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生水、生米、生卵、

 生水を飲まないように、と、小学校の頃言われていた記憶がある。子どもの学校からの配布プリントにその文言を見た記憶はない。水が昔より安全になったのか、それとも、生水を飲むことが少なくなったからなのか。

 前の学校である独身教師とのウダウダ話のなかで、食事のことになった。「夜中に腹が減ったら、どうするん?」と訊いた。大分市の繁華街の近くに住んでいた彼が答えたのが「ご飯を食べる」。「自分で炊くん?」「いえ、そのまま食べます」「そのままって?」「生のまま」「・・・」

 「ご飯にかけるものは何か」という調査でトップは生卵だった。ぼくも大好きで、よく食べる。大学の時に、ご飯の上に卵を割って、醤油をかけ、それからご飯と混ぜて食べるのを見たときは衝撃だった。ちょっと深い皿に卵を割って、混ぜて、醤油を入れてまた混ぜて、それをご飯にかけるという方法だったからだ。最近は、大学方式を取り入れている。自分で使った食器は自分で洗うというのが我が家流なので、一つ手間が省ける。「つけめん」の店ができて、先週、娘たちの母親と一緒に行った。そこに卵かけご飯のメニューがある。それを食べに行きたい。

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ボルヘス『詩という仕事について』を読む

 小学校5年のとき、ぼくの詩(と呼べるものかどうかはわからない)が合同新聞に掲載された。誰にでもちょっとだけ誇らしい時が人生のいつかにはあるものだが、ぼくにとってはそれかもしれない。そのせいか、中学のときはよく詩集を読んだし、以後も思い出したように詩集を買ったものだ。 

 詩は、しかし、理解できない。それを勇気づける言葉を碩学ボルヘスからもらった。今、ページをめくりながらその箇所を探しているのだが、わからない。ともかくボルヘスは詩を理解する必要はない。その(言語表現の)美しさを感じ取ることが大切なのだ、と、言っていたのだ。

 子どものころに美しい日本語表現に触れることは大切だ、そういう発言の意味がよくわかる、ような・・・。

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蓮見正幸『灼けた夏』を読む

 ずいぶん前に毒入りカレー事件が起きた。それが下敷きになっている。かなり生々しい形で蘇る。ただ、作者は周囲の人たちに厳しく迫っている。

 現在政治への不信が高まっている。というより、不信のみ、か。加えて、マスコミへの不信もかなりある。たとえば、福島原発の深刻な問題に、空撮映像と東電の発表したものだけを使うだけで、自分で中にはいり、独自の取材で正確な状況を伝える姿勢が見られない。そして朝の番組ではどーでもいいようなことをノーテンキに並べ立てたりする。そういうマスコミ(作品ではテレビ)への批判もある。ぼくは昔テレビの仕事をしていた時期もあり、制作現場でたくさんのバカを見たことがあるので、同じようにバカがいるのだろうと思う。

 宮崎ナントカの結婚相手が韓国のドラマが多過ぎるとブログで書いたとかナントカ。確かに、夕方BSの番組表では何と多いことか。自局で制作するよりは安上がりなのかもしれない。でも、無名でも能力の高い俳優は沢山いる。話題の人を使うのではなく、自分たちで話題の人を作る姿勢がない。テレビって結構落ち目なのに、結構強気ってのがおかしくって仕方ない。

 蓮見は現実をデーンと据えて周囲の人々とテレビのの空虚なバカバカしさを描く。でも、みんな、程度の差こそあれ、わかってると思うんだけれど。

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マイ・ソング ~熊本の歌~

 BSフジで熊本の風景を流している。熊本城、本妙寺、水前寺・・・。熊本最後の年に熊本のあっちこっちの名所を織り込んだ歌を作ったので、それを。

 いつもは人でいっぱいだけど / 雨降り水曜二人だけ / 池の鯉がいきいきしてる / 手を叩いて寄ってきたら / もう少し歩いてくれるかい水前寺

 多くの人が願いを胸に / 見上げ、見上げて登ったよ / 石段の割れ目の小さな花に / いつまで見とれているんだい / だけどそんな君が大好きさ本妙寺

 青葉若葉が光をはじく / あそこの木陰で休もうか / 瞳を閉じて耳を澄ませば / 時の流れが聞こえるよ / はじめて君に好きと言ったんだ熊本城

 玉の汗疹風に乾き / 君のおむすび美味かった / 町を見下ろしつま先立てば / 鳥のように飛べるかも / 広い世界をぼくは知ったんだ金峰山

 緑の絨毯果てなく広く / 赤牛たちが遊んでる / 荒れた岩肌触ってごらん / これが生きてる地球だ / 阿蘇の噴火のように強く愛したい草千里

 センダイさんという、日系のブラジルからの留学生が帰る時に作ったので、名所を盛り込んだのだった、と、思う。短い時間でできたと記憶する。あの頃はタイトルめいたものをもらえば、即興で歌を作っていたのだ。もちろん、名曲には程遠いけれど。今はできない。今は作ろうとするけれど、昔は言葉も曲も生まれていたのだ。数年前、ふと最初の部分が生まれたが、それ以降ができないままの歌がある。

 脚本も同じかも。台詞を強引に作ろうとしている。昔は生まれてくる台詞を記録していただけなのに。ミューゼよ、我に語らせ給え!

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中津留章仁『黄色い叫び』を読む

 日曜日、生徒がボランティアとして参加する「ちびっこフェスティバル』を見に行った。開始は10時だろうから、その前の準備の様子も見ておこうと早めに行った。数週間前から準備に彼らは学校帰りに寄って、下ごしらえをしていたから、のべ参加人数は100人をこすと思う。

 開会式で幻滅した。社会福祉協議会の副会長と市の保健部長が挨拶をしたが、目の前には100人くらいのちびっこがいるのに、その挨拶は子ども無視の内容。コミュニケーション能力の欠如は、オトナのほうが申告ではないか。保護者じゃなく、子どもに話しかけないと。それすら理解できてない人間が市の要職にあることに怒りすら覚えた。

 さらに追い打ちをかけたのが、ステージから彼らが子どもにお菓子を投げるのだ。「子どもに福祉を体験、理解してもらう」とか言いながら、極めてお粗末な開会式。

 さて、中津留作品。舞台は台風で避難している公民館。一階には避難している人たち、しかし舞台は二階で、青年団が祭りの話し合いをしている。そこで、前回の台風の被害と復興が問題になり、それについてのアーダ、コーダが展開する。福島原発もちょっと出てくる。今度の震災と原発問題に一番早く対応した(?)作品かもしれない。ただ、こういう「議論劇」は終わらせ方が難しい。そういう点で、やはりそうきたかという意味で、終わり方に頗る不満が残る。

 

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場所が呼ぶ個性

 最近はあまり見かけなくなったが、以前は数人の若い男がコンビニの前にウンコ座りしていた。ぼくの知り合いは店に入ろうとしても入れなかったので蹴り上げたという。そういう強い姿勢に出ると彼らは「何で蹴るんですか」と丁寧語を使うらしい。

 ぼくが勤務する学校では、似た顔立ちと体型を多く見る。それはまだ、個人的に知っていないから、大勢を十把一絡げにしているのかもしれない。その顔立ちと体型を説明する文章力はぼくにはない。

 昨日の福岡のコンサートでも、似た顔立ちと体型があったように思う。グッズ販売は人数を制限して入れていたので、買い終えた人がグッズを入れた袋を下げて通り過ぎていった。また、開場前の時も。それが似ていた。これについては、書くと五階を招くかもしれないので、やめる。

 類は友を呼ぶ。それはある程度真実で、その「類」は同じような姿形になっていくのではないだろうか。ぼくが教師になった時、歓迎遠足にカメラを持っていって、レンズを向けるとリーゼントの男子生徒はウンコ座りに斜に構えた視線でこっちを見たものだった。

 同じになろうとする連中に支えられたものは長続きしないのではないか。多様を受け入れることができるかどうかがポイントではないか。

 あッ、うちの娘は「同じ姿形」とは違います。これも親バカ、か?

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59周目の初日

 太陽を58周して、59しゅう目に入った。その初日は福岡でのコンサートへの娘の送迎。朝の9時半に出て、ちょうど15時間後に帰着。その間、くるまの中と昼食の8時間ほど娘と一緒で、あとはひたすら待つ時間だった。

 朝早く出たのは13時からグッズの販売があるからで、その20分前に会場に到着したら、もう長打の列。「〇×の時より多い」と娘はつぶやき、信号停止したくるまからサッと降りて、列の後尾に走って行った。時間になっても、おそらく混乱と万引きを避けるためか、少しずつ入場。で、1時間ちょっと並んで、実働は10分ほど。

 それから天神に行き、彼女がアチコチ動き回る間、天神コアの屋上でタバコを吸い、待つ。

 開場の5時半に会場に戻るとさっきより長打の列。で、出て来たのは9時25分。出てきた時の顔と声が弾んでいたので、バカ父親はそれだけで意義深さを思い、嬉しくなったのだった。

 ひたすら待つ時間、多くの人をを観察して楽しんだ。都会の人間は驚くほど無防備で、だからこそ楽しめた。加えて、海風の心地よさもも堪能したし、本も読めた。電車での付き添いだったら、ただただビールを煽るだけで、本も海風も都会人の生態も楽しめなかっただろう。高速料金が高くなったことはやはりイタイ。

 おそらく、福岡は世界屈指の元気と充実の街ではなかろうか。

 

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村田喜代子『縦横無尽の文章レッスン』を読む

 小学生の作文から童話、学者の文章等、まさに縦横無尽の文章を使いながら書くことについて語っている。書き方を語ると同時に作家としての視点を明確に浮かび上がらせている。

 書かないと、書き上がらない。書けば、書き上がる。その一節を、夜中に目覚めて、テレビをつけたら、NHKのブックレビューをやっていて、ぼんやりした頭にその一節が残った。書店の人が職員室にきた時に、誰が書いたか思い出せないが、ナントカカントカ文章の書き方という本があるらしいのでそれを、と注文したら、見事にそれを持ってきてくれた。すごい!

 面白くて面白くて一気に読んだ。これは手元に残しておきたい。そういう一冊だ。

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慌ただしい日々

 久しぶりに観る星空が鮮やかだったが、すぐに雲で覆われた。風の強い一日で、ホント今度の台風は長い。

 中学校のミニクラス会の翌日、叔父の具合が良くないという連絡があり、母を連れて行く前に、吹奏楽の練習をちょっとだけ観に行った。若い人たちの成長に感心した。若さとは成長する力なのだろう。そして病院に行くと、今亡くなった、と。

 立て続け、だ。

 時代も身辺もうねりながら変化しているように思える。それはぼくにも変化を求めているのではないか。そういう風に考えることにしよう。腰がかなり悪化したが、これは動くな、考えろ、書けということなのだろう。書き続けないと、書き終わらない。

 

 

 

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家事に専念する

 朝、いつものように犬と歩く。彼女はこの10月の終わりで12才になる。田んぼの道に入ると放すが、最近は以前のように走り回ることがない。オバサンになったのだ。ところが、側溝にタヌキがいて、彼らとは果敢にバトルを挑む。今日も田んぼの細い水路を走り、カラスを追いかけた。瞬間に見せるオバサンの瞬発力がオジサンは羨ましい。

 散歩に行く前に回していた洗濯機の中身を乾す。今日はみんなほぼ一日いないので、加えて夕方は中学の同級生の小さい集まりがあるので、それまでにちょっとだけ家事をしようと、子どものシーツ類を出させ、洗う。ぼくは洗濯は好きで、今まで洗濯に費やした時間は芝居よりも多いんじゃないかと思う。ぼくは洗と脱水の二つがある昔の洗濯機が一番好きだナ。

 今日は母親が遅いし、加えてぼくは6時半に集まりがあるので、例によってハヤシライスをつくることにし、買出しに行く。今までと違うルーを買ってみる。作るときはビールを飲みながらにしたいけれど、時間が早く、もしかして動くかも、と、控える。丁寧に灰汁をとり、仕上げた。灰汁をとりながら、ぼくはこういう仕事が一番向いているのではないかと思った。

 家の周囲の草を取り、洗濯物を裏返したりして、途中浅見光彦シリーズを観て、洗濯物を取り入れる。

 何か食事を作るとすれば、ぼくはハヤシライス。毎日作る訳ではないから、できる。毎日食事の準備をする人に敬意を評します。

 

 

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『My Fair Lady』を観る

 落ちこぼれだった高校2年の秋、フラリと入った映画館で観て、世の中にこんなに楽しいものがあるのか、と、思った。ぼくの人生を変えた映画。

 スクリーン・イングリッシュで扱ってみようと、あちこちに電話をかけ、DVDを買った。ラッキーだったことは、TSUTAYAではセール中とかで2600円が1000円! 今まで店員の応対にカチンとくることが多かったが、電話に出た店員も、店で応対してくれた店員も頗るよかった。ありがとう。おかげで気持ちよく観ることができた。

 良く出来た映画だと思う。お金をかけているもんな。そして何より、歌曲の処理方法の上手なこと。ただ、歌になると別音声みたいに聞こえてならない。スタジオでとったものを流してクチパクみたいな撮り方をしたのだろうが、今の技術でどうにかならなかったのかと首をかしげてしまう。

 原作はショーの『ピグマリオン』。それではイライザはフレディと結婚するが、ミュージカルではヒギンズと結婚するんだろうナと匂わせて終わる。ところがところが、ショーはその二つの結末を用意していて、ショーはフレディを選び、A・J・ラーナーはヒギンズを選んだということらしい。

 オードリーの歌は別人が歌っていること、ヒギンズ役に打診された大物が舞台でやっているレックス・ハリスンがやるべきだと断ったこと等々々いろんな舞台裏の話も面白い。

 日本では生まれない作品。今観ても、あの少年の頃のように心踊る作品なのだ。

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河合隼雄×鷲田清一『臨床とことば』を読む

 総合学科の豊南は1年から3年まで毎週2時間その時間がある。その時間って、訳わかんないかも。とにかく、ぼくは3年生の時間を担当していて、それが火曜日なんだけれど、10人の生徒はそれぞれ図書館やコンピュータ室に行き、独自のテーマについて調べる。指定された教室には残って本を黙々と読んでいる生徒もいるので、ぼくもそこで本を読む。ただ、暑い。豊南には教室にエアコンがないのだ。暑いと能率は落ちる。メソポタミアやエジプトに文明が栄えたのは本当だろうか。暑かろうに。

 河合隼雄は対談の名手。10年以上前、文芸誌で村上春樹との対談が面白く、以来ファンだ。全集も買ったが、やはり対談のほうが面白い。

 鷲田清一は好きな哲学者。臨床哲学を唱える彼の姿勢は鮮やかで、わかりやすい。

 臨床心理士と臨床哲学者の対談は、ぼくたちのありふれた日常を深読みさせてくれる。

 介護、看護、大人や子どものあれこれの問題に直面している人にはいい一冊だと思う。「個から普遍へ」は学問や筆洗を考え直すにはいい機会となるだろう。

 暑さが遠のいたら、この2時間は結構充実するかも。夏の始まりに痛感する。

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腰痛と付き合う毎日

 いやは、また、腰痛が出ました。舞鶴でのあの日ガツンときて3日寝たきりになって以来、それは時々、忘れたころにやってくる。

 金曜日に生徒が募金をするというので、写真を撮りに行った。1時間半、立っていたのがきつかった。情けない。でも、生徒は声を張り上げて募金をした。ホント、彼らは立派だと思う。前回、ためらったけれど、その時よりは暑いから安いアイスをあげたけれど、差し入れもあった。それが、みてて嬉しかった。何よりの評価ではあるまいか。「先生もどうぞ」とか言われたけれど、とんでもない。でも複数の差し入れで、お茶をもらいました。冷たくて五臓六腑にしみわたった。

 五臓六腑って、若者にはわからないかも。モースト・ジジイ・イン・豊南だ、ナ。

 そういえばあるクラスで「先生のこと〇〇先生がイーダのジジイって言ってました」というタレコミがあり、思わず拍手したくなった。若い奴ならすこぶるOKだけれど、どうもそれほど若くない奴みたいで、ガッカリ。でも、若者は上の世代を超える志がいつもいる。超えられるものなら超えてみやがれ、と、ジジイは密かに勉強する。

 腰が悪くても、犬の散歩はどうにかしている。5時過ぎは明るくて、朝の光で表情を変えていく空。「夏の雲になった」とか、高校の卒業アルバムの寄せ書きに書いた同級生の女の子を思い出した。あのかよわい高校生も、今はオバサンなのだ。

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つかこうへい『売春捜査官~女子アナ残酷物語』を読む

 みんな出払って、犬とだけの一日。テレビをつけたら、BSで「つかこうへい よみがえる伝説の舞台」をやっていて、面白く観た。その途中、書店が本を届けてくれる声だが、外せないのでテレビを観る。

 終わって、届いたのが「悲劇喜劇」で、掲載されているのがつかの脚本。つかの『熱海』は時代を吸い込みながら、同時に彼自身の変化もあり、変わっていった。

 NHKの映像がダブリながら、今までにない気持ちで、つかの脚本を読んだ。切ない。『熱海殺人事件』ってのは、脚本ではなく、設定で、何でも吸収してしまう装置だったのかもしれない。

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この夏おススメの映画30

『エデンの東』

『ショーシャンクの空に』

『スティング』

『ラ・マンチャの男』

『十二人の怒れる男』

『素晴らしき哉、人生』

『地上より永遠に』

『80日間世界一周』

『愛は静けさの中に』

 

『フィールド・オブ・ドリームス』

『フォレスト・ガンプ』

『ギルバート・グレープ』

『お熱いのがお好き』

『ローマの休日』

『カサブランカ』

『キャスト・アウエイ』

『ウエストサイド物語』

『大脱走』

『タワーリング・インフェルノ』

 

『卒業』

『エリン・ブロコビッチ』

『十戒』

『プリティ・ウーマン」』

『アメリカの森』

『街の灯』

『天地創造』

『エアーフォースワン』

『鳥』

『コレクター』

以上の30本。その30本を生徒に簡単に説明し、宿題はこの中から2本を観て、中学生にオススメする文を書くこととした。中学生が観たくなる文章なら合格。

 どうも彼らは観るということができない。観るというのは作品に挑む、つまり考えながら観ることこそ肝心と思う。それは受信装置の精度を高めていくことになり、ひいては人生を面白くする。

 なかにはレンタル店にはないものもあるかも、とは、思う。ぼくももう一度観直そうと思う。一本どうしても入れたいもの、これこそスクリーンイングリッシュの授業にはふさわしいと思うものは、入れていない。今度授業で扱うからだ。この30本をすたーとにして、入れ替えていこうかナ、と思う。

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生徒に薦める映画30本を考える

 豊南孝行2年生の「スクリーン・イングリッシュ」を担当していることは前にも書いた。それではて、夏休みの宿題を何にしようかと考え、まッ、映画を字幕で観ることにしようか、と。

 ところが、なんでもいいからとすると、ハリー・ポッターのシリーズの中からとかアクションものとか、偏るかもしれない。それは避けたい。で、選択肢をつくることにした。「夏休みのオススメ映画30」。

 ところがところが、30本選ぶとなると困難極まりない。最初の10本は思い浮かぶものの、「あれ、あの映画のタイトル何だっけ」となり、モヤモヤから引っ張り出せない。昔は映画ノートをつけていたのだが、若い頃よりも今こそ必要かもしれない。

 で、どうにか選んだ。多分生徒が観ていないものがいい思い、彼らの親が生まれる前の作品まである。30に届くころには、あれこれが記憶の彼方から押し寄せ、「入れろよ」と主張する。リストをみて、面白い組み合わせ、かも、と。明日の授業で発表し、その反応と共にここに書きます。

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ボランティアの依頼の仕方

 豊南高校のボランティア精神の定着度は半端ではない。生徒が自分で計画を立て、自分で動くのだ。ある教師によると、昨年の実績は400件前後だったとか。ここまでくると、それでいいのか、と、勘ぐってしまう。

 実際、ボランティア依頼の数はこの3ヶ月で50を超えている。半分は募金。募金に関しては、東北の支援募金以外は二つに絞った。

 昨年までの担当者がかなり熱心に活動していたようで、電話での依頼もあり、文書で依頼してくださいと言うと、「昨年までは電話で例年通りお願いしますでよかったんですが」と言う。しかし、同じ内容だろうと文書依頼の上考えるというのがぼくの考え。

 今日、佐伯の児童館での交流会の「ボランティア」に生徒が4人行くので、その活動の様子の写真を撮りに出かけた。そこには様々な組織の人がいて、それぞれの活動を語った。「夏休みには豊南高校の生徒の皆さんにお願いしたい」という発言もあり、生徒が表に出ればいいと思ったが、話を振られたので、「依頼する側は一つでも、こちらからすれば多くの中の一つ。その全部に応じることはできないので理解してください」とだけ言った。

 それにしても、そのボランティアのために生徒の一人は自転車で1時間ちょっとの距離をやってくる。そのへんを考える依頼者はいないと思う。

 偏屈とか奇人と言われようが、昨年までとは違う取り組みをしたいと思う。

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正しいハヤシライスの作り方

 今年の雨は、朝の通勤・通学のころに降り出す傾向が強い。子ども達はカッパを着て通学する。最近のは通気性もよくなっているようだが、ぼく達の頃は(昔すぎる!)とにかく遮断することだけが主眼だったのか、暑くて蒸れていやだったから、子どもが少しの雨ならカッパを着ないでいく。気持ちはわかる。ただ、もう少し前か後に降り出すことはできないのか雨よ。お前を呪いたくなるぞ。

 さて、今日は振替休暇。とはいっても、朝は職場に行き、試験の手配やボランティアの連絡、商業英検の振込等々をしたのだけれど。

 飼っていた白メダカが一尾になり、寂しいだろうと思い、白と赤とナントカを5尾ずつ買った。濾過装置も買い、結構みんな楽しそうに泳いでいる。変なところに連れてこられたことでパニックになっているかもしれないけれど、わがままな人間はすぐに打ち消す。

 これは水をくんでおいたほうがいいと思い、弥生の道の駅に行く。いつもの戸屋平湧水は遠すぎる気持ちがした。味っ子の味噌を買うついでに玉ねぎを買った。よし、ハヤシライスを作ろう。スーパーでルーと肉を買い、帰ると開始。

 時間はある。だから焦らない。焦らずに作るから、ビールを飲みながら作業をする。これが正しい作り方。「玉ねぎの中が3個」と言われても、中がどれくらいの大きさかわからない。「玉ねぎがシンナリしたら」と言われても、シンナリがどういう状態かわからない。だから、全部テキトー。昼間っからビールを飲む免罪符、みたいなものか。それでいいのだ。

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