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体育祭、面白かった

 昨年と同じく駐車場係。もうあとは帰るだけだろうと判断して引き上げたのは3時間後。午前中のプログラムは残りわずか。昨年、来たばかりの体育祭は雨で、午後の部は応援団の演舞とフォークダンスを体育館でやったので、ピーカンの今日は午後の部を全部見ることができた。面白い。今まで見た高校の体育祭の中ではダントツではないか。生徒が何もかもに懸命に取り組むからだ。駐車場を詰め込んでも満杯になるくらいの人が来るんだから、それが何よりの証左。

 応援団の女生徒の姿はまずほかの学校では見ることができない。おそらく、自分をいちばん美しくと思ってのメイク、ヘアスタイル、衣装。他の人がどう思うかではなく、そんなことができるのはいい。グランドがきれいに片づけられた後も、応援団は写真を撮ったりが長く続いていた。気持ちはわかる。芝居が終わった後の、あの狂熱を冷ますのは時間がかかった。

 ベニヤ板9枚に絵を描いて、それも評価の対象になる。どこまで考えて、何を捨てたかの差が出たと思う。その途中での些細なミスが大きくなったのか。

 競技の点、応援の点、絵の点、それぞれでトップが出て表彰される。トップになれなくて泣いている姿も見えた。いいな。結果に泣くってのは。負けたから泣く。そういう涙、悔しさは経験したごうがいい。それは時に、勝ったよりも効果的な事例は山とある。

 学校の統廃合により、豊南の伝統は伝説になってしまうのか。そんなことを考えない(考えることができない)連中が書類上であれこれしていくのだろう。豊南と鶴岡が何故一つに。まったくわからない。

 来年の入学生が卒業する時、下級生はいない。その彼らの体育祭には、卒業生が集結して演舞しよう。昨年から話しかけている。それを正式に通すつもりだけれど、通らなくても来てくれ。豊南が終わる年なんだから。

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『ロリータ』を観る

 ロリータコンプレックスを生み出した小説の映画。「小説の映画化」と書かなかったのは、20年以上前、もっとか、に読んだ小説の感じと大きく違っており、ナバコフが脚本を担当しているので、小説家ナバコフが映画で描いた『ロリータ』で、一応小説とは別物と考えたから。

 ずいぶん昔読んだので完璧に忘れてしまっている。ただ、ロリコンということで読んだけれど、文章がきれいに流れているナと思ったことだけ。

 ロリコンブームはあれこれ形を変えて今も根強いと思う。反面、芸人の一部が熟女好きを言い出した。ある芸人なんぞは、母親くらいの年齢の「熟女」と浮名が流されたりしている。若すぎる相手は、それなりの魅力はあろうものの、話をするとなると、かみ合わない不満が募るのではないか。映画の中の中年の男も、結局はロリータを制約することでしかつなぎとめることができない。そういう関係は長続きしない。男には、特に若い時にはよく見られる傾向かもしれない。ところが、熟女となると、そういう不自由がないのだろう。恋に国境はないから、好きになったら走るだけ。それがたまたま20歳年下とか、年上とか、そんなもんだろうが。

 小説のほうが面白かった感触が残った。数年前、京都大学の先生が『ロリータ』の研究書みたいなものを出した。それと、ついでに、彼が訳した『ロリータ』の訳本も買った。読んではいないけれど、この部屋のどこかにあるはずだ。文化祭が終わったら読もう。

 何という映画だったか、シドニー・ポワチェが教師役じゃなかったかな。『暴力教室』というタイトルだったかもしれない。手におえない高校生に国語(映画ではもちろん英語だけれど)を教える。ポルノ小説を読ませて生徒は喜ぶ。次にロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』を読ませると、生徒が「きれいだ」と感想を漏らす。伊藤整訳が「わいせつ」ということで裁判になった小説なのだ。「きれいだ」は今でも印象に残っているセリフ。

 際限がない。この手のことについては、また。

 

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文化祭(2)

 何度も言うけれど、豊南の生徒は頗るいい。邪心(怖いね)がなく、誠実。この誠実さは爪の垢をまとめて国会議員に送りたいくらいだ(もちろん、生徒は、「何なん?」というだろうが)。

 職員室の入り口に教材などを印刷する用紙の箱になんちゃらとかかんちゃらのアンケート委回収箱がある。もうとっくに役目を終えているのに、「捨てられてたまるか」然として鎮座している。

 文化委員長と文化祭実行委員長と、今日は文化祭Tシャツの色を何にするか、校内をうろちょろして聞いて回った。彼らもまたアンケートで決めようという考えがあるのを知り、アンケートを取る意味がないことを何度もいい、でもまァ何人かに意見を聞いて、参考にすればいいと思ってのウロチョロ。

 色々な色があるほうが断然いい。生地もいいものがいい。ただ、値段の問題がある。見本に送ってもらったものを渡すと、「これがいい」と持ってきたが、一番いい生地。当然、値段も高い。できるだけ安くして、買いやすい値段を考えていない。でも、そういうことを教えるのも、生徒会顧問の仕事の一つか。

 今年、文化祭実行委員長を新たに設置した。昨年までは文化委員長が兼任していた。加えて、生徒会役員が体育祭の応援団に入ったりで、全く動きが取れない状況で、初めてのぼくは右往左往だった。幸い、新しい実行委員長は邪心がなく誠実(また、か?)。ぼくは彼がどんどん好きになっていく(おいおい)。彼を上手にサポートするのが、今年のぼくの仕事。決めた。

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大いなる眠り

 今朝は舌も上も長いものを着て、犬と散歩に出た。星が瞬いているものの、5時はもう暗い。長いものを着たものの、少々寒いくらい。あぜ道で、犬を離したら、吠えて何かを追っかけていった。

 昨夜は7時過ぎに横になり、「ほこたて」を観ながら、眠った。12時前に一回目が覚めたが、これではいかんと二度寝をして、4時前に目が覚めた。東北大が、十分な睡眠を取らない子どもの海馬が、十分に睡眠を取った子どものそれより1割ほど小さいという研究結果を発表した。海馬が小さいとアルツハイマーになりやすいとかで、子どもではないくせに眠ろうとしているのは滑稽かもしれない。海馬は確か短期記憶の場所だったように思うが、最近固有名詞が出ないのはそのせいかと考えたりするから、結構切実なのだ。
 学生時代、12時前に寝るのがもったいないと思っていた時期がある。いけない。昔の人は暗くなったら寝る以外なかっただろうから、眠りは十分だったろう。加えて、蘇軾とはいえ、その食べるものはまざりっけがなく大地の恵みそのものだったから、現代人よりははるかに健康だったろう。今日本には100歳以上の人が数万人いるようだが、わかる気もする。
 そんなことを考えると眠れなくなるから、眠たくなったら眠る。我慢しない。それだけだ。ウン。

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好きな俳優(3) 夏帆

 作品としては誠実さしかないけれど、高校生の合唱部を描いた映画(タイトル、出てこない)の主演の夏帆はよかった。美人でもないし、可愛いけれど飛びぬけているわけではない。ごくごく普通の女の子なのに、そのプラスαは何か。

 内部からの輝きだろうと思う。人間の魅力は外見だけではなく、内的なものがある。見た目で好みもあるし、会話の中でということもある。内部の輝きは見た目を変えるかもしれない。見た目だけを考える人は、それだけしか考えていないことを見透かされてしまう。

 女子高校生のスカートを盗撮したとかで、逮捕されるケースが多い。こういう犯罪者の多くは一言でいえば「バカ」。そんな映像で何を?

 夏帆は、思い出と憧れを、確かめてくれる。

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愛犬と墓参り、みたいな

 
 休みの日は、洗濯機を回して。犬と散歩に出る。仕事日より、一時間ほど遅い。その時間だと明かりは要らないが、カメラはどうしようかと迷う。持っていかない時に限って、後悔する光景に出会うからだ。今日はやめて、ゆっくりと3キロコースをとった。夏の間は、朝の散歩に「ヨダキイ」表情をした愛犬も、涼しくなって元気がよくなった。来月13歳になる彼女は年齢を感じさせない。来訪者への吠え声にも、「ハリ」がある。

 豊後水道の方向には、太陽が空を染め始めている。堤防にはウオーキングの年配者達。ぼくのようにヨロヨロはいない。元気がある限り使おうと思っているかのようだ。あの元気はどこから、不思議でならない。

 途中で愛犬と相談。今日は彼岸だから墓をちょっとだけ掃除して参ろう、と。彼女はいつもと違うコースだと嬉しいようで、元気よく歩く。津波の避難場所ということで、最近工事されたけれど、所詮は役所仕事、「何も考えていません」という代物。そんなことを考えながら登って、我が家の墓には枯葉がたまっている。他を覗くと、そうではない。掃除してるんだ。それでせっせと掃除。愛犬は早く帰ろう、と、帰り道でこっちを見ている。線香もロウソクも花もないけれど、掃除しながら、ばあちゃんとも話した。それでよかろう。ウン。

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『帯久』

 あまり演じられることはないんです。というのもあまり面白くないからです。志の輔はそう言って、『帯久』を語り始めている。ぼくは、米朝(アメリカと北朝鮮じゃないよ。桂米朝)で聴いて、ラストの爽快感がそれまでの退屈と悲惨を一気にひっくり返す噺が好きだった。

 志の輔は彼なりに変化をつけて語っているが、米朝で聴いた時面白さを超えていなかった。志の輔は、演劇のコミック・リリーフ的なものを入れて、上手につないでいく。でも、米朝の話のほうが面白いのは、泉屋(和泉屋? 音だけだと、どっちでもいいけれど)と火事の関係。米朝のほうが泉屋の切羽詰まった感じが強く出ている。その分、最後の爽快感に救われる。落語のなかでこんな爽快感を感じるのは、ない。そして、人間が好きになる。

 志の輔の『帯久』、土曜までに返却します。とりあえず、名人米朝で。

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好きな俳優(2)~小林薫~

 芝居までにずいぶん待たされた。ようやっと開場になったら、「ヨイショ!」の掛け声で体を前へ前へずらされて、身動きできないようになって、芝居は始まった。テントの向こうが開いて、対岸から役者が川に飛び込んで、泳いでたどりついて、舞台に上がる。唐の状況劇場はすべてを覆してくれた。どーでもいいことだが、テントの柱にしがみついて「ミーンミーン」とないた小林薫が強烈に残った。その舞台には根津甚八も同じようにふざけたことをやっていたが、小林薫が一番記憶に残った。

 唐の劇団からは多くの才能を出している。役者の解放とかいう言葉に触れると、唐の現場ではそんなのことは考える暇がないまま、ポンと通り越しているのだろう。

 俳優教育に段階がある。しかし、飛び級がある。段階踏んでじゃ、役者にはなれないのではないか。役者は飛ぶ。小林薫が教えてくれた。

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好きな俳優(1) ~堀内敬子~

 皆さん、台風の被害はなかったでしょうか。
 ぼくは朝いつもの時間4時頃起きて、時々窓を開けて音を聞いていました。最近は雨がメインの台風が多かったので、風主体だと、気になります。遠くない近く(どっちや!)でトタンの煽られるような音が聞こえたので、今は住人のいない実家のあちこちを考えたけど、思い当たらない。明るくなって窓から見ると、親父が何を思ったか大分から呼んだ業者にささやかな車庫みたいなのを作ってもらった、その屋根が数枚消えていました。そこを使うことはないから、時間の経過に朽ちるままでいいんだけれど、その間にこういう自然が入り込み、加速される。人間と同じ、か。

 さて、ぼくはカウントダウンに入っている。あと1年半ちょっとで解放されるのだ。リアのセリフに「身軽になって死への旅路へ」もあり、捨てる作業に入った。「どうしても」と思うもの以外は処分する。少しずつ。

 で、芝居についても言っておきたいことは言っておこう、と。

 堀内敬子って、知ってますか。上手い下手とかではなく、画面で見て、嬉しくなるトップはこの人。頗る美人とか、誰よりも可愛いとかいうわけではない。でも魅力的なのだ。美人とかアイドルとかではなくて、普通の人に何かチョットプラスすると、魅力が出てくるように思う。自分とは違う何かになろうとしても無理なのだ。堀内さんは、滑稽も悲惨も演じることができる。それがすごいわけではないが、だからこそ日常で共感できる。こういういい俳優を忘れてはいけない。

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『まほろ駅前多田便利軒』を見る

 瑛太はいい俳優だと思う。『ディア・ドクター』(だったか、釣瓶が主演した)を観て、好きになった。この人は画面にきっちり収まる。彼だけを観るのではなく、画面全体を観る。でもしっかりは彼を見ている。

 麿赤児がいい。このおっさん、昔は存在感が強すぎた。ビールか何かのCMに出て、やはり存在が濃すぎたが、この映画の中ではちょっと癖のあるじいちゃんになっている。

 人は幸せになるために生まれてきたのです。つかの『熱海殺人事件』の大山金太郎のセリフ。そうなのだ。生まれてきたからには幸せにならなくては。ただ、その幸せの形は人によって違う。誰かの形に合わせようとすると無理がいく。私は私。私を見極めることができた人は幸せになれる。他人と比べてはいけない。比べるろすれば、昨日の自分。

 大学生の頃、人吉に住んでいる人がトルストイの翻訳をして、出版されたニュースが流れた。彼は、翻訳したものをお母さんに読んでもらっていたという。晴耕雨読の生活。英文科の女の子に、そういうのが理想だというと、何がいいの、と、強く反論された。とてもぼんやりしていたぼくは、ああ間違っているのか、と、思った。だいたいが、そういう人生だ。

 自分の根っこ。そこにこだわればいい。瑛太が演じるさえない毎日を送るあれこれに触れてそう思った。流され、流され、漂流物のような今だけれど、許してやるか。

 

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『あぜ道のダンディ』を観る

 ビデオレンタル店に一人で行くことは滅多にない。子どもが用事があった時に、乗せていって、ついでに借りるというパターンが多い。彼女たちがCD2枚選んだら、店員が必ず「5枚で1000円ですよ」というので、「いやいいんだ」というのが面倒なので、3枚選ぶ。まず落語のCDの棚を見て、新作がないか探す。次にジャズの棚。たいてい老眼鏡を持っていないのでタイトルとアーチストの名前以外の小さな文字は読めない。内容がわからない。だから気合で借りる。あれこれ迷った挙句の果ての気合だから、その分よく聴く。ほとんどは、車のナビに入れて運転中に聴く。子どももそこに放り込み、彼女たちが乗っている時は、それrを聞かされる。サカナクションとかいうのは、入れてくれてうれしかった。彼らの才能は今後楽しみ。今日、志の輔の「はんどたおる」が借りられていて、嬉しくなった。拓郎のベストが借りられていたのも、おっいいぞ、と、思った。

 で、映画。父親が父親であろうとする姿を描いている。それは時に滑稽なんだけれど、滑稽なほどに哀しみみたいなものを感じてしまう。親であるが故に過剰なほど自分のことと重ね合わせてしまうのかもしれない。この男に救いはあるのか、と、痛い気持ちで観ていたら、後半になって、心配の種の子どももそれなりにきちんと考えている姿fが出て、ホッとした。
 世界がドータラコータラという映画は全く興味がない。こういう名前のない市井の人のささやかな日常のちょっとした起伏で十分だ。それは映画でしか描けないのではないか。

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飯倉晴武『日本人の数え方がわかる小事典』を読む

 一番好きな噺家は立川志の輔。創作落語では『ハンドタオル』、古典落語では『八五郎出世船』(だったか・・・?)が好きだ。もう30回は聞いている。どの噺の枕だったか、ウニをツボで数えるという件があり、それが頭に残っていて、もしかして出るかも、と、思い買った。しかし出てこなかった。

 数え方を通して日本文化を教えてくれる仕掛けになっているので、雑学を仕入れるにはいいかもしれない。こういう地道な仕事をしてくれる人がいるから、ぼく達はいとも簡単に知識を得ることができる。ありがたい。

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カメラ考

 たとえば、いつも手元にあったら安心できるものは、ハンカチとメモ帳とカメラ。以前はボイスレコーダーを持ち歩いていた。それは車で大分との間を行き来している時、カセットレコーダの小型に思いついたこと、浮かんだメロディーを録音していた名残で、最近は思いつくことがなくなったから、ボイスレコーダは部屋のどこかに埋もれてしまった。

 世界で一番好きな場所(大袈裟?)は本屋。次が文房具店。逆にしてもいい。図書館は、誰かが選んだ本なので、くだらない本はないだろうからと考えてしまい、よほどのことがないと利用はしない。本屋は、選ばれるのを待っているから、それに何とか応えようという思いが募る。文具が、これから何を書こうかという思いが募る。最初から目的が決まっていると、例えば脚本の覚書みたいに、すぐに書き始める。でも、このノートいいナと思うとついつい買ってしまうこともあり、目的が明確にならないと書けない。それで未使用のノートが、この部屋でずっと書かれるのを待っている。

 最近、デジカメを買った。エプソン、ソニー、キャノン、キャノン、キャノン、ニコン、そして7台目はフジ。キャノン3台目はEOSだったが、子どもの運動会の写真でコンパクトではどうもと思ったから買ったのだが、レンズ交換が面倒で、持ち歩くにも荷物になる。どのカメラも使えるけれど、コンパクトで倍率の高いものがいいと思い、ニコンを買った。子どもがオーストラリアに行くので、何度も販売店に行き、かなり考えた結果だった。これからはしばらくニコンでいこうと思っていたら、帰りにシンガポールで乗り換えの際、紛失した。カメラはあきらめがつくが350枚ほど写したデータだけはどうにか、と、思ったが、堂が寺にも、寺が堂にもならない。

 それで、初めてフジのコンパクトデジカメを買った。車にも、授業に行く時も、メモ帳とデジカメは持ち歩く。20倍の倍率なので、切り取りは思う通りにできる。本当はニコンの42倍を買おうと思っていたが、凸凹が持ち歩きにには面倒だ。ぼくはメモ程度の使い方しかしないから、ある瞬間のある対象を切り取ることができればいい。しばらくは今のフジを使うけれど、遠くないいつか、その時はかなりフリーになっていると思うが、動けるほどの身体であれば、メモではなく、写生感覚で使えるカメラを持っていると思う。重くなく、メンドーでなく、なおかつ自在に切り取れるカメラを。

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高倉健の生き方

 NHKの『プロフェッショナル』で2回続けて田倉健を特集した。健さんは寡黙で有名。昔『動乱』の映画で共演した吉永小百合と『スター千一夜』に出た時、あまり喋らないので、音楽を流したいということで、視聴用に届いていたピアノ演奏のLPを渡した。放送後、曲の問い合わせの電話がかなりあったとか。リチャード・クレイダーマンだった。だから、健さんというと、すぐにクレイダーマンを思い出す。

 しかし、健さんはよく喋る。冗談も言えば、茶目っ気もある。寡黙の印象が強いのは言葉を選ぶからではないか。ストーブに当たらない、椅子に座らない、スタッフと同じものでないと食べない。そこにはスタッフへの感謝と思いやりが満ちている。威圧感はないのに、存在感がある、映画外遊というプロだからこそ至った生き方、それが細胞の一つ一つに宿っているような気がした。この録画は消さないようにしなくては。それと、『あなたへ』を観なくては。

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文化祭のテーマ

 現在豊南高校は若鶴祭体育の部(以後、体育祭)の応援団の練習が熱心に行われている。豊南の応援団長は女生徒で、当日は他の女生徒応援団も艶やかな姿を見せてくれる。豊南の名物といってもいいと思う。

 その練習の声や音を聞きながら、生徒会室では若鶴祭文化の部(以後、文化祭)の担当者がテーマ決定に議論を交わしている。これだ!というのがなかなか出ない。一応、生徒全員に公募はしたのだが、これというのがなく、それでもその中にあった断片の言葉を彼らはどうにか組み入れようと考えている。その姿勢はいいと思う。ぼくは傍らで、時々意見を言う。彼らにこうしろ、ああしろという気持ちはなく、ただただ、そのテーマを与えられたほかの生徒の気持ちになって、わからないとかいうようなことを言う。彼らがそれにきちんと対応してくれる。そういう彼らが中心になってつくる文化祭はきっとうまく行く。

 教師という仕事で一番面白い一つはそういう場所に立ち会うことだ。教室では見えない面を見ることができる。時に生徒がやりたいことに「教育上」を理由に阻止する動きがある。昔昔のある学校では、女生徒のファッションショーに「飲み屋の女性みたいだ」と言い、翌年から廃止になった。そうじゃなくて、この辺を改善したらと、と、言うべきではなかったのか。文化祭はお行儀が良いだけでは成立しない。日常を突き抜けるパワーがあってこそ成立すると思う。突き抜ける度合いが大きいほど、祭りは祭りになる。若い人を制御しようなんて考えは捨てていいんじゃないか。もっとできないのか、と、挑発していい。おとなしい若者なんて祭りの場にはそぐわない。はじけないと。そのご相伴で、オジサンもはじけたい。

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『池上彰の宗教がわかれば世界が見える』を読む

 日本人の多くは「無宗教」だと思っているそうだが、深く根付いていて、それに気づいていないようだ。池上がインタビューする様々な宗教関係の人がそう言っている。そうなのか・・・。

 現在取り組んでいる脚本では仏教を少し扱う。だから、この際、ちょっと深入りしたほうがいいかもしれにと思い、とりあえず入門として、仏教、キリスト教、イスラム教、神道を扱っているので読んでみた。面白い。宗教は人間を扱っているからだろう。加えて、葬式だけに出てくる和尚と違い、仏教に向かい合い、人々や死と向き合っている和尚は立派だ。会って、直に疑問をぶっつけて、解決してもらいたいと思う。そんなことはできないので、本を注文して、と、なる。もちろんそんなに理解することはできないだろうが、それでも、芝居の中の会話を支えるだけの土台はつくれそうだ。年内は仏教研究。初稿を書きながら。

 

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面接練習始まる

 放課後になると3年生が職員室にあふれる。16日からの就職試験に向けて面接練習のお願いにくるのだ。昨年この時期に初めて豊南の練習に接して、津久見の生徒に比べてへたくそだと思った。津久見の生徒は9月に入った時点で、8割がたの生徒がほぼどんな質問にもすらすら応えることができた。しかし、豊南の生徒は8割ができない。

 教員になって面接練習をしてくれと生徒が来たとき、ぼくは「できない」と言った。しかし、ああこれは面接官と面接を受ける者の二人芝居だと考えた途端、楽になった。その芝居のテーマは「面接官にOKさせる」ことだから、そういう風に演出すればいいわけだ。

 津久見の時、練習台になるのが多い教師は優しいことが多いことに気付いた。ぼくは、練習なら一番怖い教師にすべきだと思う。練習しやすい人間を選んでは練習にはなるまい。

 たとえば「あなたの長所は何ですか」と訊くと、女生徒の8割は「明るいところだと思います」と応える。それは違う。「明るい子だなあ」と面接官に思わせるような応え方をすべきではないのか。一方男子生徒は「一つのことに集中するところが長所、集中しすぎて周りが見えなくなるのが短所」と応える。面接官からすれば、みんながみんな同じ内容ならうんざりするのではないか。そういう応え方を面接官がどう思うかという視点が必要だと思う。

 まア、しばらくは放課後が騒がしい。

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予感か?

 子どもの用事で大分まで行った。子どもの用事が済むまでひたすら本を読んでは、タバコを吸って過ごした。用事が済み、昼飯を食いに行く途中、「これだけ人間が多いのに知り合いに会わないのって不思議だよね」と言おうとしたが、こっちは用事がなかったからこその思いかもしれないと、言わずにおいた。
 店に入った時、同時に入ってきた年配のカップルの男のほうがぼくを見て「イーダさんやろ」と言った。ぼくは定年退職した教師を検索したが見つからない。「わからん?○○。」と自分から名乗ってくれたから救われたが、それが中学の同級生だったのだ。それほど遠くも近くもない友人の44年後の風貌に、何と言ってよいかあからなかった。だから、何も言わない。

 夏が終わった。学生時代、始業式の前夜は憂鬱だった。一体あれはどこから生じたのだろうか。もうこんな気分は嫌だと思いながら、何ら学習することなく、毎年繰り返していた。
 見上げると、雲がもう秋の装いになっている。そんな空を見ると、漂泊の思いに駆られる。芭蕉のように150日かけてとかできればいいのだが(もっとも彼は春から夏にかけてだった)、ちょっとした気分転換程度の散歩でもいい。さすらうか。

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