« 2012年4月 | トップページ | 2012年6月 »

「勉強の仕方がわからない」

 水曜日から中間試験。直前の授業では、試験準備でのあれこれになる。ぼくも、試験範囲を見直して何か不明なところがあれば質問を、と呼びかけて、時間を与える。その様子をつぶさに観察していると、「勉強」も様々。もう高校生。10年以上「勉強」しているから、それぞれの方法を持っていていいと思うが、甘い。

 勉強は、覚えることを覚え、わからないことをわかり、できないことをできるようにするのが基本。ただ、それには時間がかかる。彼らの多くは時間をかけない。そして、目だけで「勉強」する。確かに目でも勉強はできる。でも、情報を受けるだけの目と、「見逃さないぞ」という目では、効果は大きく違う。

 勉強は愛情と同じではないかと思う。興味を持って、いつも思い、向かう。だから、誰かを好きになることは考える量を増やす。恋をしている友達の言うことにも耳を傾けるだろうし、行動をよく観るだろう。そして、自分の恋心を確かめ、考え、向かう。愛情は想いの量と行動。勉強していない人間は自分を愛していない。

 全ての人間には才能がある。それを引き出すのは自分の仕事。自分を育てるのが使命。その手段は、目の前の問題に果敢に挑むことが一番の方法ではないか。人が問題を選ぶのではない。問題が人を選ぶのだ。

 豊南の生徒、わからないことにとことん向き合え。逃げずに向かえ。一つの答えが出た時、ささやかな成長かもしれないが、大きな成長に向かう確実な一歩になる。落ちこぼれの長いトンネルを経験したぼくは、そう思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

恒例行事打ち止め

 中学校の運動会。14年間で18回目で、「三年生にとっては最後の運動会」という言葉が放送で何回も流れた。ぼくにとっても運動会を観る最後。

 14と18という数字を確かめるために、過去の画像を眺めて、その長さを思い知った。思えば遠くに来たもんだ。こうやって、子どもに関わる行事が一つずつなくなっていく。

 途中パラつきながらもどうにか最後までとどまってくれた雨が、今はそぼ降る。感慨深い一日だった。 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

『彼とわたしの漂流日記』を観る

 トム・ハンクスの映画に『キャスト・アウェイ』というのがあった。『彼とわたしの漂流日記』は、海の孤島ではなく、韓国の都市を流れる川の中の島が舞台になっている。共に文明から離れて、素手で生きていかなければならないから共通する部分はある。決定的に違うのは、『漂流日記』は街中の川の島という点。高層マンションの一室の女性が、超望遠レンズのカメラで彼を見つけ、彼の姿を追い続ける。二人の交流から目が離せなくなる。

 『キャストアウェイ』は、主人公が街の生活に戻ってから急に面白くなくなる。終わらせ方は無数にあり、観客としては孤島での原始的生活を続けて欲しいという無責任な思いもあるのかもしれないが、だから終わらせ方が難しい。『漂流日記』は「わたし」を出したので、終わらせ方が絞られてくる。そして、多くの観客が願うラストになったのではないかと思う。

 現代のお伽噺といってもいいかもしれない。だから現実ではありえないと思うことが幾つかあるが、許さなければならない。面白い映画を観るととてもトクした気分になるが、そういう映画。きっと脚本家は書くのが楽しかっただろうナと思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『探偵物語』を観る

 ぼくが生まれる2年前の白黒映画。カーク・ダグラスが結構いい演技をしている。ほとんどが刑事部屋で進行する。敬愛するウイリアム・ワイラーの監督作品。どの役者もいい味を出して、刑事部屋の空気を活き活きと描いている。

 ただ、タイトルはミス。探偵とあるから、カーク・ダグラスが探偵役かと思っていたら、刑事。detective には探偵もあるが、刑事の意味もある、と、思う。別に思わなくても、刑事部屋で、カーク・ダグラスが刑事なんだから。

 この作品で一番効果的だったのが万引き女。この人物を設定したのが上手いと思う。こういう役を設定して書けるようになりたいと思った。

 主人公の苦悩も、今では考えられないかもしれない。でも、それはそれで、と、受け止めることができないこともない。(まだるっこしい!) 映画は時代を吸い込むスポンジ的なところがあり、そのへんも楽しむことができるから、昔の映画は面白い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「古今東西」で朝からお騒がせ

 脚本(なかなか進みませぬ)で、老人たちに「古今東西ゲーム」をやらせてみようと思ったものの、古今東西という言葉が出てこない。生徒にきいたり、教師にきいたり、野球部の生徒は「山手線ゲーム」と教えてくれたが、そんな名前ではなかった、と、さらにあちこちにきき回った。ようやっと若い教師が「古今東西」という名前を出してくれた。そうだ!あの時のカタストロフィーといったらなかった。職員室で「!」と叫んだ。

 この前から「名詞逃亡症」と付き合っているけれど、ボンボン逃げてく。今取り組んでいる脚本は「老い」が一つの要素になっている。それでその類の参考書を読んでいると、その本のタイトルを見た生徒が「なるほど・・・」と感慨深げに頷いた。で、今、その生徒の顔を思い出そうとしたら、顔が出てこない。

 名詞も顔も逃げていく。全部逃げてしまったら、その時はそれを気にすることも逃げてしまっているから、むしろ幸せなことかもしれない。こういう老人を出そうかと思ったが、老人は全て出さないことにした。いずれ100才以上の老人たちの芝居を書きます。そして、出たい。

 何について書くつもりだったっけ?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

固有名詞が出てこない

 長瀬ナントカが出ているタイヤのCMに出ている岩松了の名前が出てこなくて、ナント2,3日経ってポンと出てきた。それから気になりだすと、生活の場面で多々あるような気がしてきた。これも老いの兆候かもしれない。芝居ができるのだろうか。

 確かに身体だけでなく、精神のフットワークが鈍くなっていることは確か。それは仕方ない。仕方ないことにクヨクヨしても仕方ない。抵抗はしない。ちょっとだけ工夫をする。選択やら料理やら剪定や草取りにも積極的に取り組み、犬ともよく遊び、色んな人と喋る。別に工夫ではないけれど、脚本を書くのは悪くはないかもしれない。もし脚本がなかなか進まなくても、仲間よ、老いのせいかと思ってくれ。OVER。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

奇妙な価値感覚

 1年以上居住していることに対し、カンボジア政府は短縮を求めていたが、結局受け容れられず、猫ひろしのオリンピック出場がなくなった。その国際的ルールが今年の3月に決まったそうで、気の毒といえば気の毒だけれど、猫がカンボジアに移住して、そこからオリンピックにと報道された時点で、首を傾げた人は少なくなかったのではないか。

 日本からは出場できないので、出場できる国に。そこにどんな価値があるのだろうか。多くのランナーはオリンピックを目標に毎日トレーニングしていると思うが、それぞれの人に様々な現実があり、そこで頑張っている。だからこそ価値があるのではないか。

 こうなったら猫は日本の国籍に戻らず、カンボジアに骨を埋めるほうがいい。そこで次のオリンピックを目指す。年齢的に難しいかもしれないが、若手を育てて、メダル獲得を目指すというのでもいいじゃないか。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

とりとめない朝

 朝、テレビで起きる。最近は時間を早くして5時にセットしている。この時間だとNHKがいい。ただ最近はその前に起きているから、テレビがついたら消して、犬と散歩に行く。

 先週からTシャツ短パン。今朝は下着のシャツで出かけた。ちょっとためらったものの、この時間に誰かと会う訳でもないからいいか、と。ケチのつけようがないオジサンだ、ナ。そして歩きながら考えたことは、同じ形態なのに、Tシャツと下着の違いは何なのかというささやかな疑問。そしてその疑問が解けないまま、夢に出てきたAが何か素っ気なかったのは何故だろうか、と、これまた解決できない疑問。帰って、風呂に入ると、足の小指の爪の形が虐げられているようで、しばらく靴を履かないようにしよう、とか。

 俳優とは夜ごとに死に、朝になると生まれ変わる生命体だ。あるフランス人はそういった。規模は小さいかもしれないが、普通のオジサンも似たようなものかもしれない。そして始まりはいつも混沌としている。その混沌が収まって、一日が始まる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『次郎長三国志』を観る

 清水次郎長に鶴田浩二、桶屋の鬼吉:山城新吾、大政:大木実、森の石松:長門裕之、佐太郎:藤山寛美等、既に鬼籍に入っている俳優が多い。ぼくくらいのもう耳順を迎える年齢の時代劇ファンには懐かしくて魅力的なキャスティングなのだ。

 村上元三原作のこの映画の面白さは文字通り『三国志』を重ねているところ。次郎長が動くたびに、彼に惚れ込んだ様々な個性が子分になっていく。

 映画は次郎長が清水に帰ってくるところから始まる。清水を出るまでは、以前ここにも書いた山本一力の『富士に立つ』(だったか・・・?)で読んでいたから、流れがすんなり入ってきた。ところが、中途半端なところで終わる。どうやら続編があって、全部で「三国志」が成立するようなのだ。欲求不満。

 『水戸黄門』が打ち切りになったのは何とも寂しい。面白くする方法はあるのに、デカイだけに方向転換ができなかったんだろう。マンモスみたいなものか。

 ところで、最近ある小娘がこのページを読んでいて、「改行をきちんとしないと」とかクレームをつけやがった。どうだ、小娘。これ以上の改行はしないぞ!

| | コメント (2) | トラックバック (0)

『90ミニッツ』を観る

 息子の手術が急を要するが、ある理由で輸血をしてはいけない。医者はナントカして父親を説得しようとする。三谷幸喜のかつての劇団仲間の西村と近藤の二人芝居。
 飛ぶ鳥をバンバン撃ち落としているように見える三谷だが、亡霊が出てくる映画といい、この『90ミニッツ』といい、全く面白くない。いや、それはお前がおかしいのだ。評判もいいし、作品も良く考えられているじゃないか。それを面白くないなんて、お前の感性が麻痺しているのだ。と、思いもした。しかし、もうそろそろ、そんなことはどうでもいい。面白くないものは面白くない。枯れても、腐っても、自分の感性を信じなくては。頑固ジジイになりつつあるのだろうか。
 頑固ジジイは断言する。三谷は『12人の優しい日本人』を超えた作品を書いていない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

床屋で褒められる

 1月にその床屋に久しぶりに行った。そして、今日、ほぼ3ヶ月ぶりに。短く切って、長くなったら行くというのがここ8年の方針。髪は短いほうが、乾かす手間が要らないのでいい。
 その床屋は奥さんとやっているのだが、どんな話題にも対応する。ぼくは無口な床屋を愛する。床屋に行くと、たとえば大相撲の時にはテレビをつけていて、頭を触りながら相撲がどーたらこーたら話しかけてきたりするが、そんな話題は全く関心がないので、うるさいだけなのだ。そういう意味で一番の床屋は大分の某所にある床屋。「いらっしゃいませ」「どう切りますか」「倒します」「起こします」「洗います」「お疲れ様でした」「ありがとうございます」以外は言わない。その声の表情と大きさが適度すぎて、ほとんど喋らないように思えるほどだ。そのぼくが、佐伯のその床屋では話したりする。
 そこのマスターと奥さんが「前来ていた時よりも顔色がいい」と今日も絶賛。「前がゾンビだったみたいじゃないですか」「いや、死んでました」。そんなにひどかったのか。
 悪い気はしない。だから、ノンアルコールビール生活時たま少しのビール生活は続けていこうと決心を新たにするのであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『落語物語』を観る

 やはり、高尾からコメントが来たか。でも、なかなか殊勝でよろしい。

 母親が外出して、父親が焼きそばをして三人の息子が大満足するものの、臭いがつき、母親に叱られないかと気になった時、「キミタチ」とファブリーズを手にニヤッとすると、息子たちが「ハアハア」と頷くあのCMの父親が落語家の役で、そこに何とも頼りない男が弟子入りして、という映画。落語ファンとしては期待したものの、少々がっかり。ただ、ファブリーズの落語家の奥さんを演じたタバタトモコがいい。あの爬虫類顔は好きにはなれないが、役者としては結構いいのではないか、と、思った。彼女の映画をもう一本観たい。

 さて、高尾さん、手帳に記入していただき毎度。久しぶりの公演になりそうです。できたらいいな、というところです。会場決めれば、書くだろうという判断に屈した次第。もうすぐ、コップが満杯になって溢れるという段階です。状況は掲示板にコツコツと報告していきます。んじゃ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

パークプレイスに行ってはいけない日

 前回もそうだったが、昨日もトリニータの試合と重なり、応援の連中がパークプレイスと周辺の駐車場に車を置き、大混雑で、駐車スペースを探すのに往生した。試合が終わると、ゾロゾロと駐車場に向かい、横断歩道が途切れることなく、左折する車は一台だけという状況だった。「トリニータ応援の人のための駐車はしないで下さい」という表示も効果ないようだ。青いTシャツでワイワイやってくる連中を見ると腹立たしくなった。

 トリニータの試合のある日、パークプレイスに行ってはいけない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2012年4月 | トップページ | 2012年6月 »