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『独裁者』を観る

 豊南高校には「スクリーン・イングリッシュ」の講座があり、その担当者になっている。希望した訳ではなく、今年行ったら、もう決まっていた。それについては以前書いた。

 映画2作目はチャップリンの『独裁者』。

 東京から帰ってきて、失業手当で読書と酒の毎日を過ごしていた時、最初に読んだのがチャップリンの自伝。辞書を使わずに、けっこう厚い本を読んだのは初めてだった。面白くて辞書を使うのがもどかしかったんだろう。

 で、『独裁者』。よくできている。いつも感心する。そしてチャップリンの遊びに満ちた演技の面白さ。そして演説にあふれる人間と世界への深い愛。その演説の英語を授業で使ったけれど、正解だった。生徒は白黒の映画とか観たことないかもしれないし。

 次はミュージカルにしようかと思う。何を選ぶかわかりますか?

 

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冲方丁『天地明察』を読む

 本屋大賞という言葉に踊らされた。以前『告白』もそうだった。一体本屋の連中ってのは、何を読んで比較しているんだ。NHKのブックレビューの番組で本屋の代表がお勧めの本のページを折っていた。この人は本を大事にしていない、と、思った。

 びっくりしたのは偉大なる養老孟司が腰巻に「現代人もこういう風に生きられないはずがない。同じ日本人なのだから」と書いていて、部分だけの引用だけだけれど、現代人が共感しているから書いているんではないか、思わずバカ!と。

 作品世界は面白い。しかし、小説と呼ぶには難がある。作者の前に読者が見えていないからこうなるのではないか。

 知りたいところを知ることができなかった。

 

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ポール・オズボーン『朝は、七時』を読む

 学生時代に無理をしてあれこれ読んだが、挫折したものが多い。たとえば、サルトル。わからない。本のタイトルも忘れたが、挫折する前に、といってもごくごく最初の部分だけれど、ピカソの絵に太陽が黄色に描かれていることに「あれは苦悩を表している」という批評家の言葉にサルトルは「ピカソにとって太陽は黄色だった」と書いた一節あけが記憶に残っている。

 どうも最近生きる意味だのを考えなくなっている。今がこうなのだ、と、そのへん以上のことを考えないようになっている。考えたところでどうしようもない、そういう無力感という訳でもないのだけれど。

 そういうぼくの肩をポンと叩いてくれたのが、『朝は、七時』。70歳前後の老人七人と40才くらいの若い二人のあれやこれやはどーでもいいことなのだけれど、描かれた世界の魅力。どんな意味があるのかのではなく、感触を手掛かりに先に進んで行きたいと思った。

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お薦めの本

 たぶん多くの学校で図書係が「生徒に読んで欲しい本」のような形で教師にアンケートを取る。その結果に興味を駆り立てられることはない。それには二つの理由があると思う。

 一つは高校生向けに答えているから。ただ、高校生を子ども扱いするのには賛成できない。そんな考えだから、彼らがいつまでも子どもっぽいままなのだ。「読めるかナ」くらいの作品を一刷くらいは入れたほうがいいのにと思う。

 もう一つは多くの教師はそれほど本を読んでいないということ。これはぼくにも言えることで、恐ろしいくらいに読んでいない。本を開かない日はないけれど、7割は脚本。加えて読むスピードが遅い。遅いからといって熟読している訳でもない。ある程度の読書量を維持するためには、仕事と家庭の上手なやりくりが必要になる。

 さて、先日豊南高校の職員の机上にそういうアンケート用紙が配布された。夏休み中に書く読書感想文用の推薦図書らしい。5冊。何故その本なのかを書く欄がないのが惜しい。ただ、新参者のぼくは懸命に考えて答えることにした。ぼくの回答は以下の5冊。

 井上ひさし『青葉繁れる』  司馬遼太郎『竜馬がゆく』  アルベール・カミュ『ペスト』  テネシー・ウイリアムズ『ガラスの動物園』  丸谷才一『思考のレッスン』

 最後の丸谷の本は感想文には向かないが、3年生は作文を書くこともあるし、その対策になるだろう。その3年生に長い司馬作品は負担かもしれないが、これは下級生向け。カミュは、ぼくが勧めた人には評判が悪い。最初のほうで挫折するんだろう。ただ、ぼくは本を閉じた時の感動のうねりが忘れられない。『ガラスの動物園』は、芝居に興味を持つ生徒が一人でもいればという思いもあるが、芝居の女性のなかでローラが一番好きだから。

 あなたの5冊、教えてください。

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『Closer』を観る

 6月は給油の回数が2回。大分に2回。竹田に一回と直川の湯に3回、あとは市内をウロチョロ。車に乗り始めて最少回の給油。家でゴロゴロしてテレビを見るか、本を読むか、脚本に取り組んでいるか、隠遁者の生活に近づいているような気がする。

 老いを意識したのは、街角できれいな女性を見かけて、「ああ、もうこの人と恋におちることはないのだなァと思った時だったと思う。そうなればもう街に出る必要もない訳で、休日のドライブが山や海、作家の記念館ばかりになった。

 ただ、そうはいうものの、気なる女性は数人いる。気になるだけで、具体的な行動は何一つしていない。バークリー主教の言葉をアレンジして説明すれば、恋は男だけ、女だけにあるのではなく、二人が触れ合うところにある訳で、だから、これは恋ではない。

 ジュリア・ロバーツとナタリー・ポートマンに二人の男優の4人芝居(事実、もとは芝居だったようだけれど)の映画は、触れ合うことで生じてくるドロドロが切なくなる。回避できないこともないけれど、相手によっては生じてくることもあるかもしれない。若い人が観たらいいかもしれないが、彼らは多分「へーッ、でも私らは違うもんね」だろう。

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またもや・・・

 5月の母の姉(伯母)、6月の父の弟(叔父)をなくした。そして先日母の弟(叔父)が倒れて入院したとかで、母の見舞いに同行した。

 授業が終わって休みをとる際、教頭に事情を話したら、立て続く身内の大変に「お払いをしてもらったほうがいいんじゃないの」と悲しくなるほど滑稽な反応。彼としては精一杯なのかもしれないが、そういうセンスは好きじゃない。

 叔父は意識ははっきりしていて、「久しいなぁ」「今はどこの学校に行っているのか」という具合に、会話は成立する。母も安心したようで、そういう母の安心こそ、息子にとっては嬉しい。

 それにしても、教頭の発言が出るほどの、連続。お払いって、何を払うんやねん。アホくさ。ぼくは、そういう時期だからこそ考える時期だと考えている。ぼくは考えたことを芝居にする。

 芝居に何らかの形で反映すると思う。

 皆さん、自分の老後を考えたほうがいいですよ。

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窪美澄『星影さやかな』を読む

 三島由紀夫の『潮騒』を読んだのは20歳代後半だったと思う。小説としてそれほど優れた作品とは思わない。決して作品をけなしているのではなく、それ以前に『金閣寺』を読んでいたから、それに比べてということ。ただ、この小説は高校時代に読んでおけばよかったと思った。何故かはわからない。痛切にそう思った。

 ある人にとって旬があるように、文芸作品もまたある人にとって旬になるようなことがあるように思う。三島の『潮騒』は、ぼくが高校時代に読むのが旬だったのか、オッサン予備軍になったころに読んだのが旬だったのか、それとも小栗が旬だったのかはわからない。まッ遅かろうと早かろうと、その都度受け止めればいいことなのかもしれないけれど。

 『星影さやかな』って、タイトルからして敬遠してしまうでしょ。でも、ぼくは堪能しました。思い出をくすぐる部分もあって。だって、オトナ以前って、告白は生死の問題なんだから。

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村上春樹のスピーチ

 村上春樹がスペインで原発反対のスピーチをしたと報じられた。

http://mainichi.jp/enta/photo/news/20110611k0000m040017000c.html

 上にその全文が掲載されている。なお、上下に分かれているので、原発は下のほうです。

 いいスピーチです。報じられていない前半も日本人として嬉しくなる。是非、一読を。

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ボランティア考

 いつごろからだろうか。学校にボランティアの依頼が増えるようになった。それに走り回る担当者を前任校で間近に見て、多くの疑問が生じていた。

 豊南の生徒が立派なことはいつかここでも書いた。あの後、帰宅間近のぼくのところに生徒会長が汗を拭き拭きやってきて、「今、城山の清掃をしてきました」と報告してくれた。自分たちでどんどん動くのだ。

 今年、何も知らないままその掛になったぼくのところに依頼文書や電話がどんどんくる。件の会長は「○▽の話は来てませんか」と、頼りにならない担当教師に確認にくる。ぼくは生徒を単なる安上がりな労働力として使われることには抵抗があるので、精査した上で「こういうのがあるけどどうする?」と持ちかけ、彼らの意向で決定しようと考えているのだが、多くて右往左往しているのが実情。

 生徒が、それを経験することでプラスになればいいと思う。そういうボランティアであれば、呼びかける。でも、数が少なくても強制はしない。あるんだ、人数を要求するのが。

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パスワードなんかいらない

 6代目のパソコンを買った。以前壊れて往生したことがあったので、今度は異常を感じていたので、その前に、と。

 ところが、メール設定にパスワードがあり、それを思い出せない。あれこれと試してみるが、どれも違う。設定ができない。はて。

 加えて、ウダウダのブログの更新ページのパスワードもわからない。一応、すべてのパスワードは同じにしていたつもりだったので、この混乱が生じている。

 メモの重要性を痛感する。

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 先月母の姉が亡くなり、今日父の弟が亡くなった。一目会わせておいたほうが、ということでその都度連れていって、それから二人とも一ヶ月ほど生きた。命というのは生き続けようとする力なのだと思った。

 学校で連絡を受けて、早退して父に伝えようと実家に行ったら、冷蔵庫の前で倒れていて、どうにか椅子に座らせた。その後母に知らせに行き、叔父の逝去と父の様子を話した。母もまた老いによる不具合と闘っている。

 そういう状況にいる訳だ。見舞いも、火葬場も通夜も葬儀も、沈黙が多く、その中で色々考える。明日の通夜と明後日の葬儀もそうだろう。不謹慎かもしれないが、こういうところから芝居を書きなさいと言われているような気がする。考えているんだけれど、だから。

 直視するから生まれるものを大切にしたい。

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『ハリーとトント』を観る

 ハリーが猫のトントヲ連れて街を歩くシーンから始まる。いつも食料を買う店のオヤジと軽口をたたき、友達と猥談を交わす。妻に先立たれた彼は一人暮らしだが、その生活が気に入っている。ところが、彼のアパートが壊されることになり、生活が一転する。長男の家に住むが、どうもしっくりこなくて、シカゴの娘を訪ねることにするが、トントを連れていくための不具合のいくつかで旅は大変になるが、むしろ彼はそれを楽しむ。

 最近老いとその生活を漠然と考えはじめているが、その辺の事情とあいまって、味わい深い作品として面白かった。何より、ハリーが無理に周囲に合わせようとせず、自分の思いとペースで生きていく頑固さがよく、それでいいのだ、とバカボンノパパみたいに何度もつぶやいた。ぼくも、ああいう厄介なジジイになるのだろうな。そしてそして、シェイクスピアのセリフが出てくのも嬉しかった。いい映画。間違いない。

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ユン・ジョンファン『ちゃんぽん』を読む

 光州事件というのが昔韓国であったらしく、それが舞台になっている。何の知識もないから、どこまでが本当でどれくらい創作なのかはわからない。しかし、いずれにしろそこまで書かれる韓国という国に驚きながら読んだ。国家について、最近の日本の政治家の醜態を見ながら、考えているけれど、理想と現実のギャップ。日本の場合、表に出ないままの暗黒の部分もあるように思う。明日は管への不信任案がどうなるか。小沢系議員だけは、民主党だから選挙で選ばれたのに、ああいう連中は今後国政を託してはいけないように思う。

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