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何てこった!

 いつか故郷佐伯を舞台にした芝居を書きたいと思っていた。佐伯を拠点にする芝居仲間であるから、仲間も同意。『愛しい隣人』もまだなのに、とにかく、とりあえず佐伯の勉強を、と、早退して佐伯図書館に行った。係りの人に本を借りたい旨伝え、免許証を出した。

 その時目指す方向を見たらシャッターが降りている。何故?

 新装オープンのために2月いっぱいシャットアウト。二階に「佐伯市史」がありますというので、カード作成の間に上がる。でも、それには「禁帯出」の文字。

 こういうことがある。でも、佐伯の勉強ができないのは、困る。頭の中では、3部構成にし、それぞれもほぼ方向ができているのに。こういうもんだ、ナ、人生は。

 この芝居は9人の役者を想定している。人数が足りない。でも、佐伯には潜在している演劇志向の人がいると確信しているから、声をかけて集める。佐伯には魅力的な人が多いから、そういう人に脚本を差し出し、地面につくまで首を垂れて、時には土下座をして、頼みたい。

 芝居は、時代とか場所にサザナミをたてないと。

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米原万里『魔女の1ダース』を読む

 もし、関ヶ原の闘いで徳川軍が負けていたら、今日本の首都は大阪で、標準日本語は大阪弁になっていたのかもしれない。歴史に「もしも」はありえないものの、想像すると面白いことは沢山ある。

 もし、米原万里が生きていて、新党結成して、政治家になっていたら、現在の政治に対する不信や憤りが消えて、すっきりしているのではないか。米原の文章を読むと、筋が通っていて、ウンウンと頷くことしきり。普通だったら、すごい人になってしまうだろうが、時折覗かせる可愛さがあり、好きな人になった。古今東西で最も好きな書き手。とにかくハズレがないから、読むほどに好きになる一方なのだ。

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米原万里『ガセネッタ&シモネッタ』を読む

 米原万里はロシア語の同時通訳者。日当は12万円らしい。もう亡くなったので、今はいくらかわからない。ただ、12万は安いと思う。とにかく政治、経済、医療、物理学、原子力、歴史、裁判等とにかく人間のあらゆる活動の仕事だから、その都度に覚える専門用語やその分野の理論や問題、それらを短期間に理解して覚えなくてはならないから、驚嘆する学習能力とその都度の問題に対応する臨機応変、そしてそのためには沈着と冷静と度胸と健康が必要とされる。

 米原の文章が明快なのは、短時間で正確にわかりやすく通訳する修羅場で培われたものだろう。実に快感を覚える文章。

 柳瀬尚紀、永井愛という対談者の選択も見事。

 遊び心満載で媚びない、ブレない、率直な一冊。おそらく、それが米原という人物なのだろう。面白い一冊。

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おがくず風呂に行く

 昨日は土曜の振り替えで休み。それで、もう一度、と思い、蒲江に向かった。もう一度というのは、一度行ったけれど、発見できなかったからだ。稲垣橋を渡って、陸橋を右手に見て、右折するところに看板があり、通り過ぎる時にチラッとしか見えない看板の絵から「砂湯」と勘違いして、砂湯を探したせいかもしれない。おがくず風呂だったのだ。蒲江の道の駅を右折して4分という表示なんだけれど、見つからない。一応法定速度で走ったつもりなんだが、もしかすると発注した人間は法定速度なんか知らねえという輩かもしれないので10分ほど走ったが、やはり、見つからない。もういいやと引き返したら、見つかった。ドンとした建物を想像していたが、民家のような佇まい。

 上の前歯が一本の年取ったリスのようなおばちゃんが一人いた。丁度電話で場所を説明していたので、その間にあちこちに目を走らせ料金を確かめようとしたが、見当たらない。電話が終わり、まず4分じゃなく、キロで示してくれたほうがいいと「アドバイス+苦情−嫌み」で挨拶。で、まず、おばちゃんは冷蔵庫から怪しい容器を出し、養命酒の小さなカップのようなコップに何かのカケラ数片と液体を入れた。「酵素を飲んで下さい」「これは何ですか」「ショウガです」。で、タオルとトランクスを渡され、更衣室でそれに替えて、いざ。

 おおざっぱに2メーター×10メーターほどの「浴室」は黒に近い茶色のおがくず(なんだろう)がこんもりと整えられていた。「熱いのがいいですか」と訊かれ、「中で」と、牛丼屋みたいな答えをした。じゃあここに、と示すと、おばちゃんはおがくずをスコップで掘り出した。入って下さい、に身を横たえる。頭を置くところを作ってくれると、身体におがくずをかけた。他に客がいなかったので、おばちゃんに色々質問した。おばちゃんは余計な言葉を挟まずに的確に答えてくれた。おがくず風呂は九州でここだけで、おがくずに酵素を混ぜ、それに酵素の餌と水を与えると熱が出て、それが身体の毒素を排出させるとか。正確ではないかもしれないが、だいたいのところそういうことだった。そういう説明の最中、おばちゃんは顔の汗をぬぐってくれたり、きぶんはどうかとか、細やかに仕事をした。

 15分のところを30分弱。半身を起こす。おばちゃんは「おがくずを落とさないで下さい」と言う。おがくずがびっしりついているほうがいいと言う。腰の辺にはついていないらしく、「腰が悪いんですか」と。そうなのだ。「肩にはついているから、肩こりはしないんでしょうね」。そうなのだ。腰の上辺にもついていないから、内臓がどこか・・・。おばちゃんは明言しなかったが、かもしれない。いっそのこと全身にくまなくつけて、頭が悪い、顔が悪いと言ってくれたら、爽快なんだが・・・。

 シャワーを浴びて(湯船につかりたかった!)、出ると、おばちゃんは水を飲め、と。これから身体がポカポカしますよ、眠くなりますよ、とあれこれ説明してくれる。目の前は海。ひねもすのたりの時に、おがくず風呂上がりにノンアルコールビールでも飲めば子持ちいいだろう。これから休みの日にしばらく通ってみようと思う。あッ、料金は1500円。スタンプが5つたまると、1回は無料だそうです。

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Too much バミテ

 明日土曜日は佐伯文化会館で総合学科の実践研究発表会。それで今日はリハーサル。一応舞台係だから、一日中、舞台袖にいた。装置等に位置をおぼえるために色テープを使う。バミルためにテープを貼るので、バミテと呼ぶ人もいる。そのバミテを発表者が多いので、多くの色を用意している。それはいい。ただ、人の立ち位置全部にバミルんでびっくり。電話台みたいなのがあり、まず、そこにバミテ。その下手側に人が立つので、そこにバミテ。いや、上手側のほうがいいナ、と、移動したら、剥いで、バミテ。だから、色分けしたのがいいが、やたら同じ色のバミテが多くて、どれだ、と、迷うほどになってしまった。過ぎたるは及ばざるがごとし。

 今年で11回目になる発表大会だが、リハーサルについては過去の蓄積が余り感じられない。リハーサルの手順を確認することなくやってしまうから、じれったいことこの上ない。色々と並べると、じゃあやれよ、と、言われるかもしれないのでやめておく。さて、明日、観客が入ったらどうなるか。発表者の満足いく発表になればいいのだけれど。

 

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米原万里『必笑小咄のテクニック』を読む

 寒さのせいか、膝がヨロめいた。今までも最近くらいの寒さは経験したはずで、膝のヨロは経験したことがないので、これは老齢の釣行ではないか、と、たまたまテレビで某社の膝用のサプリメントのCMが流れていたので、電話した。ところが、「今込み合っていますので、もうしばらくして電話して下さい」というコメントが流れた。この寒さの中で同じ危機感を抱いている仲間がいるのか、と、妙に嬉しくなったりした。以後、電話はしていない。

 この寒さの中で、米原の小咄の中には一瞬寒さを溶かすほどの笑いがあった。まだ3冊あるのに、もう4冊注文した。しばらくは米原万里。今まで出会った中でも最高位にランクする書き手。つまり、人間の魅力が満載の人なのだナ。

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米原万里『米原万里の「愛の法則」』を読む

 久しぶりの雨。一滴ごとに世界を冷やすのか、底冷えする一日だった。教室にも暖房が必要だと思うが、聞く耳をもたないのがアイツらだ。生徒の学習環境の充実をしないで、やれ学力の向上だの、それナントカだの、と、文科省は現場感覚を持たないで注文だけする。どうしようもない。生徒諸君、大人になっても、あんなオトナにはなるな!

 ひさしの『読書眼鏡』で米原万里の著作を紹介していたので、その中から5冊を選んで注文した。以前から、書店で気にはなっていた人だが、何故かその都度手を引っ込めた。

 ひさしの再婚相手が米原万里の妹さん。だからひさしが亡くなった義姉へのナントカかなと思ったが、まさかひさしが、ねえ。その通り。

 講演集。面白い。男と女のアレコレから世界、人、そして語学の勉強の仕方まで、おそらく米原のエッセンスを凝縮しているのかもしれない。こんな博学で繊細で的確な表現ができて、人としてガッシリとした骨太な人は珍しい。ロシア語の達人として同時通訳をしてたが、言葉の学習が人間を育てる可能性を強く感じた。

 高校の無償化とか子ども手当とか、一律にした民主党。それよりも学校の学習環境の適正化をしなさい。

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村上龍『ダメな女』を読む

 以前も書いたかもしれないが、大分舞鶴高校には「舞鶴魂」というのがある。「しまれ、がんばれ、ねばれ、おしきれ」だったか。一回生が校長になって、初代校長をかなり意識していて、「生活四原則」というのをつくった。「遅れない、負けない・・・」よく覚えていない。二人の校長のスローガンには大きな違いがあり、前者が肯定形に対し、後者は否定形。否定形は広がりも、深さも、活力も乏しいように思う。

 世界とは否定形よりも肯定形で付き合うほうがいい。否定ばかりしていると、それはやがて自分に向かってくる場合があり、そうなると、抜け出せなくなる場合があるからだ。

 昔、ある校長が全校集会で「いじめを見て、何もしない人間は弱い」と言った。ダメだと否定したのだ。そう言ったらおしまいだと思った。弱くてもいいという部分を出すべきではなかったかと思った。

 ダメな女。女を叩くのはたやすい。しかし、度を超すと、それは自分にもくる。否定の連鎖はそうなっている。それに気遣いのは鈍感の極みだから、NOを言い続ける「私」がダメだと広告しているようなものだ。だから、村上の言葉は淀んでくる。

 いい女を考えましょう。

 後藤君、就職決まったようで、おめでとう。遠くないいつか、居酒屋でゆっくり話を聴きたいと思います。連絡します。

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唐十郎『西陽荘』を読む

 もそろそろと思いながらも、手放せないものがある。たとえば、セーター。手放せないセーターは、もう25年くらい着ている。さすがに手首の辺りがほころびかけている。どうしようかと思いながらクリーニングに出したら、クリーニング屋さんが哀れに思ったのか、簡単にではあるが、修理してくれた。もう5年くらいはいけそうだ。

 書店が『悲劇喜劇』2月号を職場に届けてくれた。机にそれを見た瞬間嬉しくなった。唐十郎の顔があったのだ。唐との付き合い(もちろん書籍を通してのことだけれど)はもう30年以上になる。芝居は2本しか観ていない。学生の頃、熊本の白川の河川敷での赤テントの芝居を観た時は興奮した。あの時の興奮を上回る舞台は以後なかった。根津甚八、小林薫が出てた頃だ。以来書店で唐の本を見ると買ってきた。

 『西陽荘』には唐独特の叙情と言語世界が健在。また、唐の特集号で、色々な人が文を寄せているが、娘さんの文を読んで笑った。娘さんが幼い頃、家の何かの角に頭をぶっつけて泣いていると、唐はその角を鉄の棒で叩いたというのだ。あの唐が・・・。

 唐は間違いなく日本が生んだ最高の劇作家であり、演劇人。唐自身の言葉、他人の唐についてのあれこれで、極めて刺激的な一冊にになっている。

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成人式に行く

 今日は佐伯市の成人式。生徒がボランティアで受付等の仕事をするので、一応写真を撮りに。12時に集合ということで、その10分ほど前に会場に。12時過ぎに4校の生徒が集められ、受付、案内、会場、アンケート、写真に分けられる。分けただけで、係りごとの説明がされないので、たとえば、受付では生徒によって動きが違った。ともかく、写真係は集まってくる新成人の中に入り、シャッターを押す仕事をする。そのほかの生徒は暇なので、2階の屋外ロビーから下を見下ろして、自分たちの2年後に思いを馳せていた。

 13時から受付開始。しかし、式が始まるのは2時なので、ほとんどの新成人は久しぶりの友人との会話と写真撮りに夢中。受付をして会場に入っても時間があるから、外に出てタバコを吸ったり、とか。会場に着いた時、担当者とちょっと話をしたら、住民票のある新成人は600人ちょっと。住民票を移している場合もあるので、それよりは多いらしいが、出席は80パーセントちょっとくらいだろうとのこと。26人の受付がいるんだから、30分でいいんではないかとぼくは思った。受付が1時間全体が会場へと動きだしたのは、20分前。

 オープニングは弥生栂牟礼陣太鼓。素晴らしい演奏だった。市長、市議会議長、国会議員のお祝いの言葉。人生80年を24時間にしたら、20歳は6時になるので「おはようございます」という市議会議長の話が最優秀。それから新成人の女性二人が決意表明。男に人材がないということか。進行役が男だったからかもしれないが、ヘタクソすぎた。そして、記念品贈呈。受け取るのは決意表明した二人。記念品はエコバッグ。もしかして、受付で配っていたあのバッグか? 裸のままバッグをもらえば、帰りに何か入れると考えるのではないか。

 ぼくは成人式に出ていない。だから、ブラッド・ピットのベンジャミン・ナントカいう、老人から若くなっていくらしい映画の主人公なら、と、思い、最後まで観た。最後までいたから言わせてもらうが、企画力と工夫に乏しい成人式だった。新成人にとっては、友達との同窓会としての意味合いのほうが強かったのではないか。もっとも見てて情けない新成人もいた。会場入口でタバコを吸い、足元には一升瓶。それは違うんじゃないか。式の途中に奇声を上げるのもいた。市長の式辞の途中に子どもを抱いて舞台に上がったのもいた。ただ、全体的にはそういうのはごくごく一部で、ニュースで報じられるようなことはなかった。

 長い3時間だった。

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久世光彦といえば

 久世光彦の書いたものを初めて読んだのは『逃げ水半次無用帖』だと思う。読んだ直後に何のきっかけだったか覚えていないが、話をするようになった生徒がいた。その風貌が小説の半次にピッタリだと思ったので、ぼくはそれを話した。彼はちょっとテレたようだが、全く興味を示さなかった。ぼくはその文庫本をあげようとしたが、本は読みません、と、ポツリ。それからもう一回会って、また半次を持ち出したと思う。

 彼は3年生だったが、卒業にはクリアしなければならないことがあるようなことを知った。成績だと思うが、学年が違うから詳細はわからなかった。

 卒業式で教頭が閉式の言葉を述べた直後、背後のドアがあいて一人の男が入ってきた。彼は真ん中をゆっくりと歩いていき、ステージ前で右に曲がり、校長の前に進み、「退学届」(「です」を付けたのか、「だ」だったのか覚えていない)と一言言うと、歩いてきた線を引き返した。誰も一言も発しなかった。ざわめきも起こらなかった。ぼく自身についていえば、まさに呆気に取られたままだった。そういう人ばかりだったのではないか。みんな息を飲んだまま、彼を見つめていた。彼の気持ちを理解しないまま、こんなことをいうと不謹慎だが、あの時の彼は千両役者の趣があった。

 彼は、半次に重ねた彼は、彼なりの方法で「卒業」した。久世光彦とは全く関係ないが、久世光彦で必ず思い出す出来事です。

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久世光彦『歳月なんてものは』を読む

 今の職について一番女性職員が多い職場。そのための善し悪しはある。男が多い職場とは微妙に異なるけれど。仕事納の時も仕事始め時も、職員室がガランとしているのは、女性職員が多いからだろう。とにかくガランという音が聞こえてきそうな感じ。個人補習もじっくりできるし、本を読めるのもガランだからではあるが。

 久世のエッセイ42本を二部に分けて収録している。テレビドラマや映画の現場で知り合った俳優たちを描いている「鮮やかな人たち」。それと「本と少年幻想」。後者は久世の少年期の読書と映画にまつわる思い出とそこから派生する幻想を書いているが、久世の独特な感性が滲み出ている。

 面白く読んだのは「鮮やかな人たち」で、画面には出ない俳優たちの姿が実に興味深い。柄本明、生瀬勝久、森繁久弥、植木等、岸恵子、森光子、黒柳徹子等、素晴らしい俳優たちと久世は仕事をし、彼らの素晴らしさを書いている。ただ、一人だけ、田畑智子を激賞しているのには、ピンとこなかった。一度じっくりと彼女の出演作品を観なければ。

 

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トーマス・クック『ローラ・フェイとの最後の対話』を読む

 つかこうへいは遺書を「恥多き人生でありました」で書き出した。ともすれば栄光の影にかすれてしまうようなアレコレも多い。つかがデビュー以来演劇界のトップを走り続けることができたのは、「恥多き人生」と言えるところにあったように思う。まァ、つかの作品に登場する人物はみんな傷や悔いを抱えてはいるんだけれど。

 小さな町で育ち、大学教師になり歴史の本を書いている男の前にローラ・フェイが現れ、小さな町での事件をめぐり対話が始まる。その対話を読みながら、あれこれと事件について考えるから、グイグイと読み進めていく。主人公マーティンと母との最後の場面は似たような経験もあり、切なかった。ラストのシーンがウソっぽいけれど、マーティンのためには必要だったのだろう。

 昨日と今日は8時頃までウダウダと惰眠を貪った。9時20分に起きて、直川鉱泉に行った。10時開店だけれど、結構年配客が多いので、せっかちに来る彼らのために10分早く開けてくれる。サウナでとことん汗を流すと、汗と一緒に汚れが出るような気がして、ほぼ毎週行っている。サウナで聞く、おじさんたちの話は面白い。若い観客ではなく、彼らおじさんたちをターゲットにした芝居もいいんではないかと思う。つかの頭にあった「恥」はわからない。マーティンの「悔い」はわかる。そして、ぼくにも恥や悔いは山とある。そこを見据え、そから逃げずに、脚本を書いてみようか、と、・・・。

 

 

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『井上ひさしの読書眼鏡』を読む

 明けましておめでとうございます。昨年も公演までこぎつけることができませんでした。少ないけれど、応援してくれている方々には申し訳ない思いでいっぱいです。今年の夏の上演を目指して、仲間で奮闘しています。4月には案内できると思います。

 さて、今日は子どもに連れられてパークプレイスとフォーラスに行ってきました。前所は駐車場が満杯で、彼女たちを下ろして、ぼくは紀伊国屋書店に行きましたが、閉店。(小梅太夫風に)チッキショ~。それで引き返し、一番便利な場所を避けて、メッケ。で、本屋の書棚を丁寧に見て、結局はひさし。本当はギターの教則本が欲しかったのだが。外の喫煙コーナでひさしを読んだ。結局フォーラスの島村楽器で、今度は丁寧に選んで、買った。だから、丁寧に練習しようと思う。さらば、横柄。

 本についての本を読むと、読みたい本がみつかる恩恵に浴することができる。ひさしの広範囲な読書にはとても付き合うことができないが、興味を駆り立てる数冊をチェック。また、ひさしの今の奥さんの姉妹の米原万里全著作の解説は、読書欲を駆り立てるものの、多すぎて選ぶのに悩む。ここから数冊。

 カウントダウンに入っています。丁寧に生きようと思います。今年こそ公演の案内ができるよう公私をきちんと分けて、芝居に挑みます。皆さんの活力と充実の日々を祈りながら。

 

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