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三浦しおん『舟を編む』を読む

 すぐに買おうと思っていた。しかし、ちょっと待て。本屋大賞だ。『告白』『天地明察』と本屋大賞は面白くない、と、結論していたのだった。無性に小説が読みたくなって、学校の図書館(正しくは図書室、か?)に行って、司書に「何か元気が出るような小説はないか」と問うと、何冊か挙げてくれた。「これは?」と『舟を編む』を取ると、「それは、読むかなァと思ってた先生が誰も借りない」。フムフム。じゃあ、と。

 辞書をつくる話。面白い。地味な作品だけれど、面白い。本屋大賞、少し見直した。

 大学の英文科の機関紙『THE SEA』に英米文学事典みたいなものを書いたことがある。当時集中的に読んだ筒井康隆の『乱調文学事典』(間違っているかも)に刺激された(はっきり言えば真似した)ものだった。その中の「小説」の項に「由比小説小雪は忠節を大切にしていた。これを物語にしたら、小説、中説、大説のどれになるでしょう」とバカなことを書いたことがある。ホント、バカ。若さがバカさ。ただ責任感ない勢いだけのどうしようもない時代だとかいいようがない。

 でも、小説とは言い得て妙。小さなことでいいんだナ。等身大の人間を主人公にした物語に読者を巻き込み、感動という形で作者とその世界を共有するのが読書の愉しみの一つだと思う。共有する、つまり、作者のテーマは作者だけのものではなく、読者の内にもあり、それを引き出す装置をつくるのが作家ではないか、と、思う。

 辞書は言葉の海を渡る舟、というコンセプトで『大渡海』という辞書を編纂する。主人公にそんな説明をする件を読んで、ぼくは、ちょっと首をかしげた。自分の思いを乗せて相手に届ける舟が言葉、と、ぼくは言い続けてきたからだ。もちろん、首はすぐ戻った。
 辞書つくりの、そーなのかという沢山のことを知ることができる。そこも面白い。人物が類型的なんて関係ない。日常の中に「辞書つくり」をポンと放り込んだら、こんなに愉しめるんだ。芝居も、・・・。

 三浦しおん『ふむふむ 教えて、お仕事!』を図書館に寄付したけれど、あの好奇心、あれがこんな作品を生んだのだ。今後も注目!

 

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開高健『もっと広く!』を読む

 アラスカからマゼラン海峡までの釣りの旅の南アメリカ篇。何だか、疲れた。以前は多くの写真を眺めながらだったが、今回の全集は写真はゼロ。書かれたことを頭の中で映像を思い描くのはそれなりに楽しかった。shかし、北米に比べて、南米の映像はカラフルでむっちりしていて、エネルギーを要した。開高自身も疲労がたまっていたのではないか。文章の切れ味が違うような気がする。

 31年前に読んでいる。東京から帰ってきて、中津工業定時制の講師をしていた冬のことだ。当たり前だが、ほとんど初めて接するような気持ちだった。北米篇でのニューオーリンズでのジャズの爺さん、婆さんの件だけは覚えていた。あの二人の人生を食い尽くすような生き方を、カウントダウンに入ったぼくには、いい薬だったかもしれない。

 今は何か小説を読みたい。

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岡潔・小林秀雄『人間の建設』を読む

 小林秀雄は好きではない。高校の教科書に「無常ということ」とかが出ていて、知った。大学に行って、名前がチョロチョロ出てくるので何冊か読んだが、面白くないし、わからない。わからないから面白くないのではない。面白くないし、わからない。批評の神様とか言われていた人の文章がわからないのはオレがバカだから、と、思った。ずっと時が過ぎて職員室で、ある国語の教員にそのことを話したら、「小林秀雄って、文章下手でしょ」、と、彼は言ったのだ。スゴイ。地方の名もない教員が批評の神様を一刀両断。ぼくは救われたような気になった。同時に彼を尊敬した。

 岡潔は日本が生んだ天才の一人だと思う。でも、彼が述べる数学のアレコレは火星語みたいなものだ。

 神様と天才の雑談は1965年に行われた。1964年が東京オリンピックの年だから、ぼくが小学6年生の時だ。小林(神様を呼び捨てにするのか?)は喋りすぎる。語るほどに、天才の前では色あせる。何枚か付箋を貼った。その中の一つ。天才の言葉;

 数学は必ず発見の前に一度行き詰るのです。行き詰るから発見するのです。

 皆さん、行き詰りましょう。ただ、求める気持ちは強く、強く、持ちながら。

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『夜伽の部屋』創作日記(1)

 上演するかどうかは、書き終えて考えればいいと考えている。ただ、これだけは、おそらく最後のオリジナル脚本として完成させたい。暗転もなく、同じ場所で、舞台と客席の時間の流れは同じ。ぼくが馴染んできたスタイルで書く。

 ぼくはいつも書きながら考えた。書き終えて、生徒に読んでもらって、意見を聞いて、彼らがどうしたいかに合わせて書き直した。それが脚本を事務局に提出した後で、書き直したことを審査員から叱られた(もちろん、ヤンワリではあるが)こと数回。でも、彼らが演じる舞台だから、別にかまわなかった。書いている流れの結果は、ぼく個人のものでいい。

 ところが、今回は終わり方を考えている。考える時間は未明の犬との散歩の時間。その終わりに向かって芝居は進むのだ。それまでのあれこれはほぼ出そろっているのだが、終わりが決まらないと、書きすすめられない。春には完成させたい。もう少し時間はある。3年の仮卒まで。

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M-1 2008を観る

 NONSTYLEが優勝した時のDVDを観た。今更ながら思うけれど、紳助はよく観て、的確に話す。芸能界が彼を失ったことは惜しい。復帰は望まないけれど。

 2008年のM-1には4800を超える参加があったらしい。その中からの9つが決勝に出ている。その9つはトップ9だからレベルは高い、と、思う。ところがそうではない。たとえば、選ぶ題材、展開とかで笑えないものがある。技量はあるのかもしれないが、受け手をどれだけ計算することができるかが問題なのだろう。題材だけでなく、処理の仕方。テンポ、それやこれやが化学的に融合して漫才になる。そう考えると、お笑い芸人のレベルはそれほど上がっていないのではないか。

 M-1は面白い漫才師を選ぶということだったが、面白いには基準がない。もう消えてしまった企画だけれど、審査員は会場とは違う場所にすべきだったのかもしれない。観客の反応に影響を受けた審査員もいるのではないか。

 NONSTYLEは、やはり笑った。4分での情報量とその処理の仕方。春日の個性を吹っ飛ばしている。

 温故知新。

 

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修学旅行の問題

 来年の修学旅行は長野・東京に戻ったようだ。詳しい経過は全く知らないが、多分アンケートを取ったりしての結果だろう。それはそれで尊重するが、主体はどこにあるのか、と、思う。

 ぼくは学年主任を3回して、3回前年度の修学旅行コースを変更した。長野・東京を、まず北海道に変えた。スキーがメインなら、雪質のいいところのほうがいいだろうし、北海道はもしかするとも行くことがないかもしれないし、東京での浪費がイヤだったからだ。
 その次は沖縄。北海道は実によかったんだけれど、防寒具を買わなければならず、旅費自体もかかるので、これはよくないと思い、そういう心配のない沖縄にした。沖縄もまたそんなに行くこともないだろうと。東京に比べてだけれど。
 それが鶴岡高校の時。津久見に異動して学年主任では、最初の学年会議で沖縄を提案した。それまでは、やはり、長野・沖縄だった。鶴岡の沖縄修学旅行で可能性を感じ、ぼくなりのリベンジをしたかったからだ。

 鶴岡で沖縄に変えた時も、もちろんアンケートは取った。東京が1位。北海道2位。沖縄は3位だった。生徒が東京に行きたいのはわかる。でも、行きたいから、いつかは行けるかもしれない。でも、北海道や沖縄は、その時点では行きたい所ではない。生徒の行きたいところに行くのが修学旅行なら、遠足もそうすればいい。でも、しない。何故か、大金が絡むからだ。大分にもスキー場はできているから、スキーを目的にするのもおかしい。東京の自主研修はお金を使うだけ。買い物は自分で働いた金ですべきだ。ディズニーランドに行くにしても、半日では不十分ではないか(修学旅行では不十分は当たり前だけれど)。だから、恋人ができた時に一緒にルンルン行けばいいのだ。

 アンケートで親の意見を聞くのはほとんど意味がない。ほとんどの子どもの意見と同じ、つまり子ども言いなり。

 だから、この学年の修学旅行は、これこれこういうわけで、どこそこにします、というのでいいのではないか。ウン。

 

 

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無口な毎日

 2年生が修学旅行で、今日の授業は1時間。再来週の試験を、いつもの3倍くらいの手間をかけて作ったが、時間が余った。3年生の最後の英語は噛みごたえのある英文はどうか、と、それを打ったけれど、それでも余った。それで休憩室で短時間熟睡。言葉を発しない。

 昔、放送部の顧問をしていた時のことで曖昧だけれど、確か600字のアナウンス原稿を読むのに1分(だったような・・・)とのことだった。50分授業の半分を話すとして、一時間の授業で原稿用紙37.5枚の量を話していることになる。もっともぼくはアナウンスの生徒よりは速く話すし、50分丸々ということも珍しいことではないから、そうなると・・・意味のない計算だ。

 先週のリーダー研修会の際、教頭が「校長の挨拶はいいんかい」と。「なんやったら、リーダーシップについて話してもいいけどな」と続けた。丁重にお断りした。今日、外部講師を招いての規格責任者に、校長の代わりに挨拶しようか、と、持ちかけていた。礼儀正しい印象より、単なる挨拶好きという印象が濃厚だった。人種が違うとしか思えない。自分から言うんじゃなく、頼まれて、ってんじゃないのか?
 退職したら、今まで出会った教師のベスト・ワーストをここで書くつもりだ。もちろん実名は出さないし、教科も変えて、それとわからないように工夫はするけれど、わかる人にはわかるはずだ。ベストは名前出してもいいか。鬼が笑い転げるほど、先のことだ。

 

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修学旅行の思い出(沖縄編)

 明日、2年生が修学旅行に出発する。生徒の中には長野でスキー、そして東京というのがいいらしい。何故そんなに東京がいいのか。買い物とディズニーランドなら、買い物は自分で稼いでお金ですべきであり、ディズニーランドは恋人と行けばいい。修学旅行は遊びではない。

 鶴岡高校の時に長野ー東京のラインを北海道に変えた。これは断然面白かった。しかし、生徒がコートやらを買ったのを知って、お金がかかったことを反省した。それで、次に学年主任になった時は、沖縄にした。やはり生徒の反発はあったものの、行く機会がないところ、体験学習の多様性、そして普段着のまま行けて、なおかつ旅行費用が安いから、押し切った。
 面白かった。でも、沖縄をもっと体験できる計画があるはずだと、帰りのバスの中で旅行社の人と話した。津久見に異動して、新入生を迎える学年会議で、沖縄を提案した。そして、鶴岡の反省をもとに企画を練り直した。

 2年生諸君。沖縄はいいぞ。観て、聴いて、食べて、触れて、感じて、考えて、充実と安全の旅を祈ります。

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ストレス診断システムの愚かさ

 教員にパソコンが配布され(もちろん、学校で使うというだけで、異動とか退職の場合は、それは置いていく、新しい人に渡される)、教職員の健康考えています、というのだろう、「ストレス診断システム」というのがある。休職の多くは精神面の治療のためというのがあるのだろう。ただ、それを受けろという言い方に腹が立つ。

 今まで何回か言われた。それは、教員の健康面を担当する教師が多かった。昨年の教頭は全員に「受けましょう」と呼びかけていた。ところが、今日、教頭が直接「受けてください」と言うではないか。嫌です・それは強制ですか。そう言ったら、あとは何も言わない。

 教頭はそういう指導を受けているだけなのだろう。ただ、こういうものを作りました、だから受けなさいというのはあまりに暴力的である。その暴力性がストレスを生んでいるかもしれないではないか。教員の健康問題(ここでは精神面、か)をそんな安易な方法で解決しようとする安易さが、バカの極みではないか。だったら、食事点検とか、職員室に血圧計とかナンチャラやらカンチャラやらを置いて、自分の健康チェックができるようにすればいいのだ。そういうお金のかかることはせずに、学校用に作ったシステムにオマケのようなものをつけて、それで教職員の健康を考えていますという姿勢がおかしい。その尻馬に乗って、「受けてください」という教頭(もしかすると、校長の命令か?)というその精神、理念、哲学を疑ってしまう。もし、そういう圧力に屈して受けることになれば、ストレスの原因は管理職と書くな。そういう欄があればだけれど。

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十津川警部は眠らない

 何故か。番組表を見ると、十津川警部シリーズを選んでしまう。十津川には2種類あり、渡瀬恒彦と高橋英樹バージョンがある。ぼくは、渡瀬バージョンが好きだ。高橋の十津川警部は桃太郎侍風の目が出てくるからだ。
 今までかなり見てきた。再々放送も多く、これ観たなァと思いながら観てしまう。その時間帯に観たいものがないからだけれど。

 東京時代、新大久保に住んでいた。歌舞伎町まで歩いて15分くらいだった。当時歌舞伎町の交番にはかなりの数のおまわりさんがいた。10名以上はいたのではないか。その交番の向かいの道路脇では、ホームレスの皆さんが並んで腰を下ろし、酒を飲んでいた。一番安全な場所ということか。ともかく、そんなに多くのおまわりさんを配置するという界隈だったのだろう。今は知らない。

 十津川警部の舞台は日本全国。各地の名勝が出てきて、今度行こうとか思わせる効果があるのだろう(テレビ局はそれを前提にロケ費用を削減しているのだろう)。そういうことで人気があるから、繰り返し放送されるのかも。

 30年前の歌舞伎町の交番。今は人数が減っているといいけれど。でも、現実は、凶悪、狂悪な犯罪が多すぎる。

 ほぼ毎週観てる十津川警部。体現な仕事だ。

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よせばいいのに

 今日ある電化製品販売店で、ウオークマンとかのコーナーで真面目な顔で立っている生徒を見た。修学旅行直前なので、それでだろうか、と思った。
 旅に日常を持っていってはいけない。日常から離れることこそ、旅の面白さではないのか。

 人生は旅にたとえられる。「若い時に旅をしないで、老いて何を話せるのか」とゲーテは言った。旅とは新しい経験。だから面白い。だから、人生は面白い。

 旅に日常は置いていけ。風景を見て、人を見て聞いて、いくつの「そうなのか」を積み重なれるか。それだと思う。だいま、いい旅を!

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泣いて、笑う

 庄司陽子の『生徒諸君!』の新刊が届いた。一コマ、一つの言葉に泣かされる。3つ前の学校で、大学時代に庄司の『ヘイ!キャシー』を読んだ感動を言ったら、次の日に「これも面白いですよ」と持ってきてくれたのが『生徒諸君!』との出会い。ヒロインは今はもう33歳になっている。庄司は理想の学校をヒロインに託している。現在の学校の現実の様々な問題に直面しているだけに、甘いと思われる部分が見られるものの、理想に燃えて、突き進むヒロインに共感する。デロリアン(だったか?)に乗って、最終巻が並んでいる本屋に行きたい。

 授業中にたまたまお笑いの話になり、NONSTYLEが好きだというと、生徒がDVDを6本持ってきてくれた。その一本を家族で見て、笑った。疲れと風邪気味で今日は早退したのだけれど、笑って、活力を増した。そういえば、最近こんなに大笑いしたことはない。
 NONSTYLEの笑いはよく計算されていて、遊びのセンスがいい。そして徹底。お笑いの多くには徹底があるものの、計算が甘かったり、遊びのセンスが欠けていたりが多い。漫才はかなり進化してきてはいるものの、専門学校を選ぶような感覚でお笑いに進む連中も少なくないような気がする。NONSTYLEは、もしかしたら最初はほかにない形の漫才ということだったのかもしれないが、仕方ないことだが、NONSTYLEというSTYLEができてしまっている。これは全てのアーティストが直面する。そうならないことは不可能かもしれない。石田と井上の二人が、自分たちの形にNONして、新たな地平に立ってくれたら、と、思う。明日も笑える・・・。

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生徒会役員選挙、終わる

 昨年、生徒会の担当になり、文化祭であたふたして、すぐに役員改選、委員会、リーダー研修会、生徒大会の手順に、何故こういうドタバタの日程を組んでいるのか、改めなければ、と強く思っていた。ところが、その頃、インターハイの話が飛び込み、そっちを考えるようになった。それが原因とは言えないものの、親父が死んで、そのドタバタに奔走しているうちに、改める時期を失った。

 そして、また、再び。

 豊南高校は総合学科だが、これが、実に入り組んだものをつくりだしている。生徒は教室移動が多いだけだろうが、その仕組みを作る会議がやたら多く、ウンザリしている。加えて、第三者ナントカが入り学校のあれこれにアーダ、コーダいい、管理職はその対応のためにあれこれする。さらに忙しくなる。

 さて、本題。会長は一人の立候補で信任投票だったが、定員2名の副会長に5名が立候補。応援演説も、立候補者の演説も、思った以上の内容で、聴き応えがあった。聴き応えがあったというのは、もちろん、5人から2名が選ばれるから、一緒に行動する者として、見極める意識が強く、その材料が多かったということ。一年生の二人には拍手を送りたい。

 ここは、芝居について書くページだけれど、最近は芝居、脚本について書いていない。来週でドタバタは一段落。芝居の周辺に戻らなければ。

 

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駅伝を観に行く

 安心院で高校生の駅伝があるというので、行った。駅伝は好きなスポーツ。ただ走るだけのものを2時間以上観る(箱根とか2日にわたって・・・)ってのは、何ともおかしいとは思いながら、ただ走る中にあるドラマが面白い。

 安心院に着いて、まず風呂に入った。明らかに70歳以上の先輩が4人。300円は安いし、おばちゃんも気さくで気持ちよかった。

 ところが、駅伝はスタート時はいいものの、中継点ではどんどん差が開き、通り過ぎるのはアッという間。それで、安心院高校の演劇部で時間をつぶそうか、と、行ったら、顧問の一人が意外な人間。それで、話して、ついでに来週の大会にむけての練習を一部見せてもらって、「指導を」というので、ちょっと話した。それに夢中になっている間に駅伝はゴールしてしまっていた。なんてこった。

 文化祭が終わって、気分転換の応援だったが、走る前と走った後の表情の違いを間近に見ることができたのは収穫。久しぶりに接した高校演劇も最近使わなかった部分を刺激してくれた。

 安心院へと向かう坂を下りていた時、まだ稲刈りを終えていない稲穂の黄色い輝きの絢爛さには感動した。家でじっとして休むよりは動くほうがいいな。ウン。

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