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コミュニケーション能力

 コミュニケーション能力という言葉がやたらと使われる。それが何かはっきり説明できる人がいるのだろうか。
 というのは、学校現場では毎日(というわけでもないが)のように誰かが言っているけれど、もしかすると、教員自身にその能力が欠如しているのではないかと思えることが少なくない。

 ぼくは生徒会を担当している。昨年の生徒大会で「学校への要望」を決議して、執行部が書式やら、書き方やらを模索、検討して今年のはじめに校長に渡した。それへの回答が、先日の職員会議で提案された。これが、上から目線ってやつで、生徒への愛情のカケラも感じられない文章。人間が丸くなりすぎて、もう転がり始めたら永遠に転がり続けるんじゃないかと思うくらい丸くなったぼくも、つい、「詭弁だ!」と囁いたつもりが、皆さんに聞こえていた次第。
 つまり、それを読んだら生徒がどう考えるか、どう思うかを考えることが人間に「コミュニケーション能力」を云々できるのか。

 もう一つ。先日のBrass Festa in Saiki で司会を務めた中学校顧問のおしゃべりにも並行した。各学校の部長にインタビューするんだが、司会者の喋りのほうがはるかに多く、後の学校の部長には名前も担当楽器も言わせなかった。自分の喋りを優先していた。そうすることで、相手は、客席はどう思うのかを考えることができなかったのではないか。

 コミュニケーション能力はどれだけ話せるかではない、と思う。

 ここで、演劇が大手を振って出てきてもいい。芝居は台詞を喋ることより、相手が話す時にどう「聴く」が大切だろう。開高健が「人間は一本の管だ。食べて、出すだけ」みたいなことを言った。まず、受けいれることが肝心ではないのか。きちんと受け入れるから、きちんと対応できる。

 この問題については、継続して考えようと思う。

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