« 2012年3月 | トップページ | 2012年5月 »

14円

 男にはいつも恋心を抱く女性がいる。竹内久美子の説によれば、これは遺伝子のなせることなので、女性は男ではなく、遺伝子をせめて欲しい。男はたぶんそういう遺伝子と闘っているのだから。
 2月から空家になっている親父の家に書籍の大半を置いてある。それを整理しようか、と。それでまず写真集を処分しようと思い、近くの店に持っていった。
「もう取り扱っていないので一冊1円です。文庫本さいずのものは取り扱っていないのでゼロです」
で、彼は14円をぼくの手のひらに落とした。捨てにきたのだから、全部タダでもいいのに。免許証まで渡して、住所と電話番号まで書いて、なのに、ふざけた店ではある。本当に素晴らしい女性達だったのに。あの1円の数冊は多分店に出る。「取り扱っていない」ものを出したら、一応それなりの対応を楽しみたい。その種をまいたつもりだが・・・。

 これから本もあれも、これも、少しずつ処分していくのだ。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『木漏れ日の家で』を観る

 かつては緑の風が気持ちよく吹き抜けたであろう家。今は老いた女性が犬と住んでいる。時たま息子が娘を連れてくるが、すぐに帰る。老女は犬と話したり、独り言を言ったり、隣を双眼鏡で覗いたり、他にこれといってすることはない。ポーランドの映画らしく、原題は「死ぬ時」とかいう意味らしく、老女が死んで、映画は終わる。これといって何もない老女の日常ながら、退屈はshないし、その深さに引き込まれていく。小説でも、芝居でも出せない味わいの映画になっている。特に相手役の犬がいい。表情豊かで、演技賞をあげてもいいんじゃないかと思うくらい。

 実は、今日、今度の芝居のためにある介護施設を見学に行った。広くて、明るくて、自分の老後はここでもいいかと思いながら案内を受けた。で、帰ってきて、この映画。廻り合せみたいなものを感じた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

米原万里『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を読む

 リッツア、アーニャ、ヤスミンカ。米原が約5年間通ったプラハ・ソビエト学校の同級生。どの子も魅力的だが、どの子も子どもが抱えるには過酷な現実を背負っている。
 大人は子ども達によりよい世界を手渡すことが責任であり仕事だと思う。世界中のすべての大人がその基本で考え行動すれば、問題の多くは消えてしまうのではないか。今騒がれている原発問題も、電力会社の事情や政治家の事情ではなくなり、誰もが納得いく方向に進んでいくのではないか。子どもは大人の事情の犠牲になっていることがあまりに多過ぎる。
 学校が、大人の事情の不条理に負けないだけの強い精神と能力を持った人に育てる場所でありたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

テレビで一番面白い瞬間

 朝、犬と散歩に行き、帰ってから風呂に入り、洗濯機を回し始める頃から、時計を頻繁に見るようになる。どうしても見逃したくないテレビがあるからだ。
 それはテレビ朝日の天気予報で6時20分にある。そこで「空をライブ」というのをやっており、テレビの双方向機能を利用して、全国各地の様子を知らせてもらうというもの。予報士の依田司(だったか?)が、今日の天気が「晴れなら青ボタン、曇なら赤ボタン、雨なら黄色ボタンを押して下さい」と呼びかけると、一分も経たないうちに日本地図がそれぞれの色で染められていくのだ。
 時には寒さの度合い、桜の咲き具合、コートをまだ着てるかとか、その時々に応じてたずねる。するとそれぞれの色の丸い点がポつポつ地図に現れ、佐伯は意外に寒いのかとか、思う次第。
 OABが夕方似たようなことを始めたようだが、夕方はそんな気分になれない。朝、同じ時に大分版をやれば、役に立つかもしれないのに。
 朝、一日の始まりに、ボタンを押す全国の人に親近感というか連帯感みたいなものを覚える瞬間なのである。一回、押してみてみてみてみ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

(『静かなる男』を観る

 映画の中で牧師と神父が出てくる。牧師はプロテスタント、新譜はカソリック。キリスト教の場合、その二つは結構争いの歴史があるようだが、日本は、宗教も「雑食」的なところがあり、あれやこれやのてんこ盛り。そんなことを考えながら、観た。

 ジョン・フォード監督、ジョン・ウエイン、モーリン・オハラ出演、ヴィクター・ヤング音楽。馴染みの顔ぶれの古き良き時代の映画。ただ、これは舞台がアイルランド。アイルランドのしきたりとかが出てくるが、ジョン・フォードの映画。先が見えても、面白い。最近の映画は意外性やらどんでん返しに走る傾向があるようだが、そうなんだ、と、確かめる内容でもいいではないか。

 さきほど、今年2匹目の蚊を退治。はて、今年の暑さを乗り切れるだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ボランティアで冷える

 昨日準備に参加した番匠健康マラソンに行った。7時集合ということだが、せっかちのぼくは6時40分には到着。豊南の生徒は11人で届けていたが、雨天のため車の都合がつかないのだろう結局6人。他校の生徒とあわせて20名くらいだったか。
 写真を撮ったら帰ろうと思っていたが、結局受付を手伝うことに。ぼくは40代・50代の5キロ。隣とそのまた隣の60代、70代以上、一番遠くのハーフマラソンはどんどん受付に来るのに、40代、50代で5キロは来ない。おそらくその年代で5キロというのに、覚悟がないのだ、と、思っていた。しかし、受付時間終了近くになってどんどんやってきた。雨が降っているのに、結局走る人は天気より、走りが優先するのだろう。
 ぼくは氏名を書いた受付用紙の余白に気がついたことを書いていった。たとえば非常ベルが鳴っているのに、その音に反応せず、放送をしていたが、何を言ってるのかわからかったが、そういうことも含めて23回目の大会なのに運営のノウハウがお粗末だったこと。反省しての改善していく積み重ねが見られないのだった。
 そして、明確な説明をせずにその場その場で支持をする係の人に「高校生をいいように使うのはやめてくれませんか」と言ってしまった。そういうのは他のボランティア場所でも結構見受けられる。高校生ボランティアに一番丁寧に応対してくれるのは児童館だと思う。だからか、声をかければすぐに満杯になる。

 10時にハーフマラソンがスタートしてぼくは引き上げた。身体が冷えきっていたので、直川鉱泉までひた走り、湯につかった。昨日と今日で腰にかなり負担がたまっている。早く寝るか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ボランティアで汗をかく

 明日開催される「番匠健康マラソン」の準備に生徒が参加するので、その写真を撮っておこうと、と、出かけた。10枚も撮ったら、おがくず風呂にと思っていた。ところが、4時間弱、生徒と一緒に奉仕した。
 5名程度で十分です、と、言っていたが、11人応募した。ところが参加は5人。文理大付属の生徒3人と途中一回のアクエリアス休憩だけでブッ通しの作業は、参加者とスタッフあわせて1060人分の記念品等の袋詰め。上浦の水、海産物、Tシャツや帽子やパンフを入れるだけの単純作業。とにかく早く済ませてしまおうと俊敏に動くのだが、単純ながら汗をかく。やがて腰にきた。最初から、これを入れてと言ってくれれればいいのに、終わったと思うと「これも」とくるので、体も頭もカッカしてた。詰め込みが終わると、今度は商品にシールを貼っていく作業。子ども向けやらシニア向けやらダンボール20個くらいに収められたお菓子やら調味料やら入浴剤にシールを貼っていく。

 事務局に明日の大会は実施されるのか、と、訊くと。やります、とのこと。予報では暴風雨というのに。朝7時集合。生徒が行くからには、くたびれたこの体を運ばないと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「センセー}と呼ばれる

 最近二つの店で「センセー」と声をかけられた。卒業して8年近くたっているし、制服の頃とは違い化粧やら髪型やらがナンチャラカンチャラですぐにはわからず、話を聞いてボンヤリ思い出した。
 昨日は入学式でどうやら係を勘違いしていてウロチョロしていたら「センセー」。声のほうを見てすぐわかった。『るるてんてん』の主演女優(といっても、一人芝居だったけど)ではないか。結婚して、彼女の同期のKと訪ねたことがあったし、どこかの店でお互い子ども連れでバッタリ出会い、彼女の娘が「今度小学生になるんで」と嬉しそうに話していたことがあった。彼女は数字つ前に「センセー」と呼びかけてくれた二人とは数年年上だけれど、『白い部屋』と『るるてんてん』で連日顔をあわせていたのだから、何十年経っても容姿が変貌しても、こっちがボケてしまわない限り、わからないことはあるまい。
 それにしても、もう娘が高校生。彼女は娘を呼んで「イーダセンセーよ」といい、旦那さんも引っ張って「イーダセンセーよ」といい、驚いているばかりのぼくの前で再会を喜んでいた。旦那を連れてきたのがよかった。加えて、最前列に二人で座って、晴れやかな表情で前をキッと見ていたのもよい。その顔は高校時代より若々しいほどだった。いい毎日を積み重ねているんだ。それが何よりぼくを嬉しくさせた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

阿辻哲次『部首のはなし』を読む

 おそらく史上最難関の試験の一つに中国の科挙がある。その試験を受けるための試験があり、本試験の時は部屋に缶詰になる。しかし、飲茶とトイレに一回だけは外に出ることができたらしい。その時外出許可書証みたいなものを与えられる。その許可証には「出恭入敬」と書かれてあったらしい。恭しく出て、礼儀正しく入れということらしい。そこから、恭にとんでもない意味が生まれた。
 恭という文字は日本では人の名前にも使われているくらいいい意味の感じだが、中国では科挙の許可証の文言から「大便」の意味があるらしい。だから「出恭」とは大便をする、「恭桶」はおまるの意味だそうなのだ。
 「はじめに」から読むと、先になかなか進まない。しかし、部首の具体的な話になると面白くなり、ページを追うごとに阿辻のペンが走る。そして、漢字には昔の中国の人の莫大な知と考が宿っていることに打ちのめされてしまう。
 自分の名前に使われている漢字の意味を漢和辞典で調べてみてはどうだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

枝垂れ桜、ほぼ満開

 新学期が始まった。また、一年が始まる。
 家の枝垂れ桜が今までで一番多くの花をつけた。これは上の娘が小学校に入学した時、丈母(じょうぼ=妻の母親のこと、結構知識が増えるでしょ?)が用意してくれた。今は亡き父と大分まで受け取りに行った。敷地の端っこに植えた。その時は2メーター足らずくらいだった。すくすくと伸び、それが娘の成長を思わせ、ぼくはさらに端っこに八重桜を植えた。チェーホフの桜の薗をイメージしちゃったりしてた。それに合わせるかのように妻は娘たち二人で三人姉妹なぞとほざいていた。チェーホフがそこに、ね。
 ところが、父が成長過程の枝垂れ桜の先端を切った。ぼくは強く抗議した。毎年、父は切りたがったがその都度拒否した。彼は自分で管理できる高さを求めたのだろう。しかし、父が死に、おそらく桜は脅威がなくなったのを感じ取ったのだろう。その安心感が、これほどの花を咲かせることになったのだと思う。

 さて、現在頭の中は脚本が8割を占めている。それについてはここで書くより、
  http://www.saiki.tv/~thetruth/index.html
の掲示板で書くことにします。時々訪ねてみて下さい。

 なお、今回の脚本はメンバーの人数を無視して書きます。出演者を募集します。是非、一緒に舞台に立ちましょう。舞台は役になりきる場所ではありません。自分になりきる、なりきることができる世界でただ一つの場所。ぼくはそう思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

佐伯の春祭り

 金曜日に離任式があり、みんな話が長い。夜の送別会にも数年ぶりに出たが、そこでも話が長い。つかの間の感傷が手伝ってのことだろうが、聴く側のことはあんまり考えていないようだ。ただ、びっくりしたのは、離任式に卒業生が来ていて、その数が100名を越えていたし、その多くが「正装」だったこと。こんな学校ははじめてだ。

 さて、佐伯の桜は今が盛り。昨日は娘たちの母親と歩いて春祭り会場まで歩いて行った。ビールを飲んではつまみ食いを何よりの楽しみにしているからだ。風の強い日で長瀬橋では「飛ばされる~」とか彼女が叫ぶので「ペルーまで飛ばされろ!」と激励したが、叶わなかった。そして、また今日も。
 
 ビールを買い、豚バラとかを一本買い、ウロウロ歩く。多くの人がざまざまな格好で様々に楽しんでいるのを見るが好きなのだ。昨年は東北の震災で中止した。それはそれで気持ちはわかるし、日本人のいいところかもしれないが、極めて愚かなことだ。それぞれの人が冬を越えてきて、今春の到来を楽しんでいる。それでいいじゃないか、と、思う。

 山の桜が存在を示し、家の枝垂れ桜は五分咲き。春を存分に楽しみましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年3月 | トップページ | 2012年5月 »