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織田正吉『笑いのこころユーモアのセンス』を読む

 笑いを様々な形に分類して、例も豊富で面白い。

 中でも面白かったのが「君が代」がナンセンスの例としてあげられている。「さざれ石」というのは小さな石で、それが「いわお」つまりに岩に成長するというのだ、と。それにはぼくが生きている間には到底確かめることはできない。ところが、小石が大きくなってから「苔のむすまで」にはそんなに時間がかからないだろう、と。元は万葉集らしい。昔の人にナンセンスという意識はなかったろうが、面白いんだ、日本国歌って。

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サウナ室での会話

 土日は、どちらか必ず弥生の湯か直川鉱泉に行く。客層に微妙な違いがある。どちらかというと、直川のほうが平均年齢は高いように思う。弥生の湯は奇数日が和風で、死海の湯があるのは洋風のほうで、ぼくは和風のほうが好きで、サウナで汗をかいたら、うたせ湯もある。距離は断然弥生の湯のほうが近い。でも、好きなのは直川鉱泉。

 先週弥生の湯のサウナで汗をかいていたら、おじさん(ぼくも立派なおじさんだけれど、ぼくよりもおじさんということ)が二人、雨が降らないので、川の水が減り鯉が死んでるとか山の木が枯れているという話をしていた。朝の犬との散歩で農業用水路が干からびているような状態が気になっていた。

 今日、直川のサウナで、「もとにもどったな」「強い雨じゃねかったけんど、寝てる間に降ったんじゃろうな」とかいう会話があり、どうやら田植えも可能な様子。

 高校生は来週県体。大舞台を前に練習ができないかもしれないが、ぼくはこの雨を大歓迎。台風の過度の雨の提供は要らないけれど。

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二日続けて、とは・・・

 昨日母の姉が亡くなり、母を連れて通夜に行った。母は足が不自由で椅子を出してもらい、ぼくはそばに立っていた。実はかかとのところ、靴下に穴が空いているのに気づいたのもあったのだが、座りなさいと言われ、拒み続けることもできず、エイヤッと後の人に気づかれぬよう、座布団にすわった。

 その前の日も帰って、靴下を脱いだ時、同じ部分に穴が空いていたのだった。今日は試験の最終日で、学校で仕事を済ませ、今帰ってきた。これから喪服を着て、いくつかの場所を経巡るわけだが、何度も靴下を確かめている。石川啄木はじっと手を見た。ぼくは靴下の裏をじっと見ている。

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『YESMAN』を観る

 ジョン・レノンが、すべてにNOを言って行き場がなくなった時、ニューヨークである個展にブラリと入る。会場の一角に脚立があり、それをのぼると望遠鏡を覗くようになっており、ジョンはそれに目をあてる、と、天井に書かれた文字が見えた。YESという文字だった。ジョンは、肯定形で世界と関わることを知る。その個展を開いていたのがオノヨーコ。好きなエピソードだ。

 この映画はおそらくそのエピソードをもとにしているんじゃないかと思えた。NOは世界を閉じるが、YESは開く。ただ、オフザケが多すぎる。

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真実がわからない

 昨年末、娘たちの母親がうちに犬を獣医に連れていき、疥癬とフィラリアと肥満と診断され、治療され薬を与えられ、いつもの数倍の値段のエサを買わされた。それから、彼女は毎週犬を連れていき、5千円くらい払った。ところが、別の獣医と知り合い連れて行ったら、フィラリアではないし、肥満はそれほど気にすることはないと言われ、疥癬には、と、前の獣医とは全く違う薬を与えられ、結局は4分の1くらいの費用だったという。ただ、以前から犬は元気だったし、ぼくは特に気にしてなかったのだけれど。

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高谷信之『Stake Out~張り込み~』を読む

 別にこの作品に限ったことではないが、外国語を使って、その日本語の意味を副題のようにつけるのは何故だろう。何故「張り込み」だけではいけないのか。わからない。そして、この脚本を掲載するだけのものだろうか。練りこまれた感じがしないし、終わり方もピンとこない。こういうこともある。

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竹内一郎『トキワ荘の夏』を読む

 修士論文を書いている時の日課のひとつは、小飼商店街の中の小さな本屋に歩いて行き、『ワイルド7』を一冊買い、それを読むことだった。全部で48巻だったか、それは何度も読んだ。それくらい面白かった。今度瑛太主演で映画になるという。

 ある演劇評論家が入院した役者への見舞いに『ガラスの仮面』を持っていくというのを読み、本屋に全巻注文したら、未完だったが40冊届いて、支払いに苦労した。また、帰りのカーラジオで石原慎太郎が面白いと言ったというので『沈黙の艦隊』を注文した。10巻に満たなかったような気がするが、もう少し多かったかもしれない。これも面白かった。

 子どもが生まれ、実家に居候し、本がどうしても邪魔だったので、7割ほどを泣く泣く処分した。ただ、漫画は手塚治虫だけは残した。

 さいふうめいという名前でも書いている竹内の脚本は伝説のトキワ荘が舞台で、あああの漫画家だナとすぐにわかる登場人物。漫画ファンにとっては興味をそそる。どこまでが実話なのかはわからない。手塚が石森(のちに、石ノ森)章太郎の作品を盗作したというのは、手塚ファンにとってはシンドイエピソード。

 作品は、しかし、出来がよくない。説明的セリフが多すぎる。加えて、住人の一人に小説かがいて、漫画にNOを述べるのも、過去にあった議論の繰り返しでしかない。加えて、彼が「トキワ荘の夏」というタイトルでいずれ作品を書くと宣言するに至っては笑ってしまう。アパートを舞台にせず、たとえば藤子不二雄と思われる二人が出入りするラーメン屋を舞台にしたほうが芝居としては面白くなったのではないかと思う。

 古本屋で『ワイルド7』を見かけたら、是非買って読んでみてください。技術の進んだ現代でも、あの世界を映画化できるのか、かなり疑問。これだけは映画館に行かなくては。

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イプセン『ヘッダ・ガーブレル』を読む

 豊南の生徒はよく挨拶をする。総合学科で選択授業が多く、そのためあちこちの教室を移動するので、廊下にロッカーを置いていて、教材をロッカーから出し入れしている生徒が多く、授業に向かう時すれ違う。ほとんどの生徒が挨拶をしてくれる。だから、おそらく一日で100人以上の生徒と挨拶を交わすことになる。ちゃんと立ち止まって挨拶する生徒が多いので、それに「モンチクワ」とふざけた挨拶は返せないし、はっきりと声が大きくなって挨拶を返す自分がいる。

 もうひとつ。東北震災の被災者支援の募金をすると昨日言われ、今日になっても生徒は来ないのでその場所に行ったら、もうしている。ちゃんと店の人にも許可をもらっているとのこと。女の子も大きな声で呼びかける。終われば、店の人にお礼を言いにいく。そして当たり前のような顔をして解散する。教員はただただ「いてもいいですよ」という存在。これはすごいことではないだろうか。

 さて、イプセン。国立劇場の「現代劇の系譜をひもとく」シリーズ。このシリーズは面白いと思う。ただ、この作品は先が読めてしまい、喜劇として読んだが、物足りなかった。

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「とか」の中に何があるのか?

 コンビニで会計の時、ポイントカードを促される。たいていは「ポイントカードをお持ちですか」という形だが、ときたま「ポイントカードとかお持ちですか」と言われる。そのたびに「とか」が気になって仕方ない。本人は意識していないのだろうが、「とか」をつけられると、ポイントカード以外に何かあるのかナ、と思う。ビデオレンタル店のカードでもいい場合もあるかもしれない。となると、「ポイントカードをお持ちですか」が、他のカードを無視しているような気持ちになってくる。どうでもいいことだけれど、時々無性に気になってしまう。

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小幡欣治『神戸北ホテル』を読む

 不思議な夢の余韻が今も続いている。どこかはわからないが、見たような顔がいくつもある中で、彼女はぼくへの好意を全身から放ち、それをぼくは感じながらも、応えようとしない。しかし、距離は少しずつだが着実に縮まっている。その縮まっていくスピードがあまりに緩やかで、劇的な展開がないまま、目覚めた。あの女性は、誰かに似ているようだが、誰かはわからない。その夢の女をぼくは今想っている。

 小幡の脚本を読んだせいだろう。『神戸北ホテル』のヒロインうららのせいなのだ。男を想うその情熱と激しさは、時には重い。ただ、戦争末期の、あれもまた純愛なのだ。読んで、作品が気にいるかどうかはわからないが、読めば夢の女性が現れます。

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マッコりにはまる

 ここ数カ月学校ではコーヒーとかお茶ではなく、ペットボトルに入れた青汁と一杯でシジミ20個分の味噌汁を飲んでいる。だからといって、どうということはないのだが、そういうことなのだ。

 もうひとつ。マッコリ。乳酸菌の酒なのだが、アルコール度数がビール並で、口当たりがよく、おいしく飲んで、翌朝に残らない。先月だったか、ネットの記事でガンにも何か効果があるようなことを知った。一本500円程度の値段も嬉しい。が、最近少し値上がりしている。ズルイぞ!

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暁に死す

 水を換えようとしたら、水面に浮かんでいた。明け方、ジャンプする水音がしていたのだが・・・。

 最初はメダカということで育て始めた。主に20キロちょっとの戸屋平湧水までペットボトルを持っていき汲みためておく。いけない時があるかもしれないので、常時20本近くをストックしてある。それが、10センチ近くまでなり、とうとう寿命をまっとうした。同じく振替休日の長女と、枝垂れ桜の根元に埋めた。

 これで水汲み作業がなくなるというわけではない。竹田の熊本寄りの道の駅「すごう」で買った白メダカが二匹、小さい水槽にいる。うち一匹は臨月のような・・・。産まれれば、まだまだ水汲みは続くことになる。産まれますように。

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『高校生レストラン』を観る

 昨日は観れなかったので、録画予約していた。

 教室が舞台のドラマには限界があるように思う。このドラマは舞台を高校生が作り、客にサーブする場所にしてある。一回目を観た限りでは、基本は同じだと思う。舞台をズラしたことで、見えてくるものが沢山あるように思う。実話に基づいているものだが、面白くなりそうだ。

 第一回目で、開店前のシュミレーション。それに対して「高校生としてはよくできている」だの「生徒を指導することが大切」みたいなセリフがあったが、そこにはよく学校への、あるいは学校を指導する立場の意味のない、ただ大向う受けだけを考える腐った考えが反映していた。

 学校の力が低下しているように思う。進学校は、ただただ国公立大学の合格数を上げるだけになっているのは一体誰のためなのだ。

 進学しようと、就職しようと、高校生は社会人一歩手前のところにいる。その彼らに「高校生としてはいい」というのは褒め言葉ではない。

 最近は高校生を「ボランティア」の名前で利用するようなケースもある。そこに高校生を育てるという意識はあるのだろうか。

 松岡には適役かもしれない教師。頑固で妥協しない大人として高校生の前に立つのがいい。

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福岡、とんぼ返り

 PTA総会がほぼこの時期、どこの学校でもある。年々保護者の出席率が落ちていて、出席率を上げるのに躍起になっている。いや躍起ってほどでもない、か。躍起になっても効果がないのだから。

 出席率を上げるために多くの学校が取る方法は二つ。休日実施と講演を入れる。それでもさほどの効果はない。それで、当日参加できない人のために、平日の夕方とかに簡略版を数回実施し、それで参加率の数字だけを上げようとする。形式だけで、面白くないからだということを深く反省して、思い切った方法を取ればいいのに、と、思う。

 そして、今日、PTA総会。授業参観のひとつの担当だったので、それをやって、休みを取り、家に帰り、娘のファンのナントカの映画があり、そのメインのカントカが舞台挨拶があり、そのチケットが手に入ったとかで、福岡まで行ったのだった。彼女が映画館に入って、ぼくは百均で老眼鏡を買い、ブックオフで山本一力を買い、読んだり、タバコを吸ったり、いくつかの店をウロチョロして2時間半を過ごした。車にもどった娘は軽い興奮にニコニコしていた。これでいいのだ。親バカ、だけれど。

 PTA総会を面白くする方法は無数にある。開催する側が変わらないで、小手先だけの変化をやっている限り、ソッポを向かれるだけではないか。

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岩切正一郎訳『ゴドーをまちながら』を読む

 まだ暗い中、散歩と勘違いして吠える犬を尻目に、車を走らせた。米水津の空の公園で朝日を見ようと思ったのだ。風の当たりにくいところにキャンピングカーが2台。その脇を通りにけ、上まで行く。軽が2台あった。おそらくアベック(死語?)だろう。そういう時が誰にもある。できるだけ邪魔しないように、朝日を待つものの、曇のようで、あきらめた。どうしようもないな。せっかく、なんて言葉は天には関係ない。

いいかげんにしないかね、時間の話は。ばかげている! いつ! いつ! ある日だよ、君にはそれじゃ足りないのか。他の日と同じようなある日、あいつは口がきけなくなったんだ。ある日、わたしは目が見えなくなった。ある日わたしたちは耳が聞こえなくなるだろう。ある日わたしたちは生まれた、ある日わたしたちは死ぬんだ。同じ日、同じ時に。きみにはそれじゃ足りないのかね。女たちは墓にまたがり出産する。日は一瞬輝き、そしてまた夜だ。

 国立劇場が面白い企画をしている。「JAPAN MEETS・・・現代劇の系譜をひもとく」というシリーズで、外国の脚本を新訳で上演している。全舞台のチケットを買うところだが、東京まで行くと、一本の芝居がえらく高くなる。

 岩切訳の『ゴドー』はなんだかわかり易く思えた。霧が少し晴れたような気がする。『ゴドー』ってけっこう面白いと思った。収穫だ。

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篠崎省吾・中村芳子『知覧 青春 ~アイ・アム・ヒア~』を読む

 昔、文化祭の準備でかなりの時間外勤務をして、その回復として3日学校から離れ、南九州を経巡った。脇道、山道を走ってのとことんドライブだった。何故、あんなことをしたのか。時期的に、漂泊の思いに駆られた者と思う。一番時間をかけた、かかったのは知覧だった。特攻隊の若者が書いた手紙は目と心を奪った。無駄のない引き締まった文章と達筆。彼らを納めた建物のある知覧は清潔な平和に包まれていた。

 知覧には戦争に散った若者、彼らを取り巻く家族や友人や、その一人一人にドラマがある。みんな懸命だったからこその輝くドラマがある。道化のこの芝居はそのささやかで行儀正しいひとつではないか。最後の一言がきいている。

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