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belair さんへ

 丁寧な書き込みありがとうございます。ぼくも数冊ほど本を読み、独りよがりにならないよう努めてみました。あなたがおっしゃるように、キリスト教が広がるのをNOとした江戸幕府が檀家制度を利用したこと、だから戒名を取り入れざるを得なかったことや墓石のこと等、なるほどと思うことはあります。

 でも、檀家の者としては、盆とか彼岸とかにヒョイと来て、お経をあげて、帰っていく。つながりを感じないのです。だから、戒名がありがたいものではない。仏事以外の地域の行事に参加し、檀家の人と話し、「知ってくれている」からこそ、戒名そうきたか、と、味わえるのではないかと思います。時代劇の中に、僧侶に相談に行く場面はよくありますが、昔はそういう役目も果たしていたのでしょう。人とともに生きるのが宗教だと思いますが、人はどんどん変わっていくのに、寺は変わっていないのではないか。仏事の時だけしか機能しない。ますます葬式仏教になっていく。これから逃れるためには、檀家に近づき、知り、死ってもらう関係作りが必要だと思います。

 テレビで見る僧侶の中に何度も頷くことがあります。立派な僧侶は多い。また、僧侶にも生活があるから、幼稚園や駐車場を経営するのもわかります。でも、今のままではつながりが希薄になっていくだけです。

 その付近は今書いている芝居でも触れます。友人が演出してくれるので、上演が決まったらここでお知らせします。もし、可能であれば、客席に。

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コメント

色々ご努力頂きましたこと、嬉しく思います。
自分が思うには、どんな世界でも関心を持つことが一番の理解ではないかと思います。

>盆とか彼岸とかにヒョイと来て、お経をあげて、帰っていく。
>つながりを感じないのです。

本当にその通りだと思います。自分の地方では、月回向という習慣があり、
親等の月命日に僧侶が自宅に参る習慣があります。
それで、あーでもない、こーでもないと他愛のない話をして、帰っていくのですが、
そのおかげで、檀家と菩提寺は親戚付き合いみたいな関係をしています
(全部の寺ではないでしょうが)。

良い悪いではなく、僧侶はいつも近くにいる存在というのが良い気がします。
近頃流行のホームドクターみたいなもので^^;

これも調べて頂ければお分かりになると思いますが、中世まで
僧侶は色んな役割を果たしていました。
学問を教えたり、医者であったり、政治に関与したり、福祉事業したり・・・
そしてそのベースに仏教の思想がありました。ある種の理想だと思います。
現代社会では、そのすべてをそれぞれの職業に奪われした。
奪われざるを得ない経過もあったと思います。

功罪を含めて、現代までの仏教が及ぼした影響を考え、後世に
良いと思う部分は伝えて行けれると良いと思います。

残念ながら自分は愛知県在住なので、大分まで行けませんが、
ご成功をお祈りしております。

投稿: belair | 2013年5月23日 (木) 20時03分

 お返事ありがとうございます。近くにいらっしゃれば、地酒をもって訪ねたいところです。これからの活力と充実を、遠い佐伯の地で祈ります。

投稿: イーダです | 2013年5月23日 (木) 21時21分

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