる。教えることに男性も女性もない、と、反論されればそれまでだが、現場ではどうも困ってしまうのだ。別の学校では2年学年主任と一人を残してクラス担任全員が異動。3年時の進路指導に問題が残る。

 理由は色々言える。しかし、現場感覚が備わっていない、つまり生徒のことを考えていない人事はよくない。想像力に欠けた人間がやるとこうなる。

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