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年の瀬だからというわけではないが、

家の外回りを掃除した。山間に位置するので、枯葉が多い。風とか(他には?)の関係である部分に集中していることもある。安部公房によると、東京のホームレスは落とした紙幣が集まる吹き溜まりを承知しているということだった(30年以上も前に読んだのに、何故覚えているのだろう?) 

 狭い敷地に親父があれこれの樹木を植えた。彼は距離感とか考えずに植えたので、ぼくの間隔感覚からすると鬱陶しい。すっきりしたいので、切りたくて仕方がない。親父が残した剪定鋏でガンガン切り始めたら柄が折れた。親父の呪い? ぼくは呪いとかナントカは信じないので、鋸を使って、鎌を使って、切りまくった。もちろん、遠くから様子を眺めながら。風や日差しを考えると切ることができる。でも、こいつ伸びたいんだろうナと思うと切れない。あっちこっちから眺めて、切れない。

 腰に来た。やはり。

 

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西加奈子『ふくわらい』を読む

 24日、まだ暗い中、車を走らせた。何処という当てはなく、とりあえず津久見をぬけようと思った。佐伯との境のトンネルを抜けると雪。おいおい。で、高速に乗って北上を図ると、別府から先は通行止め。ところが下り始めた横断道路が雪が積もっていて、スリップしぞうで、恐る恐るの徐行。ようやっと10号線に下り、北上。取りあえず、真木大堂を目指す。昔、昔好きだった人と訪ねたことを思い出し、様々な思い出をなぞりながら車を走らせた。真木大堂から富貴寺。そこから両子寺を目指す途中、ダムで写真を撮っていたらパトカーが来て、おもわりさんと話していたら、そこから先は凍結してるので引き返したほうがよいとのこと、素直に従った。山香温泉で温まって、南下。別府を過ぎた辺りで、隣の車線を走る車を運転しているのが、彼女だった。単なる勘違いと思い込みかもしれないが、昔の人とはいえ、見間違うはずがない。ここはひとつ、クリスマスの奇跡として、彼女だったということにしておきたい。

 その奇跡で、脳細胞が並び替えられたような、喪失感と幸福感が融合して正体不明の感情がぼくを覆っているような、・・・。以来、反芻している。

 『ふくわらい』には大笑いした。西加奈子は初めて。読みながら、これぞ小説って気がした。小説以外には表現できない。細部までの遊びとこだわり。注目したい才能だ。

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ジタバタしても

 バタバタ、ドタバタ、ジタバタの2学期が終わった。午後から募金活動をする予定だったが、降水確率90パーセントの小雨で、中止。いくつかの仕事はあるが、来週でいいか、と、本を読んで過ごした。今日で世界が終わるかもしれないのに、来年の仕事をするのは愚かすぎる。

 仕事につぶされるくらいなら仕事をつぶす、と、依然言ったらしくて、それをおぼえているんです、と、言われた。いつ言ったのか、本当に言ったのかも覚えていない。固有名詞がポンとでなくなってきて、老いは確実に自覚症状になっている。でも、そんなことはどーでもいい。どうせなら、イヤなことは全部忘れるようになれば、と、思う。

 久しぶりに歌をつくってみようか、そんな気持ちが高ぶっている。時々ポロンポロンとやりながら歌うけれど、ギターは初心者レベルだし、歌う歌も限られている。もっと、面白くしなければ。暇つぶしに創る要素を入れる。嗚呼。昔は創ってばかりの時期があったのだ。次の芝居のテーマ曲をこの冬つくってみよう。

 雨脚が強くなった。

 

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畑野智美『海の見える街』を読む

 2階が児童館、3階が図書館の市民センターが舞台。そこに勤める4人の独白形式で物語は勧められる。先入観以外の何物でもないが、そういう所に勤める人はみんな同じような表情で平々凡々とした毎日を送っているような気がする。もちろんそんなことはない。みんながドラマを抱えている。もっとも書きたてるほどのことでもないのだが、だからこそ面白いともいえる。

 ラストが、それはあんまりじゃないか、と、思ってしまうのだが、二人を祝福していると考えれば許せる。これ、映画にしても面白いと思う。キャスティングが難しいけれど。まッ、絶賛するほどではないが、悪くはない。ただ、タイトルは、「街」より「町」のほうがいいのではないか。

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田崎健太『偶然完全』を読む

 ラジオで「勝新山脈が面白い」という言葉を聞き、書店に電話で注文した。翌日、「そういうタイトルの本はないんですが、多分『偶然完全』のことだろうと思いますが、それで注文してよろしいでしょうか」と電話があり、お願いした。

 勝新太郎伝、と副題にある。中学生の頃だったか、テレビで『兵隊やくざ』を観て、日本軍の上下関係の厳しさの異常を感じた。同じ頃、テレビで『コンバット』を観て、日本軍との全くの違いに、これじゃあ戦争に負けると思った。

 黒澤明が『影武者』を勝で撮ろうとしたが、勝が現場にビデオカメラを「自分の演技の研究のため」持ち込み、それが黒澤の逆鱗に触れ、仲代に代わった。その経緯もこの本では詳しく書かれている。当時は勝に興味はなかったが、これを読むと、勝の『影武者』を観たくなる。

 勝は借金まみれの中で死んだ。派手な遊興やプロダクションの倒産など、ニュースで報じられるそういうマイナスのイメージしか与えられなかった。しかし、勝が背負っている「勝新太郎」というブランドを守ろうとしたためであったことがわかった。風貌に似合わず、繊細で優しい気配りをする人だったのだ。そして、俳優として、映画人として、超が100くらいつくこだわりの人だったのだ。勝の映画を観たくなる。

 あの時たまたまラジオをつけた。そしてこの本に出会った。偶然完全である。

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勘三郎の魅力

 今朝、テレビの上の画面に中村勘三郎逝去のニュースが流れた。驚愕。

 おそらく稀有の役者。幸四郎が、まだ染五郎の時にミュージカルに主演して、本場のブロードウエイで主演を演じたのもすごかった。勘三郎は、宮沢りえとかの浮名とかもあり、ぼっちゃんが、と、思うことで知った名前(当時は勘九郎)だった。でも、どこかでスイッチが入ったんだろう。幸四郎の越境を超える規模でのあれこれをやっちまった。これから、だったのだ。

 芝居。それが野田のハチャメチャだろうと古典歌舞伎だろうと、映画だろうと、面白くて仕方がなかったんだろう。こうしたい、ああしたいでどんどんやっていった。役者としての貪欲さ。なのにおちゃっぴで、気さくで。これまでの業績は素晴らしい。でも、彼は、これからだったのだ。枯れた勘三郎をつくる二〇年があったのだ。

 惜しい。

 冥福を祈ります。

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ケリー・マクゴニガル『スタンフォードの自分を変える教室』を読む

 原題はThe Willpower Instinct。邦題はハウツー本のようになっているが、心理学や行動経済学などの多種多様な学問を駆使している。そして、たとえばダイエットの失敗とか禁煙の失敗とか、日常生活で何度も経験する「失敗」を避けるにはどうすればいいかを教えてくれる。心理学がここまで発展していることに驚きながら、感心と納得。

 教職員が不祥事を起こすたびに県は研修させる。それが、最近は、不祥事を起こして懲戒免職になったら、退職金がパアになるなどと、恐喝まがいの手法を取っている。その繰り返し。つまり、それが効果がないことを証明しているのに、だ。どこの県でも同じなのだろう。数年前、どこかの県の教育長がもう打つ手はないと嘆いていたが、脅してもダメなんだから、気持ちはわかる。

 ぼくは心理学の専門家を呼んで、話してもらったほうがいいと話したことがあったが、彼らは聞く耳を持たない。このケリーの本を読んで、こういう専門家に相談するのが一番いいと強く思った。この本を読みだしたら、タバコが半分になったのだ。

 ケリーはスタンフォード大学で最も優秀な教職員に贈られる賞を受賞。また『フォーブス』の「人々を最もインスパイアする女性20人」に選ばれているとか。もう一度、今度は考えながら、検証しながら、習得するつもりで読んでみる。タバコと酒をやめることができたら、この本のおかげだ。もっとも、やめようという強い思いが今はないんだけれど。

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