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柄本明の言葉(1)

 俳優とはなんと愚かなものなのでしょうか。舞台に立ち、人の目にさらされた瞬間、その人  そのものではいられなくなる。何かをしなければいけないのだと思ってしまう。しかも、その何かをする行為を、見ている人に絶賛されたいと念じてしまう。

 「しかも」の前でカットしようか、それとももっと続けて引用したほうがいいのか迷ってしまった。多分ゲネの時より本番がよくなるのも悪くなるのもその辺が影響するのではないかと思う。ただ、たとえ悪くなっても、観客の前で演るほうが断然楽しいのは確かだ。WOWOWで三谷幸喜の作品を完全収録のために客席をカメラで埋めるために観客を入れなかったのを観たが、面白くなかった。そんな完全のために、観客を入れない不完全をやってしまったわけだ。観客が入ってない舞台は通し稽古でしかないのではないか。

 今まで50本ほどの舞台にかかわってきた。うち半分ほどは役者で舞台に立っている。ほとんどが死滅している脳細胞の記憶部分をさぐれば、たとえば、大学では先輩がいた時のほうが、もしかするといい芝居ができていたんではないか、そう思えてくる。それはあまり観客を意識せず、舞台の先輩を意識していたからではないか。あの頃はハチャメチャがあった。柄本の本を読んで、彼の初期の頃の部分を読んで、ぼくと重なる(程度は落ちるけれど)部分を思い出した。最初は考えてもいなかったことが、ついついやっちゃいましたみたいな。それは芝居ではないかもしれない。ただ、芝居の根っこに触れたのではないか。柄本は自分のことを何度も「馬鹿ですね」という。芝居に向かうにも、それを続けるにも、「馬鹿」でないといけないのかもしれない。そのほうがいいのかもしれない。それは芝居だけに限ったことではないかもしれないけれど。

 処女作を超えることはできない、ってのはその辺にあるのかもしれない。処女作は生まれる。ただ、続けているうちに作ってしまう。だから瑕疵がなくても、瑕疵だらけの時よりも、面白くないのではないか。

 以上、これはプロではなく、アマチュアだからこその現象。

 

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