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中村明『語感トレーニング』を読む

 面白い。最初に簡単なテストがあって、その周辺の日本語について解説する構成が、読みやすくしている。初めて知ることもあるし、読んでいくにつれて日本語の広さと深さを知っていく。岩波新書。長年の積み重ねの幅広い知識をわかり易く披露してくれたことに感謝。日本人必読ではないか。

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24時間テレビの?

 どこの高校にも24時間テレビの募金ボランティアの依頼がくる。テレビで知らされている活動だから生徒に募集をかけると集まってくれる。

 ところが、依頼の窓口が一つではない。テレビ局だったり、新聞販売店だったり、その他。中には電話でくる。昨年まではそれでOKだったらしいが、今年は文書で依頼してきたものを考えることにした。「何でや!」という声もあるが、昨年までが異常なのだ。あんたらが間違っている。きちんと筋を通しなさい。

 で、黄色いTシャツで募金活動をしている生徒の写真を撮りに行った。同じ黄色いTシャツを着たオジサンが募金活動をしている近くでタバコを吸っていた。もっと遠くでとかいう配慮ができないのか。来年の依頼されても、これはイカン。あんたらがやるのが基本。それを高校生に声を張り上げさせて。高校生ボランティアを道具に考えないで欲しい。

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トム・ストッパード『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』を読む

 シェイクスピアの作品にはモトネタがあるものが多い。そのネタをシェイクスピアがどう料理するか、もしかしたら、当時の観客は「料理」を楽しみにしていたのかもしれない。たとえば、蜷川幸雄がシェイクスピア作品をどう料理するかが楽しみで劇場に行くように。

 ヤン・コットによると『ハムレット』の研究論文の目録だけで、ワルシャワの電話帳より厚いと書いた。ワルシャワの電話帳の厚さは知らない。でも、毎年増え続けるだろうから(英文学科なのに会話の授業が多い、と、後輩の大学教師は電話でボヤいていた。英文学を勉強しようという高校生はいるのだろうか?)、かなり厚くなっているだろう。

 それくらい論文が多いのは様々な謎があるからだ。たとえば、何故ハムレットはすぐに父親の復讐をしないのか。それだけでも汗牛充棟の論文。ちょっとだけしか出ないフォーティンブラスもあれこれ言われるようになった(横内謙介の『フォ-ティンブラス』は面白かったが、ビデオを喪失して久しい)。登場人物の中で議論の対象にならなかったのがローゼンクランツとギルデンスターン。

 トム・ストッパードはその二人を主人公に芝居を書いた。最初のシーンの、コインの裏表を当てるゲームは秀逸だ。観客はシェイクスピア作品で行く末を知っているんだから。

 トム・ストッパードは演劇史に残る作家。でも、シェイクスピアの呪縛から逃れられていないように思う。難しいけれど。

 

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平田オリザ『演技と演出』を読む

 平田オリザは全国大会の時。、居酒屋で顧問グループと一緒に飲んだことがある。穏やかでニコニコとして、すごくいい印象を受けた。彼の戯曲は好きではないが、冷静な分析と的確な言葉は説得力がある。彼が高校演劇の審査員にあちこちで求められる理由がよくわかる。九州大会の審査員にも何度も候補に上がったが、その都度ぼくは反対した。高校演劇が平田一色に染まるのは良くないように思えたからだ。そんなに簡単に染まる訳ないのに。

 『演技と演出』は演劇を始めてしばらく経った人には、疑問を解決してくれると思う。わかり易いのだ。多くを学び、確かめることができた。『ガラスの仮面』について平田の苦笑の否定は、初めて同じ考えに触れたので嬉しくもあった。

 時には、基本的なところを確かめる意味でも、演劇についての本を読み、立ち止まっては考えるのもいい。

 

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夏休み前半終わる

 夏季休暇5日のうち3日を今週の頭に取り、今日で夏休み前半が終わった。ひたすらパソコンに向かって脚本を書いた。批評しながら書くのだけれど、批評に対抗できるだけの筆力がないのがじれったく、もどかしく、情けない。ただ、これを乗り切らなくてはいけないので、ヤケを起こさず、うだる部屋の中で、コツコツと取り組んだ。

 残り2日は来週の木と金。そこで決着をつけたいと考えているが、はて。

 今回当たり前を痛感した。とにかく書くことなのだ。書いても消すことが多いが、その中で確かになるものもあれば、生まれてくるものもある。頭の中で考えるだけではなく、書いてみないとわからないことも多いのだな。恋の告白と同じようなものかもしれない。恋は思うだけではなく、告白しなければ次はないのだ。ウン。恋、恋ねえ、土星より遠い。

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高橋・内田選『嘘みたいな本当の話』を読む

 先祖には申し訳ないが、迎えて送るという作業をしなかった。墓が急な坂道の上にあり、腰をいたわったから。

 今年は初盆が多く、回った。ところが49日を終えていないので、初盆は来年とかいうケースもあった。こういうことには全く無知なんです。

 ある家では戒名に払った金額を知らされ愕然とした。宗教が金儲けのシステムになっている。バカげている。宗教が、金で差別をしている。このことに恥じることもなく営業している寺は悪質だ。

 寺が今の時代に適応できるか、それだけのことだ。

 できていない。寺は時代と人と生きていかないといけないのに、それをしていない。祖母の49日に来た僧侶は「今、〇〇で安寧に過ごしています」と言った。どうやって調べた、という言葉をぼくは呑み込んだ。坊主はいい加減すぎる。だから信用できない。

 高橋と内田が選んだ投稿を本にした。それは同時に選んだ二人のへの批評になる。この二人、本気で選んでいるのか。騙された。高橋と内田は信用できない。

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三浦しをん『ふむふむ おしえてお仕事!』を読む

 NHKのBS1で「世界最強の男」というのをやっている。40トンの輸送機を25メートル引っ張たり、自動車を持って走ったり、と、とにかく怪力比べをする。人間にはこんなに力があるのかと驚嘆する。優勝賞金は350万円らしい。ただ、その金額では表すことができないものを彼らは手に入れる。「あいつはすげえ力持ちだ」という一部の人の噂ではなく、世界最強の男だ!と日本の片田舎の腰痛もちのひ弱な初老からも尊敬と驚嘆で知られることになる。

 多くの人に知られる幸せもあろうし、知られたための不幸もあろう。人の幸せはどこにあるのか。ぼくなりにはボンヤリとした確信はあるのだけれど、ぼくが接する高校生にそれを伝えるのは難しい。

 三浦しをんは『神去りなあなあ日常』で出会い、楽しませてもらった。ところが、何故か、三浦を男と思い込んでいた。みうらじゅんとかいう作家とダブったのかもしれない。今回、女性ということを知り、面白い女性、と、位置づけることができた。

 靴職人、ビール職人、染色家、活版技師、女流義太夫三味線、漫画アシスタント、フラワーデザイナー、コーディネーター、動物園飼育係、大学研究員、フィギュア企画開発、現場監督、ウエイトリフティング選手、お土産屋、編集者、以上15の職業に携わる女性にインタビューしている。ぼくの知らない女性たちの何と魅力的なことか。

 豊南高校図書館に寄付しました。

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庄司陽子『生徒諸君!~教師編~』を読む

 疲れた。25巻は読み甲斐がある。

 大学の時、高校生姉妹が下宿してきた。そのどっちだったかは忘れたが、ある日庄司陽子の『ヘイ!キャシー』を薦められ、読んだ。女子高校生から少女漫画を薦められて読む、そこがぼくのいいところかもしれない。とにかく、それが面白くて、感動に泣いたりした。

 それから10年。高校教師になって、授業中に庄司作品をふと思い出して、話した。次の日、ある女生徒が「これを読んでみてください」と袋を渡された。中をみると、庄司陽子『生徒諸君!』。職員室で読んで、泣いた。

 それから、20年以上。『生徒諸君!』の教師編がテレビドラマになるというので、『生徒諸君!』と教師編のほうは出ているだけ書店に持ってきてもらった。生徒編は子どもに渡し、ドラマは見ず、教師編は全巻揃ってから一気に読むとした。

 とっくに全巻揃ってはいたのだが、日々の雑事に追われ、書棚に並んだままだった(芝居の本が横積みなのに!)。そして、この夏。

 やっぱ、泣いた。生徒編のときは全然気にならなかったが、今回はちょっと気が引けた。休憩室の長ソファに横になり(このほうが腰にいい)、読んだ。教師編は庄司にとって必然だったように思う。

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松岡和子『深読みシェイクスピア』を読む

 職員室の椅子の具合が悪く、差し迫った仕事がない限り我慢して座ろうとは思わない。豊南の職員室の環境は劣悪に近い。津久見のときは、椅子の背に体をあずけて眠ることもできたのだが・・・。

 松たか子、砂糖藍子、蒼井優。さて、この3人に共通することは何でしょうか。

 3人とも松岡和子訳のシェイクスピア劇似に出演したこと。松は『ハムレット』のオフェーリア、佐藤は『ロミオとジュリエット』のジュリエット、そして蒼井は『オセロ』のデズデモーナ。加えて、松岡の翻訳に影響を与えたこと。その内容が実に面白い。特に蒼井の松尾あkへの疑問は鋭く、訂正した後の彼女の納得のエピソードには感心した。

 花火大会の日の募金の写真をコピーする必要があって、帰宅したついでに部屋から数刷本を学校に持っていった。読書の時間は結構あるので、ひたすら読んだ。もう二度と読むことはない本は学校の図書館に寄付。そうでない本は持ち帰る方法をとっている。松岡のこの本は持って帰った。

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ウィリー・ラッセル『シャーリー・ヴァレンタイン』を読む

 雨で花火大会が8日に延期になり、ライオンズクラブ会長の職場でプラカードを作り、6時半から1時間3箇所に分かれ、生徒は声を出して募金を呼びかけた。

 今日から一拍で宇目キャンプ場で児童館のキャンプがあり、生徒が3名世話役のボランティアで参加するので、写真の記録をとりに様子見に出かけた。キャンプ場に行く前に中岳キャンプ場で川遊びがあり、そこでかなり強烈な日差しに打たれた。昼食で抜けて、その後宇目キャンプ場。恒例のバーベキューで、その準備の様子を見た。食べ始める前に帰宅。将来結婚して子どもとキャンプに行くときには役立つ経験になるだろうナ。子どもは世話がかかるときが楽しいのだ。募金が終わって、腰が悲鳴をあげ始めたので、花火会場に向かう流れに逆らって、帰った。二人の娘はそれぞれの友達と楽しんでいるはずだ。

 さて、ラッセルの作品は子育てを終え、息子と娘は危ういながら自立した42才の主婦の一人芝居。20年くらい前に買って、読んだ時に比べ、よくわかるような気がしたのは歳のせいか。だから以前より面白く感じた。

 この作品を上演する時、観客を分けたら面白い。既婚20年の男、既婚20年の女、既婚20年の夫婦、未婚者、そういう風に分けたら、客席の密度にかなり差が出るように思う。だからどうという訳ではないけれど。

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リチャード・ブルーム『愉快な仲間またの名浮かれ乞食』を読む

 中学校合同のサマーコンサートに行った。表現の中でも音楽は軽く国境を超えるからいいなァと思った。先月コンクールを終えたばかりだから、その時の演目を演奏するのは仕方ないものの、孫のステージを観に(聴きに)来たじいちゃん、ばあちゃんのことを考えると、そういう人たちを意識した選曲が望ましいような気もする。鶴谷の演歌メドレーみたいなの。

 会場での待ち時間を利用して、エリザベス朝喜劇10選第Ⅱ期10巻目のブルーム作品を読んだ。面白い。面白いのだけれど、作品との接点が全く見いだせない。人物へ感情が寄り添うことがない。くら昔の作品でも何らかの歩み寄りがあるのに、それがない。珍しい。ハチャメチャな作品世界なのに、ブルームという劇作家の生真面目さが災いしているのではないかと思った。もちろん、初めて読む作家であり、彼が生真面目な人間かどうかはわからないのだけれど。

 初めてで何も知らないから巻末の解説を読む。ところが、学者の解説は論文調で、読む気をなくす。彼らは学者仲間向けに出版しているのではないか。だとしたら、大間違い。芝居の脚本である限りは、九州片田舎のド素人が読んでもフムフムという解説にして欲しい。そうすれば、読者が増え、2500円(税別)より安くなるのではないか。それに学者は原書を読めばいいのだし、ウン。

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佐伯豊南高校レオクラブ

 手塚治虫の『ジャングル大帝』でレオという言葉を知ったように思う。ライオンの子ども。だから、レオクラブはライオンズクラブの子ども版。

 佐伯豊南高校のボランティアへの取り組みはかなりのもので、今年顧問になったぼくは生徒の動きに驚嘆と尊敬を覚えている。だって、指示をしなくても動くのだから。昨日もある団体の人が来校して、次の企画へのボランティア依頼の文書を渡されたが、先月の企画に参加した生徒に声をかけていて、3名がすでに決まっていた。依頼が報告だった。

 今日も電話があり、日曜からのある企画への依頼。ただ、明日から5日間、3件にのべ30人を超える生徒が参加することになっている。だから丁重に断ったのだけれど、金曜日に明後日の依頼というのはあんまりではないか。

 こういう「あんまり」が結構多い。無料での労力提供というムシのいいものが多い。学校はあくまで経験の場所であり、ボランティアで参加することでその経験が生徒にプラスになる場所になる内容で生徒に「来たけど、どうする?」と提示するようにしている。どんなものであれ、その経験がマイナスになることはないだろうけれど、あまりにに依頼が多いのが実情で、とても対応できないんだな。

 今、雨が降っている。明日は番匠川の花火大会。アイオンずクラブと一緒に募金活動をする。もし、会場に行く途中見かけたら、サイフのなかの一円玉でもいいから、募金してください。ケーブルテレビ前とジョイフル前でやる予定です。

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フランク・マクギネス『有為転変の物語』

 英文学を専攻していたわりには歴史に疎く(不勉強だったと、はっきり言え!)、アイルランドとイングランドの確執というか、そういうものがわからないので、この作品の根底にあるものを読み取ることはできない。作品自体は面白くない。なのに、クソ暑い中、最後まで読めたのは登場人物の二人、エドマンドとウイリアム。

 エドマンドは詩人エドマンド・スペンサーで、ウイリアムはシェイクスピア。その二人が登場するし、二人が話すシーンがあるのだ。

 スペンサーの『妖精の女王』は恩師が翻訳したので、講義を受けたが、全く興味がなかった。3年の時に12行の詩200程度の試験に山をかけたらドンピシャ。翌年はさらに絞り込んだら見事にハズレ、呼び出された。「卒業できんじゃないか」のお叱りに「院でまじめにやります」と答え、パスした。

 シェイクスピアは2作品を翻案脚色して上演したし、3作品の論文も書いた。

 そういう訳で、それだけの理由で読んだのだった。そういう読み方もあるんだ。ウン。

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雨が空からふれば

 雨が空からふれば、思い出は地面に染み込む。別役実は『スパイ物語』で書いた。小室等が曲をつけ、拓郎も歌い「傑作」と語った。意味よりも味わいが勝る歌になっている。

 今日、夕方雨が降った。

 雨が空からふれば、にぼくなら、あァ植木に水をやらなくていいなァと思う。もちろん、空からだろうと、大地からだろうと。

 雨が空からふれば。当たり前のことを当たり前にいうことで生まれてくる世界がある。

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フランク。マクギネス『私を見守ってくれる人』を読む

 久しぶりに面白い戯曲に出会った。

 場所は監房。アイルランド人とアメリカ人とイギリス人がレバノンで捕らえられ、鎖につながれている。何故捕まったのかわ明かされない。途中でどうやらアメリカ人が処刑されたようで、二人になり、最後はアメリカ人が釈放され、イギリス人が一人残されて、終わる。

 場所が変わらない設定は好きだ。アイルランド、イギリス、アメリカという取合せも秀逸だと思う。そして何より9年前に書いた『S・O・S』を思い出した。そして読み終えるとノートをだし、オトナ版のためのメモをとっていた。

 オトナ版は今までに何度も挑戦しながら、果たせないでいた。いくつもアイデアはありながら、その場所のつじつま合せで破綻していたのだ。しかし、アイルランドの劇作家マクギネスの作品に触れて、問題を一つクリアできたように思う。そして画期的(自分で言うな!)な舞台装置。いくつかのセリフも生まれた。うちの仲間での上演は難しいかもしれないが、そんなことを考えるから書けなくなったことも多いので、今回はそういうことを考えずにとにかく書いてみようと思う。こういう作品との出会いのためには多くの作品に触れることが必要なのだなァ。ウン。

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